かみふ日記☆
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

2/23

3年間一緒に仕事をしてきた学生さんの送別会。


その仕事に関しては彼女の方が先輩なのだけど、ここ半年っずいぶん成長したと思う。

頼もしく思えてきはじめたと思ったらここで卒業。
春からは保育士さん。コツコツとがんばってつかみとった仕事。がんばれ。おめでとう。




今日の出席はギリギリまで迷った。
まったくの個人的な理由でだけど。。。

今日は亡くなった母の誕生日。
ちょうど1年前の今日、仕事帰りに珍しくケーキを買って帰っていった。
事前にアルコールがダメな母のためにおこちゃま用のシャンメリーを用意して。
そんなことは初めてだった。
結局その当日、私のご飯で終わりで、ケーキは数日経ってから食べた。もったいないなんて言って、なかなか食べようとせず、数日間経ってようやっと食べてくれた(まぁ、食べてしまうと半ば脅したけど)





結局、それが最初で最後。
毎年していこうと思ったのに。



そして今日の場所が、よりによって、母の1番お客様のいるビル… 私にも色んな思い出があって辛い場所。

でも、昨日、彼女との最後の仕事をして、決めた。
かわいいことに私のやり方を真似したりしてくれていた姿を見て、送ろうと決めた。と言いながら、そのビルに入るのには勇気がいったけど。


会はやはり和気あいあいと楽しい時間だった。
いままでならこれを報告する人がいたけど、1年経った今は違う。


そのビルの中には母のことを本当のお母さんと思ってくれたり、ファンでいてくれた人達がたくさんいるのだ。





当然のことながら、時は進んでいる。
ある人は母になり、ある人は父になり、就職もし…


私だけ。
何も変わっていないの。




涙が乾くまであとどのくらいなんだろう。





とても楽しいメンバーだから楽しい時間だったけれど、どうしても辛くて先に失礼させてもらった。
新人とその学生さん以外は、母のお別れに来てくれ、祈願してくれたり、演奏もしてくれた人達。そして、母もみんなのことが好きだったから。


挙式の仕事では、今まで以上に感情をもたないようにしているのだけれど、昨日の、お母さまとバージンロードを歩く花嫁さんの挙式は涙が止まらなかった。
それじゃいけないのに。


お母さんと歩かない場合には一緒に歩いてもらおうと思った叔父までも、追うようにもういない。


先生には今の私に挙式の仕事はどうしたものかと言われている。
たしかにそうだ。
だけど.、申し訳ないけれど、歌うことを思い出すために、そして耐えていけるために、仕事する。


                                                                                                                

1番厳しくストレートな講評をしてくれる人が、いないことが、こんなにも…なんだね。





2013/08/24

日々色んな手続きがある。
まさに次へのステップで前向きになっていくはずのものなんろうけど、同時に母親の名前がなくなっていくことであり、むしろ逆。


家族を持つ友人が
「所詮人は1人」だと言うことがある。
独身の私には想像しかできないことだからもどかしい。

でも、ということは確かにあった。
私の周りにいた自ら終わりを選択した人達、知る限り、みんな温かい家族がいる環境だった。
なのにどうして?とずっとずっとわからなかったけど、何となく繋がった部分があった。


命には肉体面と精神面の2つがあると思う。
精神面の命の火が消えた時、肉体の存在は成立しなくなるんだと。
悲しくて生きていられないという感情的なのとは違い、肉体の存在が許せなくなる。
何の言葉も届かない。
意味がわかるのと理解するのは別。


告別式後、ご住職より既に故人は縁のあった方々と極楽浄土で再会されていると言われた。
6人兄妹の3番目の母が1番先に行ったことは、とても不公平な思いでやり切れず、とてつもなく寂しくてわたしも行こうと思った。


だけど、生前中に体験出来なかった両親との時間の1人占めが出来ているのであれば、よしとしようと。
命日が父の日だったのも偶然じゃないとも思ったし。


しばらくするとまた自分も行きたいという思いは出てくる。
でも終わりにしたとしても、会える保証は現実どこにもない。
悲しいことに気付いてしまった。


事務的儀礼的なことが続いて過ごしていく中でもはっきりしてくるのは、倒れた経緯も含めて、自分の存在が許せないということ。


私の周りにいる大切な人にはこういう思いはしてほしくない。


一般的に母と娘の関係は激しいものと言われる。
我が家は例外になく激しかった。
だけど、辛辣な言葉を言われても私はそっちの方の思い出の方が救われている。
きっと、そんなのは激しい関係とは言わないという人もいるだろう。

だけど、私が聞きたくないなどと言って母親が私に遠慮したことがある。
これは本当に申し訳ない。辛い。
自分の態度の反省もだけど、やっぱり、知らないことより知っておくことが多いに越したことはないんじゃないかと。
共有した時間は救いになってくれると思う。


3月の終わり、無理矢理連れ出されて桜を見に行った。
その時に行ったこと、恥ずかしいと思ったけど2人で写真を撮ったこと、些細なことだけど、それが最後の写真になってしまったけど、行ってよかったと思ってる。
GWにやった鉢植えの植え替えも。

逆に忙しいからと拒否してきたことは、後悔以外の何もない。

入院中の生活を思ったら出来たことだったのに、いかに日々を努力していなかったかがわかる。


と言って、何を振り返っても何1つやり直せることはない現実。




3ヶ月前の今頃。
ちょうど宣告された時間。


もう3ヶ月。
まだ3ヶ月。


冬のコンサートの話、してたのはついこの間。



3ヶ月

3ヶ月前に戻って

もう1度チャンスほしい

まだ3ヶ月

でも戻らない


1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>