本日はマックにての記事。
どないでっしゃろ?
段々と気持ちが落ち着き始めている。
新しい環境、それもアートに囲まれての一人の空間が平穏を心境に生み出している。
松涛という街の雰囲気もその要因であることは疑いない。
すぐ角には鍋島公園。そしてご近所には松涛美術館。
クラシックの室内音楽を流しながら、この4ヶ月の出来事をreflectしている。
ようやく訪れ始めている自分だけの空間と時間。
やはり自分はlonerなのだと改めて実感している。
Communicative-socialistic的社会性に欠陥があるのは理解している。
でも自分に正直でありたい。
もう嘘は嫌だ。
つくのもつかれるのも。
このMacを使って、いたずら書きから始まった絵と音楽が段々と形を整えてきた。
まだまだ皆さんにご紹介できるものではないが、20数年ぶりに自分の感性も「そちら方面」に戻ってきている。
この数ヶ月における勘の鋭敏さはこのことにも直結しているのだろう。
確かにこの数日のギターのフレーズにも変化が生じている。
このところ、実家で風のOvationを弾いているのだが、フレーズ的には自動操縦で指を滑らしていた。
彼のOvationは弦のゲージが細く、そして弦高が高い。
ちょっとした主張をしてくるのだ。
そのご要求にあわせて優しく弾いてあげる。
auto pilotでフレーズが出てくる。
「お筆書き」と同じ状態。
そのうちに普段の自分とは異なる旋律が出てきたのにちょっとびっくりした。
考えちゃうと消えちゃうから、そのまま浸ろうと「考えずに」弾いていく。
このところの激動を経て、そしてようやくやってきた平穏が確実に変化をもたらしてくれているのだ。
そんなことを考察(夢想)していた金曜日の昼下がり、びっくり仰天のお客様が訪れた。
T神社のH宮司様だった。
「えっ?どうしてお分かりになったのですか?」
「あなたが書いていらしたではないですか。」
「あっ、そっか。あはは」
先に記述したとおりに、奥様の久仁子さんは先月心臓弁の手術を受けられた。
先週ご退院されて、今はご自宅でご療養とのことだった。
一回しかお見舞いに行けなかったことを詫びる。
その瞬間、H宮司が巨大に映った。
「あら、またパワーをおつけになられたのですね?」
「まあ、いろいろとありまして」
その微笑みをみた瞬間、お導きとご指導のために来てくれたことを悟った。
うれしくなっちゃって、はしゃいでしまう。
間違いなく、久仁子さんからのお奨めもあってのことだろう。
美術、音楽、そして何よりも文学に精通しているH師にこの空間をご紹介させていただいた。
私より遥かに西洋美術に詳しいH師には何も説明することはなかった。
話は、H師のeuro美術考察~澁澤龍彦~祝詞~パリ~出雲大社~京都~奈良~ローマ、そして三島論へと展開していった。
至福の瞬間。
話をしながら、H師が私のために「ご降臨の行」をしていただいていることを実感した。
私の表情が変化していることを自覚する。
当然H師のお話は、私の今後のことに移行していった。
ここでご紹介することはできないのだが、
今後の私の展開を序所に記すことがご紹介になるであろう。
一つご紹介できるのは、
「ますます変化のスピードが加速します。それは過去4ヶ月どころではないほどでしょう」ということ。
え~っ?今でも周囲が理解できないほどなのにぃ。
ていうか、私自身も自分におっつけないのにぃ~。
「それはお役目ですか?」
「人生そのものがお役目でしょ?」
うわっちゃ!
そうやった。わすれとったわ。
いつものことやけどな。
その後、年末までにおこるであろう「あのお方」との出会いのに関してのご説明があった。
WOW!
楽しみ。
ただご注意もあった。
これは和尚様に京王プラザで諭されたことと全く一緒のことだった。
気をつけなければ。
もう一つ、釈和尚さまと全く一緒のことを諭された。
「そのままでいなさい」
う~ん、でもそれはつらいよぉ~。
それから実際のセッションを行っていただいた。
目が覚めるような意識の覚醒を明確に感じ取った。
師から発散されるオーラがはっきりの背後に見える。
また、光の粒子がいっぱい師の背後に飛んでいる。
ま、これはいつものことだけど。
それを伝えたら、すばらしいお写真をいっぱい見せていただいた。
数時間に及ぶ至福の時間は、再び三島論で締めくくられた。
豊穣の海の最終シーン。
無の世界。
「しかし、無は夢でしょうか?」
どないでっしゃろ?
段々と気持ちが落ち着き始めている。
新しい環境、それもアートに囲まれての一人の空間が平穏を心境に生み出している。
松涛という街の雰囲気もその要因であることは疑いない。
すぐ角には鍋島公園。そしてご近所には松涛美術館。
クラシックの室内音楽を流しながら、この4ヶ月の出来事をreflectしている。
ようやく訪れ始めている自分だけの空間と時間。
やはり自分はlonerなのだと改めて実感している。
Communicative-socialistic的社会性に欠陥があるのは理解している。
でも自分に正直でありたい。
もう嘘は嫌だ。
つくのもつかれるのも。
このMacを使って、いたずら書きから始まった絵と音楽が段々と形を整えてきた。
まだまだ皆さんにご紹介できるものではないが、20数年ぶりに自分の感性も「そちら方面」に戻ってきている。
この数ヶ月における勘の鋭敏さはこのことにも直結しているのだろう。
確かにこの数日のギターのフレーズにも変化が生じている。
このところ、実家で風のOvationを弾いているのだが、フレーズ的には自動操縦で指を滑らしていた。
彼のOvationは弦のゲージが細く、そして弦高が高い。
ちょっとした主張をしてくるのだ。
そのご要求にあわせて優しく弾いてあげる。
auto pilotでフレーズが出てくる。
「お筆書き」と同じ状態。
そのうちに普段の自分とは異なる旋律が出てきたのにちょっとびっくりした。
考えちゃうと消えちゃうから、そのまま浸ろうと「考えずに」弾いていく。
このところの激動を経て、そしてようやくやってきた平穏が確実に変化をもたらしてくれているのだ。
そんなことを考察(夢想)していた金曜日の昼下がり、びっくり仰天のお客様が訪れた。
T神社のH宮司様だった。
「えっ?どうしてお分かりになったのですか?」
「あなたが書いていらしたではないですか。」
「あっ、そっか。あはは」
先に記述したとおりに、奥様の久仁子さんは先月心臓弁の手術を受けられた。
先週ご退院されて、今はご自宅でご療養とのことだった。
一回しかお見舞いに行けなかったことを詫びる。
その瞬間、H宮司が巨大に映った。
「あら、またパワーをおつけになられたのですね?」
「まあ、いろいろとありまして」
その微笑みをみた瞬間、お導きとご指導のために来てくれたことを悟った。
うれしくなっちゃって、はしゃいでしまう。
間違いなく、久仁子さんからのお奨めもあってのことだろう。
美術、音楽、そして何よりも文学に精通しているH師にこの空間をご紹介させていただいた。
私より遥かに西洋美術に詳しいH師には何も説明することはなかった。
話は、H師のeuro美術考察~澁澤龍彦~祝詞~パリ~出雲大社~京都~奈良~ローマ、そして三島論へと展開していった。
至福の瞬間。
話をしながら、H師が私のために「ご降臨の行」をしていただいていることを実感した。
私の表情が変化していることを自覚する。
当然H師のお話は、私の今後のことに移行していった。
ここでご紹介することはできないのだが、
今後の私の展開を序所に記すことがご紹介になるであろう。
一つご紹介できるのは、
「ますます変化のスピードが加速します。それは過去4ヶ月どころではないほどでしょう」ということ。
え~っ?今でも周囲が理解できないほどなのにぃ。
ていうか、私自身も自分におっつけないのにぃ~。
「それはお役目ですか?」
「人生そのものがお役目でしょ?」
うわっちゃ!
そうやった。わすれとったわ。
いつものことやけどな。
その後、年末までにおこるであろう「あのお方」との出会いのに関してのご説明があった。
WOW!
楽しみ。
ただご注意もあった。
これは和尚様に京王プラザで諭されたことと全く一緒のことだった。
気をつけなければ。
もう一つ、釈和尚さまと全く一緒のことを諭された。
「そのままでいなさい」
う~ん、でもそれはつらいよぉ~。
それから実際のセッションを行っていただいた。
目が覚めるような意識の覚醒を明確に感じ取った。
師から発散されるオーラがはっきりの背後に見える。
また、光の粒子がいっぱい師の背後に飛んでいる。
ま、これはいつものことだけど。
それを伝えたら、すばらしいお写真をいっぱい見せていただいた。
数時間に及ぶ至福の時間は、再び三島論で締めくくられた。
豊穣の海の最終シーン。
無の世界。
「しかし、無は夢でしょうか?」