日曜日の夕刻より横浜にStayした。
東横線で自由が丘から特急でわずか20分。
知らなかった。
吃驚した。
JRだと延々と時間がかかるのに。
久々の逢引。
我々のお互いへの意義と自己の再確認を再認識する。
朝方、夢を2回観た。
最初の夢は、米国の家族のこと。
長い夢だった。
ゆうに40分は越していたと思われる。
愛、それも子供に対しての愛、そして真の愛に関しての「問い」を示唆された夢を見た。
汗びっしょりになって目が覚める。
横では悟空が福岡来襲時のガメラ級のいびきをかいていた。
たまらなくイトオシカッタ。
2回目の夢は、T夫妻に関して。
T夫妻は緑ヶ丘に在住する私の30年来の友人達だ。
数年前、私が自分の生き方を決めた際、3人の友人に意見を求めた。
幼稚園児からの大親友のS.T氏、そして緑ヶ丘のT夫妻だった。
T氏は、「コータはコータだから性別はどうでもいいでしょ。それよりサッカーファンのオレとしては、前半のハーフを男として、そして後半のハーフを女としてして体験できるコータが羨ましいよ」といってくれた。これには感激した。
でももうひとりのMr.Tは異なるリアクションを提示してきた。
現在、アジア系食材会社の社長を務めるMr. Tは私のカミングアウトに反対した。
わからないでもなかった。
Highschool時代、彼と私とは関係を有する仲であったのだ。
でも彼のCapacityを考慮すると、「ああしょうがないな」、と思うしかなかった。
とにかく彼のキャパは狭いのだ。
むしろその後における、彼の奥様と私の精神的繋がりの方が密接だった。
生涯を通じて、私が女性を「愛した」のは元妻とT氏の奥様のMさんの2人だけだ。
実は、前述のH宮司を間接的に紹介していただき、私を救ってもらったのもMさんとMさんとお母様のおかげなのだ。
我々の関係は、あくまで精神レヴェルのものであり、お互いへの想いは霊的関係に基づくもののみであった。
でも分かり合っていた。
不思議な、そしてとてもUniqueな3人の関係が30年近く続いてる。
しかし、私のカミングアウト以来、それも途切れてしまっていた。
自由が丘で仕事をするようになって以来、彼ら・彼女らのことは脳裏に浮かんでいた。
でも彼女らが夢に登場するまでのインパクトを私に及ぼしていたとは思えなかった。
でも痛烈なインパクトを持って彼らは現れた。
!!!!!!
吃驚して目を覚ました。
風がチキンラーメンを啜っていた。
「ずずずっ、ああ、コータ、おはよ」
その屈託のない笑顔が私を和ませてくれた。
笑顔を返し、また桃源郷へ。
英語の現在完了形のフレーズがトランプの形になって私を追いかけてくる夢だった。
まるでAlice in wonderlandそのままだ。
うあ!
また飛び上がった。
「コータ、オレもう仕事だから行くよ。ドア閉めときな」
優しい笑顔で風が嗜めてくれた。
うん。大丈夫。
私も笑顔で送り出した。
ガチャガチャ。
ドアが閉まる音がEmptyな部屋に響く。
途端に寂しくなってベッドから飛び上がった。
ドアを開けて、最後のさよならを言おうとしたが、彼はもういなかった。
また一人だ。
いつもの通りにまた一人だ。
再びベッドに倒れこみ泣きくずれた。
久々の休日。
横浜駅前のスタバで2時間ほどぼーっとつぶした。
一時から馬場で杉さんとリハ。
ひっさしぶりだった。
数週間ぶりのギター。
ちょっと違和感があった。
M新聞のM女史記者が取材に来てくれた。
素晴らしい女性だった。
自己主張のみが強い記者のなかで、女性記者として20年近くM大新聞で活躍されてきた実績を誇ってらっしゃる方だった。
取材は彼女のお導きの上手さでスムーズに行った。
リハの後、新宿の某病院でCTスキャンの結果。
「この数年間の打撲等の影響が後頭部に出ています。右後頭部の頭蓋骨のダメージと軽度の脳挫傷が見えますね。でもこれは治しようがないですよ」
「...ではどうしたらよろしいでしょうか?」
「安静にしていれば脳挫傷は治癒していくでしょう。でも頭蓋骨・頭筋肉のダメージは今後も現在のように群発頭痛を引き起こしていくでしょう。これは治しようがありません」
「...」
ま、そりゃそうだよね。
それでなくても、浩太の体はもはや浩太のものではなく、コウタとコータが共有しているものだし、大変革=それも大変な無理を強いされているのだから...
ご存知とおり、我々Transgenderは長生きできない。
あったりまえだ。
むっちゃ体に負担をかけてまでこのような生き様を選んでいるのだから。
でも長生きなんてしようとも思ってない。
今日の診断である納得=Conclusionが確立した。
この頭痛も、この生き様を選んだ代償の一部なのだ。
潔く、共に生きていこう!
...あいててててて。
それでも痛いけどね。