光秀丹波を統治する! | 真空管のアナログ世界に魅せられて

真空管のアナログ世界に魅せられて

「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

安土時代の武将・明智光秀は信長の命により、丹波攻略の途に付きましたが、当時、丹波一帯は豪族・波多野秀治が統治していました。波多野秀治は山城・八上城にこもり頑強に抵抗しました。光秀は信長の機嫌を損ねる事を恐れ、正面作戦を放棄、懐柔作戦に出ました。


真空管のアナログ世界に魅せられて-高城山

 篠山城跡から八上城跡を望む


田舎

     八上城跡(右方角)


八上城

     八上城跡(高城山)


光秀は自分の母(一説には乳母とも)を人質に差出し、秀治に下山を勧めます。信長に掛け合い命を保障すると。しかし、信長はそれを許さず、秀治を処刑します。これで怒った八上城の家来衆は、人質の光秀の母を、松の大木に縛り、処刑。今でも山上にその松が存在します。


これで、2代続いた、皇家の流れを汲む名家、波多野家は滅びます。時に、1575年です。この山城は、関ヶ原の合戦後、篠山城が、藤堂高虎の縄張りで完成するとともに、廃城となりました。


地元では、この八上城の在った山を、高城山と呼んでいます。高さ400メートル程の小高い山です。現在は、ハイキングコースに成っています。頂上に至る、途中には血洗いの池とか、家老屋敷跡などがあります。


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