■新政府軍と旧幕府軍が
鳥羽伏見で戦端を開始したのは…


慶応4年(1868年)1月3日でした。

前年の慶応3年10月14日、最後の将軍・徳川慶喜は
朝廷へ政権を返還しました。

これまでの理念では、
幕府は朝廷から政治の権利を委託されていると考えられていました。

幕府から朝廷への政権の
返還を『大政奉還』と呼びます。

これにより家康以来260年以上続いた江戸幕府は消滅しました。

しかし、慶喜には徳川家が政治の表舞台から消え去ることは全く考えていませんでした。

慶喜は
新政府内部でも実権を握ろうと考えていました。

それでは幕府時代と変わらないではないかと考える勢力がいました。

薩摩、長州、および朝廷内の幕府打倒をめざす勢力です。

彼らは、幕府に軍事的行動を起こさせ、それを口実に幕府を打倒しようと考えました。

そのため、江戸市中で騒動を起こして、旧幕府を刺激したのです。

その挑発に
旧幕府は乗ってしまったといえるでしょう。

京都を制圧すべく大坂から進発した旧幕府軍1万5千が、京都郊外の鳥羽伏見で新政府軍5千と戦いました。
3倍の兵力の幕府軍は、
武器、用兵に優る新政府軍に敗れました。

京都で倒幕の志士たちに恐れられた新撰組も、
近代兵器と集団戦法の前には無力でした。

この戦いで、徳川慶喜は
『賊軍』となりました。

幕末から明治維新までの日本国内の内戦を『戊辰戦争(ぼしんせんそう)』といいます。

この鳥羽伏見の戦いは
戊辰戦争の始まりでした。
これ以後、
戊辰戦争の舞台は
江戸市街での上野戦争や、
北陸地方、東北地方での
北越戦争、会津戦争、

箱館戦争へと
続くのであります。