「こんちはあ、美和ちゃん」

「へ……あ、こんにちは」

 いきなり居間に、お兄様と一緒に現れた男性に軽快に話しかけられる。一体誰なのだろう……?

「もう、かーわーいーいー! はーちゃんが羨ましー!!」
 
 お兄様に対してこの態度……。あの電話の”杉園真樹”と名乗った男性を思い出す。

「あの……もしかして杉園真樹さんですか?」

「そお! 良く分かったねえ!」

「あ、電話で来るって仰っていたので……。まさか本当にいらっしゃるとは思わなかったですけれど」

「でも来ちゃったんだよねえ。美和ちゃんに会いに!」

「ありがとうございます……」

 顔が近い……。とても綺麗な顔立ちをしているけれどお兄様には及ばないかも……と思ったりしてしまう。だが、それにしても調子が狂うなあ……この人。お兄様のことを”はーちゃん”と呼ぶ人を初めて見た。それより何よりお兄様は”はーちゃん”っていう柄じゃない。

「おい、美和に近づくな」

 杉園さんが私の手を握った手を勢いよく叩くとお兄様は杉園さんを冷たくあしらった。

「ひどおい、はーちゃん……ぐす……」

「ぐす……ってなあ、お前良い年した大人だろう。気色悪いんだよ」

「気色悪くないもん!」

 お兄様も呆れて黙ってしまう。これには私も苦笑いするしかなかった。こんな人がお兄様と御学友だとは……驚きである。

「美和ちゃん! 今日はご飯、ご馳走になるね! 宜しく!」

「はい……宜しくお願いします」

 懲りずに杉園さんは再び私の手を握り、上下に振る。杉園さんの背丈はお兄様と同じように大きいから、杉園さんは腰を屈めて手を握るかたちになる。



「遙様、御夕飯の御用意が出来ました」

「ああ」

 女中が食事を運び、私たちは席についた。何故か杉園さんは私の隣りに座り、しかも椅子と椅子との間隔が狭い。何となくまだ初対面であることもあり、そのまま何も言わずにいると、それに気づいたお兄様が凄い形相で杉園さんを睨む。しかし、杉園さんはそれに怯むこと無く椅子の間隔を縮めていく。

「おい、杉園。調子に乗るなよ。飯を食う挙げ句、美和に近づくとは……」

 わなわなと箸を持つ手が震え始める。お兄様……ご乱心か。

「えー。だあってー美和ちゃん、かっわいいんだもーん。ねー? 美和ちゃん」

 言いながら、杉園さんは私の手を机の下でまた握る。ここまで行くとセクハラの域に達してくる……。

「は……はあ……あの、それより手を……」

「え?」

 そう言うと杉園さんは握り方を変え、指を絡ませるように握ってくる。

「杉園さん……」

 困ったようにそう言うと杉園さんはにこっと笑った。パッと見はとてもカッコいいけれど、こうやって笑うと杉園さんはとても可愛い。母性本能をくすぐられる……。

「やあだーっ、美和ちゃん可愛い! はーちゃん! 美和ちゃんを嫁にくれ!」

「ふざけるな!」

 お兄様にそう言われると杉園さんは頬を膨らませる。

 パッと手を離されると左手は自由になった。杉園さんは私の手を握っていた右手で箸を持つと、焼き魚に手をつけた。

「美味い! 何だこれ!」

 杉園さんは絶叫すると白米と一緒に恐ろしい早さで食べ進めた。しかし、そこには品の良さが漂っている。躾が行き届いているのだなあ、と思う。

「はーちゃん、ありがとお。美味しかったあ」

 杉園さんは誰よりも早く食べ終わると箸を丁寧に置く。

 数分すると、お兄様も私も食べ終わると女中が丁寧に皿を下げて行く。

「ねっ、美和ちゃん。ちょっと来て!」

 いきなり手を引っ張られ立ち上がる居間を立ち去り、奥まった廊下へと連れられた。

「遙さあ、凄いシスコン振りだね」

 杉園さんは私にウインクした。

 可愛い……瞬間的にそう思ってしまうのも無理はない。

 でも、シスコンだなんて……有り得ない。

「そんなことないです。お兄様はとっても私に厳しいんです」

「そうかもだけど、それも愛情の内じゃない?」

 そう言われて一瞬悩んでしまうけれど、その考えも振り切った。

「いいえ、そんなことないです」

 だってあの毎夜の情事を愛情とは言えないから。

「でも……お兄様は、杉園さんにだけは本心で接しているんだと思うんですよね」

「え?」

 お兄様の怒った顔も、初めて見た。お兄様は誰にも感情を見せないのに、杉園さんには見せるのだ。

 それが何だか―……。ん? ……何だろう?

 それでもお兄様には本心で語り合える友人がいたのだな、と驚いたのだ。

「お兄様があんなに楽しそうな顔を見せるなんて、信じられないんです。でも実際そういう表情をしている」

 改めて杉園さんの顔を見上げる。杉園さんも私を見返す。

「貴方のお陰です、杉園さん」

「美和ちゃん……」

 杉園さんは一瞬嬉しそうな顔をしたが、それも一瞬で、考える姿勢をした。

「ん―……それは違うよ、美和ちゃん」

「え?」

 今度はこちらが尋ねる番だった。

「確かに遙は俺の相手をしてくれるけど、俺を信用してるってこととは違う。遙は俺を信用してない」

「そんな……っ。杉園さんは、それで良いんですか?」

「勿論嫌だよ。だって俺は遙のこと信用してるし、親友だと思ってる。なのに遙は俺を信用してないなんて辛いだろ? 片思いみたいだよな」

「―……」

「でも、仕様がないんじゃないか? 美和ちゃんだって遙と同じように人を簡単には信じられないだろ」

「それは……」

「俺たち良家の子どもの宿命だよ。家柄目当てで寄ってくる奴が多すぎるんだ。結局は家柄目当てだったのかってことを知ってしまうと絶望する。俺も、君も、遙も」

「でも……私には信じられる友人がいます」

 そう言うと杉園さんはにっこりと笑った。今度は大人の男性の微笑みだ。

「君には信じられる友人がいるだろうけど、遙にはまだいない。だから俺が遙の信じられる友人になるんだ」

 そこまでお兄様を思ってくれる人がいたなんて……。お兄様は氷のように冷たい人だから誰とも関わりがないのかと思っていた。だけどそれは間違いだった。お兄様の氷を溶かそうという人物がいて……。

「ありがとうございます。お兄様を宜しくお願いします」

 頭を下げると杉園さんは私の頭をポンポンと叩いた。

「大丈夫。それに美和ちゃんだって遙の」

 ―…………

「妹でしょ?」

 あ―……

「大丈夫だよ。美和ちゃんには遙の心、開きかけてるから」

 ………………妹だなんて………………急に突きつけられた現実。

 いいや、元から突きつけられていた事実だ。それなのに私たちは……。

「美和ちゃん? 大丈夫?」

「はい……大丈夫です」

 声……震えている?

 お兄様と私は兄妹なのだ……それなのに……。

 涙が出て来た。

 仕様がないこと? そうだよ……仕様がないこと……。

 それでしかお兄様との関係は理由づけられない。