【前回までのあらすじ】
遡ること2015年11月3日に動機を最終的な目標と、道具的目標に分けた説明をしました。ブラ三を長く続けている人は、まだ道具的目標を他の方法によって達していないか、最終的目標がなんかしらここにあるんだろうなぁと思うところです。


さて、動機についての考察はからはいったん脇道に逸れまして、今回は、「大決戦イベント[制圧戦]街亭(がいてい)の戦い」もありますので、「泣いて馬謖を斬る」について考えを巡らしてみたいと思います。

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張郃×馬謖 (ちょうこう×ばしょく)

228年に諸葛亮は北伐のため戦略上の要所である街亭の守備を馬謖に命じた。諸葛亮の狙いは道筋を抑えて守備を有利にするというものだったが、馬謖はそれの命を背き山頂に陣を敷いてしまった。その結果張郃らに水路を絶たれ山頂に孤立し、馬謖は惨敗した。このことを重く見た諸葛亮は涙しながらも馬謖を処刑し、これが後に「泣いて馬謖を斬る」と呼ばれる故事となった。


1960年~70年代に注目を浴びた社会的学習理論というものがあります。「望ましい行動をした時、報酬を与えたら、よい子ができる」というものでした。そりゃそうだろうと僕も思いましたが、研究では、報酬がなくても、よい子がいるという事実を説明するには不十分だったようです。しかし明確になったこともあります。それは禁止と罰の問題です。

次の事例を目撃した、2つのグループを観察した研究があります

1.   望ましくない行動して罰せられる
2.  望ましくない行動しても罰せられない

予想では、「1. 望ましくない行動して罰せられる」をみたグループは、親の監視がない場合でも望ましくない行動はしないだろう、というものでした。これが証明されれば、いろいろな対処策が打ち出すことができるという希望がありましたが、研究結果はこの希望を打ち砕くものだったそうです。

つまり、どっちのグループも、監視がなければ望ましくない行動をとった、というものでした。

そしてこの研究からでた成果は消極的なものに留まり、罰せられない非行者や犯罪者に子供を接触させられないということでした。映画のR指定とかもこういう理論の裏づけも背景になってるかも知れませんね。


諸葛亮の時代の故事を、1970年代の研究理論からアプローチしてみましたが、

私情に流されず、愛弟子の馬謖を処罰する。

蜀の繁栄を願って苦渋の選択をした孔明の心境を桜並木を見ながら思い耽った、とある週末の午後でしたとさ。

「張郃×馬謖」のようにそれぞれのストーリーを、イベントなども駆使してプレーヤーにも楽しんでもらうカードを今後も登場させて欲しいですね。