■大坂・竹本座で人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が初めて上演されたのは…


寛延元年(1748年)8月14日でした。

これは、元禄15年(1702年)の赤穂浪士による吉良邸討ち入事件をモデルにしています。

江戸時代は幕府により、
同時代の武家社会の事件を上演したり、出版することは禁じられていました。

そのため、市民に人気のある『忠臣蔵物』は、別な時代を設定していました。

この『仮名手本忠臣蔵』は、時代を室町時代として、浅野内匠頭を塩冶判官(塩冶高貞)、吉良上野介を
高師直に変えています。

これらは実在の人物で、
『太平記』の登場人物でもあります。

表面上は虚構の話としていますが、塩冶の『塩』は赤穂の特産品である
『赤穂塩』、高師直の
『高』は吉良上野介の役職である『高家』とかけています。

当然ながら、幕府もこれらのことは承知していたでしょう。

『仮名手本忠臣蔵』は、史実を少し含んだ『フィクション』と見るべきであると考えられています。

特に、浅野内匠頭が
吉良上野介に斬り付けた
『松の廊下刃傷事件』の原因を調べる場合、
『仮名手本忠臣蔵』は役にたたないでしょう。