「愛媛の芝居~明治初期~」という演題で、愛媛大学の神楽岡幼子先生が話された。


先生のお名前は(かぐらおかようこ)と読まれるらしく、准教授とのことだが、まじめなお顔をして面白いことを仰る。昔、同じような先生がおられたのを想い出す。


『芝居』という言葉は、舞台の正面の観客が居た場所は、戸外で芝が生えていたことから来ているという話しには頷いた。

観客も屋内になってから、芝居小屋の最上席は、両側にある桟敷で上下2段になっており、中でも舞台に向かって右側の桟敷は花道が正面に見えるので、最上席とのこと。


金毘羅の「金丸座」は1890年に造られたが、江戸中期の大阪劇場様式をモデルにしている


「内子座」は江戸風に造られているが、大正年間に建てられたもの。


芝居小屋は、もともと宇和島藩周辺に有り、今治の近くでは大三島にあった。


今治地方では、明治10年4月10日、温習会の稽古事の発表会(?)にも使われた。



《資料》

歌舞に名高き大友の娘おみつが座元で 今日から室屋町4丁目定小屋にをきまして 舞の興行が有升から 賑々しく御入来を ドンドウヽヽと 太鼓の音を聞くや 舞子の親々は誰も彼もと飛出し この舞台が済む迄は こちの娘は学校やお針へは遣りません お金を掛て習はした遊芸なれば 此度こそ数百の観者の前で 天晴やらさねばならぬ と丸で狂気の如くなツて居る者も有り 



神楽岡幼子准教授がご自身司会をされるという、講談「猿飛佐助」と題したシンポジューム(10/3土 13:00~15:00 今治地域地場産業振興センター1階展示ホール)(入場無料・事前申込不要)の紹介と、今治藩家老・江島家文書展(同日同会場10:00~17:00)の宣伝をして講演を終えた。