今朝は通常どおりに出画廊した後、お昼から入居の契約のため新宿へ。

なあんと契約会社は先日一人で赴いた独逸レストランの隣だった。

WOW!

新宿5丁目、厚生年金快感の並び、ミュージックランドKEY新宿店のとなり(誤植じゃないよ)。


契約は動悸動悸。


わが従兄弟のナッチャンが揃えてくれた各書類がきちんとしているおかげで助かった。


担当女史は非常にチャーミング。


「お名前は漢字もあるんですね」

「あ、はい」

「保険等は漢字名を使用しなければならないのですが…」

「あ、構いませんよ」


ぱらぱらぱら。


実にてきぱきと処理してくれた。


「あのう、アタシみたいな顧客はいました?」


「はい、結構いらっしゃいますよ」


ああ、そりゃそうだ。道を越えたら、わが2丁目やんけ。


しかしやはり時間がかかった。


午後1時半に作業が開始して、終ったのは3時半。


終了して表に出ると、新宿の残暑も清々しく感じられた。


いよいよ明日引越し、いや入居だ。


これで久々に「我が家」と呼べる場が確保できた。


4月から延々と続いた居候状況は終了した。


親族の全員に感謝申し上げたい。


ありがとうございます。


空腹で餓死しそうだったので、あわてて2丁目のStarbucksに飛び込み、Vegetable Sandwichをぱくついた。


そしてあわてて再び松涛へ。


帰還後、2号店にF君に車で送ってもらう。


お返しにEnglish特別講義を行う。


彼は向上心が強く、この2週間半毎日アタシにEnglishを使って話そうとしてくれている。


こうでなくちゃ。


時間は短かったけど、一生懸命教えた。


帰社時に、渋谷ドンキホーテで安い荷物バッグを購入。


明日の荷物運搬のためだ。


その後、まっすぐ帰ればいいのにBook 1stに寄った。


村上春樹の翻訳作が気になって仕様がない。


レイモンド・カーヴァーの「夜になると鮭は」を散読する。


…やっぱ春樹節だなあ。


でもこれがいいのだ。


20余年前、実は私が村上春樹作品にはじめて触れたのが、スコット・F・フィッツジェラルドの訳本だった。


その見事なゆったりと、そして静かに流れる文体に酔いしれた。


フィッツジェラルドの原本や、過去の日本語訳も読んでいたものの、ちょっと吃驚した。


「こんな独特のしかもくどくない文体を持つ作家が日本にいたんだ」


まさにRaymond Carverの翻訳者としては、村上春樹は最適かもしれない。


ただ、Carverの作品にはどうしようもない刹那と哀しさが中核を成している。


そのIntensityは、村上作品とは異なるものだ。


それゆえに興味があった。


うーん、


やっぱムラカミハルキ・プロデュースものだ。


いい・わるい・じゃない。


ここまで確立されていると、ハルキ訳もハルキ製作なのだ。


明日はCarverの原本を探索してみよ。


確かもっと激しかったはずだから。


閑話休題。


荷物をまとめなくちゃ。


小竹向原から永福町までタクシーでいくらかかるんだろ?


「やれやれ」と私は思った(村上春樹(c))