台湾に逃亡した蒋介石主席は昭和12年の中国大陸の蘆溝橋の銃声は

日本軍から狙撃されたのが原因で戦火を拡大したのが日本関東軍側で

責任は日本軍部と一連の政治家が負うべきだと主張した。極東裁判の

A‘級被告は近衛首相、板垣大将、松井大将などが絞首刑でその責任を

取らされた。戦前の一番大きな新聞は朝日新聞であり、主要紙は全部

戦争翼賛態勢の掛け声を叫んで日本人及びその他の国を戦争に

狩りだした張本人達であった。戦後はめまぐるしい程方向転換をやり、

民主主義の旗頭にいつの間にか変装してしまった。近衛首相の昭和

研究会に朝日新聞から数名の記者が参加した。ひとりは台湾の経済界、

メデヤ界で有名であった尾崎氏の息子の東京帝大出の尾崎秀実であった。

もうひとりは、佐々淳行氏の父上の広弘氏で、尾崎秀実は近衛首相

部屋の地下室で記者として勤務、ソ連のスパイとして情報が筒抜けであった。
広弘氏は「蘆溝橋の銃声は中国が打ったとは考えられない、日本側がうっ

たのだ」ともうしました。

この一発は現今では検証が進んで、中国側の仕掛けというのが常識で

有ります。朝日新聞の連載歴史検証には「蒋介石は日本に挑発をかけたが、
乗ってこないので、もう一発と通州の日本街の婦女子を襲い200人を

惨殺してしまい、その上に上海を無差別爆撃で追い討ちして、とうとう日本軍部

も邦人保護の為に立ち上がったのである。それまでは、近衛首相は

言に厳しく不拡大政策で進めたのだが、関東軍が現地で中国内部に

軍を進めたのでる。朝日は中国の都合が悪い通州事件には触れず、

上海の空爆も世界の目を向けさせる為の爆撃と戦後書いている。

その上で「日本軍は南京に侵攻して市内で兵士、民間人も含めて、南京

大虐殺事件を起こした」と書く、北京市の新聞社報道とみがまう戦前の

大東亜戦争指導新聞社である。日本人の当時の兵士の生き証言では

夜間の歩哨訓練の最中に後側から銃声が聞こえてきたので、走って

戻ると中国兵(中華兵)が遁走していくのが見えたのである。この一発が

何百発の打ち合いとなって戦線が拡大したのである。当時は日本軍は

邦人守護の為に駐屯していたのが他の国の軍隊駐屯と同じでありました。

現地で証言も無く歴史書を書く人がいます。歪曲、偽造、不正確な

内容はもう日本には南京事件、慰安婦問題などで充分厭な思いを

しています。怖いのはそのままの内容が鵜呑みにされてどんどん

世界に広がることであります。

日米台湾;
01-02-08.