熊野那智神社(宮城県名取市)(2018-6-25追記) | 碧風的備忘録

碧風的備忘録

- 参拝した神社仏閣についての個人的備忘録 -
ゆるく、気ままに、なんとなく書いていきます。

熊野那智神社(くまの なちじんじゃ)

 

宮城県名取市高舘に鎮座。旧社格は村社。

主祭神として海を支配する龍神である羽黒飛龍大神(はぐろひりゅうのおおかみ)

縁結びの女神である熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を祀る。

 

その他に、黄泉事解男命(よもつ ことさかのお)・家津御子神(けつみこのかみ)

熊野速玉神(くまのはやたまのかみ)・大穴牟遅神(おおなむちのかみ)

天照大神(あまてらすおおかみ)を配祀している。

 


お祀りしている御祭神については、熊野那智神社側でも諸説あり、

現在は上記の七柱を祭神としています。

 

『宮城県神社名鑑』では、御祭神は事解男命(泉津事解男命)で、

伊弉冉命(いざなみのみこと)・早玉男命・健御賀豆智命(たけみかづちのみこと)

大山咋命(おおやまくいのみこと)・稲倉魂命(うかのみたまのみこと)、

大穴牟遅命(おおなむちのみこと)を配祀すると記載。

 

熊野那智神社が昭和時代頃に発行していたと思われる由緒書によれば、

御祭神は事解男之神・早玉男之神・伊弉冊之神(いざなみのかみ)、

稲倉魂之神・大巳貴之神・事代主之神(ことしろぬしのかみ)

御年之神(みとしのかみ)・奥津彦之神(おきつひこのかみ)・

奥津姫之神(おきつひめのかみ)・菊理姫之神(くくりひめのかみ)などを

御祭神としています。

 

平成23年から平成24年頃に社務所で配布されていた

由緒書によれば、御祭神として羽黒飛龍神(はぐろひりゅうのかみ)と

伊弉冉尊(いざなみのみこと)を主祭神として祀り、

相殿神として黄泉事解男命・国常立尊(くにとこたちのみこと)

伊奘諾尊(いざなぎのみこと)・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)を

祀るとしています。

 


主祭神である羽黒飛龍大神ですが、山形県鶴岡市の

羽黒山の出羽三山神社・三神合祭殿が鎮座している場所には

『鏡池』という池があります。

出羽三山神社・三神合祭殿と鏡池。

 

羽黒山の鏡池には、龍神である九頭龍王が住んでいるそうです。

また、羽黒九頭龍王は海神で、龍宮に住むとも伝えられています。

 

文永・弘安の蒙古襲来の時に、羽黒九頭竜王の御加護によって

蒙古軍の船を全て撃沈したという言い伝えがあります。

その報賽として、三神合祭殿前には鎌倉幕府より派遣された

鐘大工により羽黒山で鋳造された大鐘が現在も置かれています。

羽黒山の鐘楼と建治の大鐘(国重要文化財)。

 


熊野那智神社の創始については諸説あります。

時代の変遷とともに差異があるようですが、
だいたいは同じような内容ですので、まとめて書かせていただきます。
 
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元正天皇の御代である養老元年(717年)のこと、名取の地の海辺にある

廣浦(現在の閖上地区広浦)に治兵衛という漁師が住んでいました。

 

ある日、沖に船を出し漁をするものの何も採れず、

もう帰ろうとしていたところ、藤で作られた筏(いかだ)に乗せられて

波間に浮かぶ、光り輝く不思議な物体を見つけました。

 

治兵衛はとても驚き、これを網で引き上げてみたところ、

思いがけず不思議な物体を得た治兵衛は大いに喜び、

この不思議な物体を御神体として大切に自宅内にお祀りし、

毎日朝夕に供物を捧げて、欠かさずお参りをしました。

 

なお、治兵衛が見つけた御神体が乗っていた藤で作られた筏ですが、

御神体を拾い上げた後、海中に解き放たれましたが、それが廣浦の向こう岸に

流れ着き、その地に根付いて大きな藤の木に育って塚を成したことから

その地は『藤塚(ふじつか)』と名付けられたと伝わっています。

現在、若林区藤塚の地には五柱神社という天照皇大神、賀茂別雷命、素盞嗚尊、

倉稲魂命、天児屋命の五柱を祀る神社が鎮座しています。

若林区藤塚に鎮座する五柱神社と『藤塚』。

東北地方太平洋沖地震による大津波で社殿が流失しましたが、

2018年春現在、新しい拝殿と流造の御本殿が再建されています。

 

治兵衛が御神体を波間から発見して3年が経過した頃、閖上の浜から

西方の山へ向かい飛んでいく不思議な光を人々が目撃しました。

驚いた人々は神託を求めたところ、

『私は羽黒飛龍神である。私を西方の山へ祀れ』という託宣がありました。

 

治兵衛は自宅に御神体をお祀りすることが不敬であったと感じ、

不思議な光が留まる西方の山であった高舘山の山頂に御社を建て

御神体をお遷しし、『高舘山羽黒飛龍権現』としてお祀りしました。

そして、治兵衛は高舘山に留まり羽黒飛龍権現に永く奉仕したということです。
これが養老3年(719年)6月10日のことでした。

 

また、羽黒飛龍大神から、

『波のまにまに、水の門なる広浦に揺り揚がることを以て、

門に水を配して閖上り(ゆりあがり)の浜と称せよ』という託宣もあり、

この頃から、廣浦を閖上(ゆりあげ)と改めて呼ぶようになったということです。

 


時は過ぎて、現在の下余田地区付近には昔、紀州の熊野三社を

熱心に崇敬していた名取老女という者が住んでおりました。

 

名取老女は毎年のように紀州熊野三社へ参詣していましたが、

年老いてしまい、なかなか熊野へ足を運ぶことができなくなったため

地域に熊野三社の分霊を祀る小祠を建ててお参りしていました。

 

ある日、名取老女のもとへ旅の山伏が訪れてきました。その山伏は名取老女に、

「私は陸奥の松島へ参詣するために熊野権現へお参りしたところ、

夢枕に熊野権現が現れて、

『奥州に熊野権現を熱心に崇敬する者がいる。若い頃は

よく熊野へ詣でに来ていたが、年老いてからはなかなか

来れなくなったようだ。それでも、毎日礼拝を欠かさぬその者に

この梛(なぎ)の葉を届けて欲しい』と申されたのです」と伝えました。

 

山伏から梛の葉を受け取ると、そこには

『道遠し 程もはるかに隔たれり 思ひ起こせよ 我も忘れじ』

と、虫食いのような文字が書かれていました。

それを見た名取老女は熊野権現の取り計らいに感激し、

名取の熊野堂や高舘の地に紀州より熊野権現の御分霊を勧請したということです。

下余田地区の名取老女の墓(左)と熊野那智神社(右)

 

鳥羽天皇の御代である保安4年(1123年)、

名取老女により紀州熊野三社の御分霊が名取に勧請されました。

その際、名取老女は仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を

熊野の山々に見立て、熊野新宮・熊野本宮・熊野那智宮を紀州熊野三社と

同じ配置にして御分霊を勧請し社殿を建立したということです。

 

高館羽黒飛龍権現社には熊野那智宮の御分霊を合祀し、

『熊野那智山大権現』と称しておりました。

 

その後も伊達藩の領地になると、代々篤い崇敬を受け、

社領や社殿の寄進や、祭祀料として凛米(領主の蓄えている米)から

毎年三石五斗の寄付を受けるなどの保護を受けていました。

 

明治の初めに社名を熊野那智神社へ改称し、

明治5年に村社に列格、明治40年に供進社に指定されました。

(記録上は熊野那智神社への改称は明治初めということですが、現在、

熊野那智神社の拝殿には、嘉永3年(1850年)に作成された熊野那智神社名義の

扁額が掲げられています)

 

明治の初めに、羽黒飛龍権現の末社であった春日神社を合祀し、

明治42年1月には近隣に鎮座していた日吉神社・田神社・薬師神社を

合祀しています。

 


名取市に鎮座する熊野那智神社です。

熊野那智神社は高舘山の頂上に鎮座しています。

 

表参道は高舘小学校のそばから続いており、

高舘小学校のそばには、熊野那智神社の仮宮が鎮座しています。

熊野那智神社仮宮(遥拝所)。

社殿内部には二基の御神輿が納められています。

 

仮宮の横から県道118号線に入ると、廣浦に揺り上げられた

十一面観音を移管する那智山紹楽寺や熊野那智神社の表参道へ向かいます。

 

…が、熊野那智神社の表参道は舗装路ではなく未舗装の砂利道のため、

車で熊野那智神社を参拝される際は、那智が丘経由で神社に繋がる舗装路を

おすすめします。道中には看板が出ていますので、それに従えば神社に着きます。

 

熊野那智神社参道入口。

 

参道の石階段。五月末まで鯉のぼりが飾られています。

 

熊野那智神社御神門。御神門は展望台となっており、天気が良いと

御神門から見て左側に牡鹿半島や金華山、右側に相馬の火力発電所が見えます。

熊野那智神社御神門からの眺め。

御神体が見つかった廣浦(閖上)が神社の真正面に見えます。

 

 

熊野那智神社境内。

 

熊野那智神社拝殿。

 

熊野那智神社拝殿扁額。

裏側には

『嘉永三年庚戌五月十三日甲辰書之

万壽亞相三十四世 入木相承 石川源清胤』とあります。

 

この扁額は、万壽年間に亜相(大納言)であった者の三十四世で、

入木道(書道の別名)の相承(伝承者)である石川源清胤という

人物が揮毫したものということになると考えられます。

 

扁額が作成された時には、すでに熊野那智山大権現という名称から

熊野那智神社という社名が使われていた可能性があるということです。

 

春日造の熊野那智神社御本殿。

御本殿の周囲には、勧請に関係する漁師の治兵衛と名取老女を祀る石標が

建てられています。

治兵衛之社(治兵エ之社)と老女之社。

 


境内社として、社殿裏手に石祠が並んで鎮座しています。

2018年初夏の熊野那智神社の境内社(末社)。

 

写真左側から、

・葉山大権現石碑:山の神である葉山大神を祀る神社で、仙南地域や福島県などは

         葉山信仰が強いエリアのため、葉山神社・羽山神社が多く

         鎮座しています。

         御祭神として山神や農耕神である葉山祇神や大山祇神の他に、

         医療や薬の神である少彦名神をお祀りしている事があります。

 

・稲荷大神や春日大神、天照大御神、薬師大神を祀る小祠。

 

・老女之宮:名取熊野三社を勧請した名取老女を祀る石祠です。

 

名取老女が紀州より熊野三社の御分霊を名取の地に勧請する際に、

名取老女のお付きとして一緒に旅をしていた方々を祀る小祠。

老女之宮をお護りするように鎮座しています。

 

・高舘神社:御祭神として高舘城主であった奥州藤原氏の藤原秀衡公を祀る。

      高舘神社は、もともとは神社のそばにあった高舘城の場所に

      鎮座していたということです。

・由緒不明の石碑:表面が摩耗してるために由緒不明の石碑ですが、

         老女之宮の石祠とともに古くからあったものだそうです。

・愛宕神社:旧『愛宕山』、火の神・刃物の神である迦具土神(火産霊命)を祀る。

 

・秋葉神社:旧『愛宕山』、火の神・刃物の神である迦具土神(火産霊命)を祀る。

・日吉神社:旧『山王権現』、山の神や酒造の神である大山咋命を祀る。

・八幡神社:八幡大神(応神天皇)を祀る。こちらの八幡神社は、地域で

      お祀りしていた八幡神社を遷座したものということです。

 

また、熊野那智神社の北西にある電波塔のそばにも石祠があります。

電波塔そばの石祠。高舘村に合併された吉田村から奉納されたもので、

お話しによれば、羽黒飛龍権現社の元宮だという説があるんだそうです。

(2018年初夏現在、内部に蜂の巣があるので、遠くから遥拝をおすすめ致します)
 

熊野那智神社の鐘楼。

鐘楼の横の赤い手すりの階段を下に降りていくと、高舘飛瀧神社(那智乃御瀧)と

滝沢不動尊があります。

 

飛瀧神社参道と高舘飛瀧神社(那智乃御瀧)・滝沢不動尊境内。

 

高舘飛瀧神社(那智乃御瀧)

御祭神は大国主神と同じ神である大巳貴命(おおなむちのみこと)です。

熊野那智大社の飛瀧神社と同じく、社殿はなく、御神体である那智乃瀧を

参拝するスタイルとなっています。滝には不動明王の石像が祀られています。

 

滝沢不動尊。祠の中には不動明王像が祀られているとのこと。

こちらのお堂は、麓の那智山紹楽寺の管理だそうです。

 

那智が丘から神社に向かう途中には紹楽寺観音堂があります。

熊野那智神社裏参道にある紹楽寺観音堂。

こちらの観音堂は閖上に『揺り上げられた』とされる秘仏の十一面観音像

お祀りしているお堂です。

揺り上げられたと伝わる十一面観音像は、もともとは熊野那智神社の別当であった

羽黒山物響寺の本尊でした。その後、物響寺が火災で焼失した後は、麓の紹楽寺が

十一面観音像を管理しているそうです。

 


熊野那智神社の境内地は様々な樹木が生育しています。
その中でも巨大な熊野那智神社の御神木が数本あります。
 
熊野那智神社の御神木『山一ノ杉』。樹齢は800年~1000年ほど。
高さ約30m・目通りの周囲が約5mほどの杉の巨木です。
あまりの巨大さに、国道4号バイパスからでも姿が見えます。
言い伝えでは白蛇が住んでいるそうで、神社に作業に来た大工さんも
白蛇の姿を見たことがあるのだというお話でした。
 
拝殿左手にある『夫婦杉』。
大小2本の杉の木の枝や幹が絡み合って結ばれていることから、
陰陽和合・縁結び・子孫繁栄の御神木とされているそうです。
 
駐車場わきにあるイチョウの古木。通称『乳の木』。
樹齢は1000年ほどで、枝の下から乳房のような気根が出ています。
乳の出が少ない人は、このイチョウの木に布で作った2個の乳房と甘酒を
お供えして祈願すると乳の出が良くなるという言い伝えがあるそうです。
また、婦人病に悩む人はイチジクを蒸し焼きにしてお供えして
祈願すると治るという話もあるということです。
 
こちらのイチョウの木は、仙台市宮城野区銀杏町にある
『乳銀杏』の木と姉妹木という伝説もあるんだとか。
宮城野区銀杏町の乳銀杏と姥神社。
 
イチョウの根元付近の斜面からは水が湧き出しており、以前は飲用水などとして
使用していたことから。今後、御神水として参道を整備する予定とのことです。
熊野那智神社の湧水。結構な水量が湧き出ているということです。
一応整備された斜面にありますが、竹やぶ地帯が道を塞いでおり、
階段はありますが滑りやすく危険なため、訪れるには宮司さんの許可が必要です。
 
また、現在の熊野那智神社の鎮座地は、閖上浜から羽黒飛龍大神の御印である
龍燈(龍神の灯す炎とされている不思議な物体)が登ってきた場所とされており、
神社前のこの湧水がある沢は『燈籠ヶ澤』と呼ばれていたそうです。
 

熊野那智神社には社宝である『懸仏(かけぼとけ)・銅鏡』があります。

熊野那智神社社宝の『懸仏・銅鏡』(神社由緒書より抜粋)。

 

熊野那智神社創建当初に別当であった市明坊大光院の境内に鎮座していた、

武神・弓矢の神である八幡大神(誉田別尊)を祀る八幡宮の御神体であった掛仏。

八幡宮では弥勒菩薩・勢至菩薩・薬師如来・大日如来・釈迦如来の五体の掛仏を

お祀りしていたそうです。現在は四面の掛仏のみ残されています。

 

熊野那智神社の懸仏は、銅板に聖観音や梵字などが

線刻されたり立体的に装飾されている物です。

これらの懸仏などは、明治31年(1899年)に参道工事のために

社殿を後方に移す際、幣殿床下から偶然発見されたものだそうです。

ほとんどの懸仏・銅鏡は平安末期から鎌倉時代のもので、一部が

昭和41年に県指定、同49年には国指定重要文化財になっています。

 

また、明治35年には神殿床下から『大国主神像』も発見されており

社宝に指定されています。大きさは六寸五分(約18cm)だそうです。

 

その他に、熊野那智神社には原田甲斐が奉納したと伝わる

社宝の槍があります。

社宝の槍『伝・原田甲斐の槍』(室町時代・笹穂槍)。

記録によれば長さ9尺(約2.7m)、穂先は9寸(27cm)。樋は朱色に塗られており、笹穂型の槍身です。

槍身の樋下部に『原田』と線刻されており、茎の部分には『濃州関之住長作』と

銘があります。記録には2.7mの槍ということですが、現在は穂先のみが

あります。明治37年に当時の社掌(宮司)家より奉納されたものだそうです。

 


熊野那智神社の御朱印ですが、

境内の社務所・授与所で拝受することができます。

熊野那智神社御朱印。

写真左の震災後に授与されていた御朱印は社名印のみでしたが、

2017年現在授与されている物は那智滝を模した御神紋入りの御朱印と

なっています。

 

また、独自の授与品として、『熊野那智神社烏牛王神璽』があります。

熊野那智神社・烏牛王神璽(牛王宝印)。

熊野神社の御眷属であるカラス(八咫烏)の姿を組み合わせて

それぞれの神社名を形作っている護符です。

八咫烏は導きの神であり、この護符は悪魔退散・陰陽和合

生業隆盛・旅行安全・学業成就・健康長寿などを

もたらしてくださる、とてもありがたい御札とされているそうです。

 

2017年現在、名取熊野三社では、

熊野那智神社と熊野新宮社で烏牛王神璽の授与が行われています。

また、その他にも、八咫烏をかたどった御守や羽黒飛龍大神の御神符などが

授与されています。

 


(追記:2017-08-11)

2017年8月から、熊野那智神社ではオリジナル御朱印帳の

頒布を開始しました。

熊野那智神社オリジナル御朱印帳。

熊野神社の象徴で太陽と導きの神である八咫烏を中心に置き、

上から時計回りに、右上の三本曲線は『名取川の流れ』、

桜紋は御神門の下の方にある広場に植樹された『閖上の復興桜』、

八咫烏の下にある1本の曲線は神社のそばを走る『東街道』、

東街道を表す曲線の下には、熊野那智神社が鎮座する『高舘山』、

イチョウの葉は境内にある『乳銀杏の大木』、

そして、八咫烏の左側には神社裏手にある『那智の滝(飛瀧神社)』が

表面には透かしで、裏面には金糸を持って刺繍されています。

 

オリジナル御朱印帳の御初穂料は、御朱印込みで1500円となっています。

(遠地などにお住まいの方にも連絡があれば郵送してくださるということです)

 

また、御朱印にも、八咫烏の絵の金色の印が増えました。

熊野那智神社御朱印(2017年8月授与開始エディション)と御守。

熊野那智神社の周囲の風景と八咫烏をデザインした金印が増えました。

 

墨書の方にも、熊野那智神社の社名の『野』の字が、

異字体を用いた拝殿扁額の文字と同じものになりました。

また、2017年8月からは、御朱印帳や御朱印にも押印されている

熊野那智神社の八咫烏印をモデルにした新作御守の授与も行っています。

熊野那智神社の八咫烏御守の御初穂料は800円です。

 

(追記:2017-10-06)

境内社の高舘飛瀧神社の御朱印ですが、

もし希望があれば授与していただけるそうです。

熊野那智神社・高舘飛瀧神社御朱印。

 

(追記:2017-12-18)

正月期間にオリジナル御朱印帳を購入された方限定で、

見開きの特別御朱印が記帳された御朱印帳が授与されるということです。

正月期間にオリジナル御朱印帳を購入された方限定の見開き御朱印(見本)。

上の写真のように、見開きで熊野那智神社の二柱の主祭神である

羽黒飛龍大権現・熊野夫須美大神の御神名が墨書された特別な御朱印を

授与するということです。

 

(追記:2018-06-25)

6月下旬より、熊野那智神社の御朱印がリニューアルされ、境内に鎮座する

高舘飛瀧神社(那智乃瀧)の御朱印も増えました。

熊野那智神社・高舘飛瀧神社の新御朱印。

2018年6月下旬より授与開始しているということです。

 

素敵なデザインのオリジナル御朱印帳の授与も始まった熊野那智神社です。

名取熊野三社参りの際には、熊野那智神社の御朱印帳で御朱印をいただき、

それを機に、各地の熊野神社をお参りしてみるのもいいかと思います。

 


< 地図 >

備考:那智山紹楽寺方面からの表参道は砂利の未舗装路のため、

   熊野新宮社や熊野本宮社方面から那智が丘に上り、

   那智が丘公民館の方から神社へ入る裏参道を推奨。

   (途中に数か所、神社への案内看板があります。)

 

・熊野那智神社 公式ホームページ:http://kumanonati.com/

・熊野那智神社 公式twitter:https://twitter.com/takadatenathi

・熊野那智神社 Facebook : https://www.facebook.com/takadatenathi/

 


< 創建1300年事業へのご協力のお願い >

 

2019年は、漁師の治兵衛が廣浦に揺り上がった羽黒飛龍権現の御神体を見つけ、

その御神体が高舘山に設けられた社殿にお祀りされるようになって1300年となる

年です。

 

熊野那智神社では、2019年に熊野那智羽黒飛瀧権現が祀られている高舘山から、

御神体が揺り上がった廣浦(現在の閖上)までの約10kmを御神輿が渡御する

【濱降神事】の復活と、明治期に神社床下から発見された社宝である【懸仏】の

収蔵庫建設のための御支援・御協力をお願いしています。

 

【創建1300年。宮城県名取市の熊野那智神社の歴史を後世へ】 熊野那智神社への御支援ページ

 

支援への返礼品として、境内に名前が掲示される他に、創建1300年記念の

特別御朱印帳と御朱印帳袋にクラウドファンディングでの支援者向けの

特別御朱印が記入された物や、神社境内の湧水を使用した御神酒の授与、

濱降神事への参加権などがあります。

 

もし、熊野那智神社への神事復活や懸仏の収蔵庫などに興味がある方や

御支援いただける方は、何卒御協力のほどよろしくお願い申し上げます。