台湾南部しか知らないが、基隆港は軍港でも有名であったし、船客の出入りが多かった

精もあり、戦時末期には、防空壕が当時の広重町に並んで造られていました。跡地が

廟になり清掃されて住民が週末に参詣にくるそうですが、その後マージャンなどして

朝の時間を井戸端会議で費やしているそうだ。

今回は廃墟になりそのまま放置されている防空壕もあるものは内部が綺麗で広く、倉庫に

利用されているのが多数あるそうです。最近小、中学生の社会科見学で防空壕を参観

することや、今後観光地として開発したいと整備の話が進んでいます。日本人には懐かしい
体験の場所でもあり、整備次第では寝室を整備して一泊でも観光客に泊まってまらうのも

いいでしょう。B-29の「ブーン、ブーン」と言う下で三泊した台湾沖航空戦の時期を思い出します。
「国民党政権下で何でも封印した台湾史の空白を埋めるのと、日本による近代化のための

歴史を客観的に見る戦争博物館にしたいと張通栄基隆市長が申しています。

かえって、日本の小中学生達が戦争の歴史を学ぶのに、良い現場であります。日本人は

既に、防空壕という単語すら知らない人が多いでしょう。

多くの日本人の果たした歴史が外国で客観的にみれるのは、良き学習となり、観光にも

役立つと言う發想はさすが台湾人である。