映画「春夏秋冬そして春」 | ある在日コリアンの位牌

映画「春夏秋冬そして春」

タイトル: 春夏秋冬そして春

 韓国の鬼才、キム・ギドク監督の作品。監督自身も「冬」のシーンに出演していましたね。

 

 老僧と青年・少年僧の話としては、このブログでも紹介している「達磨はなぜ東に行ったのか」(2月28日紹介)があります。この映画も映像美が素晴らしく、そしてセリフの少ない禅問答のような難解な映画でしたが、私は好きな作品でした。

 

 ところで、本題の 「春夏秋冬そして春」 は、タイトルの通り構成が 「春・夏・秋・冬、そして春」 と進んでいきます。

 小さな手漕ぎボートでしか行けない山奥の湖に浮かぶ小さな寺を舞台に、老僧と少年僧の人生が、まるで「自然が語り部」というのでしょうか、美しい四季折々の耽美的ともいえる自然の中で映し出されます。


 、少年僧は、いたずらに生き物を殺め、また死んでしまった生き物に悲しみを感じます。これは子供の誰もが持っている邪悪さと純粋さを意味するのでしょう。このような経験により人として成長していくのでしょうか。

 

 、少年僧は青年となりそのエネルギーは寺に養生にきた若い女性に向かい、その女性と通じます。しかし老僧に見つかり女性は家に戻されます。青年僧は、この女性を忘れられず、仏像を盗んで寺を飛び出します。

 すべてを知りながらも、青年をそのまま行かせた、老僧の「天」に任せ人の摂理を知るというのでしょうか、印象深いものがあります。


 、俗世にまみれていた青年は、殺人を犯し、逃れ逃れて昔いたこの湖水の寺に戻りますが、まるで悪鬼にとりつかれたように変わり果てています。 しかし昔、盗んだ仏像を処分せず、もとの場所に安置したということは良心が僅かに残っていたのかもしれないし、仏像が青年の心を唯一、光につなげていたのかもしれません。

 青年は老僧から、寺の板張りの床に般若心経を彫るように言われ、完成後、追ってきた刑事に捕えられ、また寺を離れていきます。

 

 一方、一人となった老僧は、ある日、自身の死が近いことを悟ります……。


 、荒れ果てた寺に、再び青年が壮年となって戻ってきます。老僧はすでにいません。湖水は厚い氷で覆われており、壮年僧となった彼は心身の鍛錬に励みます。そして、あるとき女性が赤ん坊を捨てに寺にやってきます……。


 そして春、あの捨てられた赤ん坊は少年僧となって……。


 仙郷のような映像の美しさと、人生の移ろいを、見事に描いた芸術的、寓話的な作品。「観賞」ではなく「鑑賞」というのが相応しい映画です。

 

 俗世にまみれている人には特にお勧めます(笑) 人生の重石をはかってみませんか?