玄侑宗久さんのインタビューをやっていました

僧侶であり 作家である方です


『アミターバ』という本をかいたきっかけは

お義母さまを見送ったときの経験だったそうです


もう医療ではなにもしてあげられない状況になったとき

お義母さんが 僧侶である娘婿に

「そろそろでしょうか?」

と聞いたんだそうです


玄侑さんは

「そんな気の弱いこと 言わないでくださいよ」

と答えてしまったことを とても悔いているようでした

『そろそろかもしれませんね』と答えるべきだった

と悔いています


そう答えてあげられたら

きっと それに続くいろいろな問いかけがあり

その問いかけに答えてあげることができてたら

お義母さまは もっと安らかに旅立てたのではないか

と 思っているのです


『アミターバ』の中で

玄侑さんは お義母さんに言ってあげたかった言葉を

物語の中で語っています



死に直面した人にかけてあげる言葉など

私にはないし

玄侑さんのような状況になったとしたら

きっと同じように

的をはずれた励ましの言葉を口にしてしまうと思います

乳がんになる前だったら 絶対そうだったでしょうね


自分が病気になってみて

見えるようになったことがたくさんあり


「そろそろですか?」

と もし私は発したとしたら その時は


「そうですね そろそろなのかもしれませんね」

と答えてほしいと思ってます



『なるようになる』と思うとは

『どうでもいい』と投げてしまうことではありません


あらがっても仕方がないことをくよくよ考えるのはやめ

今まだ息ができる自分の命の力に感謝して

今 自分ができることをこなしていこう・・・という思いです


迷いは 常に背中にへばりついています

悲観的になる気持も

人をうらやむ気持ちも

私を理解してくれない人への恨みも


気を許した瞬間背中がぐぐぐぐぐ・・と重くなる



死が近づいてきたとき

きっと 本人にはソレとわかるんじゃないのかなぁ

と思っています

だから 

父は「その時」何をかんがえていたんだろう。。。

と思います

「そろそろなのか・・・そうか

 いい人生だったなぁ・・・」

と思って逝ってくれたのならいいんだけど



そう きっと思うんだよね

「そろそろかなぁ」って

その時に

「楽しかったなぁ・・・やりたいことやったし

素敵な人たちにも巡り合って 楽しかったし」

と思いたい



どう死ぬか ということは どう生きるか ということだ

・・・・と 誰かが言っていたけれど

うん ホントにそうなんだなぁ 



「そろそろでしょうか?」の一言から

ずいぶん飛躍してしまいましたが・・・・(苦笑)



玄侑さんの本 私の本棚には1冊もありません

『アミターバ』を読んでみたいと思っています