まず最初に言っておきたいんだけど、俺が初めて「PUNK ROCK」というものを聞いたのはHI-STANDARDじゃないんだよね。
記憶を辿ったら初めて聞いた「PUNK ROCK」は実はGREEN DAYだったんです。
その頃の俺は所謂「ビジュアル系」にハマっていました。まぁ、たぶん同じくらいの年代の方は分かると思うけど、当時なんてネットなんてもんはないからYouTubeなんてもってのほか。
だから「テレビ」の影響力たるやハンパじゃなかった。
今でも当たり前に家に帰ってきたら「テレビ」をつけて今日は何が起きたか、好きなサッカーや野球の情報を見て興奮したり、好きなお笑い番組を見て、夏目ー!!ってTwitterで呟いてみたり(フォロワーの皆さんいつもすいません)
それくらい「テレビ」の影響力ってすごかったんだよね。だってさ、「テレビ」が最大の情報収集のツールだから。次の日に学校で話題に上がるのはまずみんなが見てるであろう番組の話。
だから当時の音楽番組を見て流行ってる音楽にハマるのは、当然というか必然というのか…。中学生の多感な時期に「テレビ」で流れる「ビジュアル系」の音楽に流され、心を打たれ、そのうちに楽器に興味を持ち出したんだよね。
初めて地元の仲のいい友達とコピーしたのはGLAYとLUNA SEAでした。ちなみに今でもGLAYとLUNA SEAは聞いてます。やはり多感な時期に聞いたとあって離れられない関係なのです(笑)
ちょうど楽器を弾き始めてる時に、地元の同じグループの一人に「これ聞いてみなよ。かっこいいよ!」といわれて、無理やり渡されたのがGREEN DAYでした。
……一番最初の印象は「英語で歌ってんじゃん。わけわかんねーよ。」でした。拒絶反応まではいかないけどまるで興味が沸きませんでした。
その友達から伝染するように同じグループのみんなも聞き始め、いつしか取り残されてるような感じにはなったけど俺が今好きなのは「ビジュアル系」だからあまり聞いてなかったと思います。
それから少したった頃、誰かは忘れちゃったけど友達の一人が「これ聞いてみな。英語の歌詞だけど歌ってんのは日本人だから。」といってCDを渡されました。
それがHI-STANDARD。
正直、聞く前は興味無かったんですが聞いてみると不思議とすんなり聞けちゃったのを覚えてます。
なんつーか外タレ感のない、かといって懐かしい感覚もあるわけでもない、失礼だが誤解を恐れずに言えば「音が汚い」「とりあえず速い」「とにかく荒い」という斬新な音に魅力されました。
当時の「ビジュアル系」の曲でベースソロなんてほぼありませんでした。今では普通に入ってるものもあるけど、あの頃はまずなかった。それがMAXIMUM OVER DRIVEとかNEW LIFEでは普通にベースソロがはいってまして。みんなで楽器を弾き始めた時からベースしか触ったことのない俺からすればギターソロみたいに弾いてる訳じゃないにしてもベースがクローズアップされることが衝撃的で。なんか嬉しいっていうか。そんな気持ちでした。
だけどそれでも毎日は聞いてはいませんでした。今の言葉を使えば「セルアウト」しちゃう感じがして。この頃から少し頑固だったのかもしれないのです。
それから中学校を卒業して少し音楽から離れました。高校の友達は楽器にあまり興味の無い奴等ばっかりだったから。こーいうところでも流される俺は少しずつ高校の友達と遊ぶようになり、地元の仲のいい友達と遊ぶことが無くなっていきました。
通ってる学校が他のみんなとは逆方向だったのもあります。それ以上に高校の友達はワルいやつらばっかりだったのでそこに居場所をみつけ、楽器を弾く時間を無くして夜になればみんなで集まって下らない話題をネタにして集まっては笑い話をしていました。
…正直、楽しかったです。これはホント。だけどそれで少しだけ。ほんの少しだけモヤモヤっとした気持ちがありました。
その頃にはもう「ビジュアル系」はあんまり聞いてなくて、たぶんCDもあまりかってなかったんです。そんなときに高校の友達から「HI-STANDARDの新譜出るらしいよ」との情報を得てCDショップに行って買ったのがMAKING THE ROADでした。
もうブッ飛んだよね。あまりにもカッコよくて何百回聞いたか分かんない聞きました。
「PUNK」ってこんなかっこよかったんだっけ?ってくらい。興奮しまくって毎日聞いていくうちに昔借りたCDを録音してたカセットテープを引っ張り出してまた聞き狂って。無視してた訳じゃないけどようやく「PUNK」の素晴らしさを感じることができました。
人生が狂わされました。
その頃には縁遠くなってた地元の友達がバンドを組んでライブをバリバリやってて。また取り残されてるような、実際取り残されてましたが。
負けらんねーって思ったんです。そこから必死になってコピーして、ひたすら弾き続ける毎日。バンドやりたいって思いながら夜通しベースを掻き鳴らし狂ってました。
んでもってそこから色々あってBLASTに入ることになりまして。最初からうまいこと弾けるわけないから二人についていくのがやっとで。
その頃くらいからぼんやりと「いつかは対バンしてみたい」と思うようになりました。
でもBLASTに入った頃にはHI-STANDARDは休止してて。二度と無いんだろうなぁって思ってたら、KEN YOKOYAMAとして活動するとのことを聞いて嬉しくなりました。
Supporting-meやREAL SHOCKS MATTERやQuickが一緒に対バンしてるのを見てて嬉しくなる反面、羨ましいというか悔しいというか、複雑な気持ち。いつかは俺たちもと思っていながら続けてきました。
そして、ようやく夢が叶いました。念願だった邂逅。話をもらった時点で鳥肌が立ちまくって一瞬「嘘だ!」って思ったからね。
でも本当のことで。
LIKE ARGUMENTSもいってたけど「嘘みたいな本当の話」なんです。
何より嬉しかったのはTHE WORLD PEACEも北見で対バンだっつーこと。
釧路でバリバリやってるLIKE AUGMENTSも対バンだっつーこと。
もうね、感無量ですよ。マジ最高のメンツ。
思い続けて、やり続けて、やっと願が叶ったんです。
もう少しで夢の一日を迎えます。
古ぼけたラジオを自分に投影して歌っているKEN YOKOYAMA。
俺たちもホント長いことやってるからたぶんそっち側にいる人間です。
だからこそ、いろんな人に見てほしい。
古ぼけてるバンドマンが本気で汗流して叫んでるぱっと見「汚い絵面」ですが(汗)
本気でやり続けてきた俺たちなりの「PUNK」を見てほしいです。
俺たちがやるべきことは、その日一日をみんなで全力で楽しむために、そしてKENさんが「北海道でツアーやるんだったら函館は外せねーや」って思わせるライブを全力で、いつも通りにぶちかますだけです。
俺たちにとっても見に来るみんなにとっても夢のような一日にしましょう。
ってこれ書くために何日もかけました(笑)
書いては消して、書いては消してを繰り返しまくった結果です。
残りの言いたいことはステージで言います。
KEN YOKOYAMA「Going North Tour」
5/22(Sun)函館club COCOA
w/BLAST
Open16:30 /Start17:00
Adv3000yen /Door yen
それではまた
記憶を辿ったら初めて聞いた「PUNK ROCK」は実はGREEN DAYだったんです。
その頃の俺は所謂「ビジュアル系」にハマっていました。まぁ、たぶん同じくらいの年代の方は分かると思うけど、当時なんてネットなんてもんはないからYouTubeなんてもってのほか。
だから「テレビ」の影響力たるやハンパじゃなかった。
今でも当たり前に家に帰ってきたら「テレビ」をつけて今日は何が起きたか、好きなサッカーや野球の情報を見て興奮したり、好きなお笑い番組を見て、夏目ー!!ってTwitterで呟いてみたり(フォロワーの皆さんいつもすいません)
それくらい「テレビ」の影響力ってすごかったんだよね。だってさ、「テレビ」が最大の情報収集のツールだから。次の日に学校で話題に上がるのはまずみんなが見てるであろう番組の話。
だから当時の音楽番組を見て流行ってる音楽にハマるのは、当然というか必然というのか…。中学生の多感な時期に「テレビ」で流れる「ビジュアル系」の音楽に流され、心を打たれ、そのうちに楽器に興味を持ち出したんだよね。
初めて地元の仲のいい友達とコピーしたのはGLAYとLUNA SEAでした。ちなみに今でもGLAYとLUNA SEAは聞いてます。やはり多感な時期に聞いたとあって離れられない関係なのです(笑)
ちょうど楽器を弾き始めてる時に、地元の同じグループの一人に「これ聞いてみなよ。かっこいいよ!」といわれて、無理やり渡されたのがGREEN DAYでした。
……一番最初の印象は「英語で歌ってんじゃん。わけわかんねーよ。」でした。拒絶反応まではいかないけどまるで興味が沸きませんでした。
その友達から伝染するように同じグループのみんなも聞き始め、いつしか取り残されてるような感じにはなったけど俺が今好きなのは「ビジュアル系」だからあまり聞いてなかったと思います。
それから少したった頃、誰かは忘れちゃったけど友達の一人が「これ聞いてみな。英語の歌詞だけど歌ってんのは日本人だから。」といってCDを渡されました。
それがHI-STANDARD。
正直、聞く前は興味無かったんですが聞いてみると不思議とすんなり聞けちゃったのを覚えてます。
なんつーか外タレ感のない、かといって懐かしい感覚もあるわけでもない、失礼だが誤解を恐れずに言えば「音が汚い」「とりあえず速い」「とにかく荒い」という斬新な音に魅力されました。
当時の「ビジュアル系」の曲でベースソロなんてほぼありませんでした。今では普通に入ってるものもあるけど、あの頃はまずなかった。それがMAXIMUM OVER DRIVEとかNEW LIFEでは普通にベースソロがはいってまして。みんなで楽器を弾き始めた時からベースしか触ったことのない俺からすればギターソロみたいに弾いてる訳じゃないにしてもベースがクローズアップされることが衝撃的で。なんか嬉しいっていうか。そんな気持ちでした。
だけどそれでも毎日は聞いてはいませんでした。今の言葉を使えば「セルアウト」しちゃう感じがして。この頃から少し頑固だったのかもしれないのです。
それから中学校を卒業して少し音楽から離れました。高校の友達は楽器にあまり興味の無い奴等ばっかりだったから。こーいうところでも流される俺は少しずつ高校の友達と遊ぶようになり、地元の仲のいい友達と遊ぶことが無くなっていきました。
通ってる学校が他のみんなとは逆方向だったのもあります。それ以上に高校の友達はワルいやつらばっかりだったのでそこに居場所をみつけ、楽器を弾く時間を無くして夜になればみんなで集まって下らない話題をネタにして集まっては笑い話をしていました。
…正直、楽しかったです。これはホント。だけどそれで少しだけ。ほんの少しだけモヤモヤっとした気持ちがありました。
その頃にはもう「ビジュアル系」はあんまり聞いてなくて、たぶんCDもあまりかってなかったんです。そんなときに高校の友達から「HI-STANDARDの新譜出るらしいよ」との情報を得てCDショップに行って買ったのがMAKING THE ROADでした。
もうブッ飛んだよね。あまりにもカッコよくて何百回聞いたか分かんない聞きました。
「PUNK」ってこんなかっこよかったんだっけ?ってくらい。興奮しまくって毎日聞いていくうちに昔借りたCDを録音してたカセットテープを引っ張り出してまた聞き狂って。無視してた訳じゃないけどようやく「PUNK」の素晴らしさを感じることができました。
人生が狂わされました。
その頃には縁遠くなってた地元の友達がバンドを組んでライブをバリバリやってて。また取り残されてるような、実際取り残されてましたが。
負けらんねーって思ったんです。そこから必死になってコピーして、ひたすら弾き続ける毎日。バンドやりたいって思いながら夜通しベースを掻き鳴らし狂ってました。
んでもってそこから色々あってBLASTに入ることになりまして。最初からうまいこと弾けるわけないから二人についていくのがやっとで。
その頃くらいからぼんやりと「いつかは対バンしてみたい」と思うようになりました。
でもBLASTに入った頃にはHI-STANDARDは休止してて。二度と無いんだろうなぁって思ってたら、KEN YOKOYAMAとして活動するとのことを聞いて嬉しくなりました。
Supporting-meやREAL SHOCKS MATTERやQuickが一緒に対バンしてるのを見てて嬉しくなる反面、羨ましいというか悔しいというか、複雑な気持ち。いつかは俺たちもと思っていながら続けてきました。
そして、ようやく夢が叶いました。念願だった邂逅。話をもらった時点で鳥肌が立ちまくって一瞬「嘘だ!」って思ったからね。
でも本当のことで。
LIKE ARGUMENTSもいってたけど「嘘みたいな本当の話」なんです。
何より嬉しかったのはTHE WORLD PEACEも北見で対バンだっつーこと。
釧路でバリバリやってるLIKE AUGMENTSも対バンだっつーこと。
もうね、感無量ですよ。マジ最高のメンツ。
思い続けて、やり続けて、やっと願が叶ったんです。
もう少しで夢の一日を迎えます。
古ぼけたラジオを自分に投影して歌っているKEN YOKOYAMA。
俺たちもホント長いことやってるからたぶんそっち側にいる人間です。
だからこそ、いろんな人に見てほしい。
古ぼけてるバンドマンが本気で汗流して叫んでるぱっと見「汚い絵面」ですが(汗)
本気でやり続けてきた俺たちなりの「PUNK」を見てほしいです。
俺たちがやるべきことは、その日一日をみんなで全力で楽しむために、そしてKENさんが「北海道でツアーやるんだったら函館は外せねーや」って思わせるライブを全力で、いつも通りにぶちかますだけです。
俺たちにとっても見に来るみんなにとっても夢のような一日にしましょう。
ってこれ書くために何日もかけました(笑)
書いては消して、書いては消してを繰り返しまくった結果です。
残りの言いたいことはステージで言います。
KEN YOKOYAMA「Going North Tour」
5/22(Sun)函館club COCOA
w/BLAST
Open16:30 /Start17:00
Adv3000yen /Door yen
それではまた