アルツハイマー顛末記・2
アルツハイマーの母の介護中。自分と妹の記録のために書いてます。病院(物忘れ外来等)に連れて行くのが難しいので妹と話し合って、しばらくは様子を見ることにした。そのころの母は、自分で運転して買い物に行ったり(遠出はせず、近所のスーパーに行く程度)洗濯等の家事は一通りこなしていた。ただ、掃除はあまり好きではないらしくそこまできれいにはしてなかったが生活が破たんしているというほどでもない。一方、家の周りの雑草には敏感で日が暮れるまで草むしりをするという極端さもあった。食事はほとんど作ってなかったがゲートボール仲間のご夫婦から、毎日夕飯のおかずが届いていたようだ。年が明けると(去年の年始)隣に住む従兄弟が夕飯の主食になるものを作っては持って来てくれるようになって夕飯のおかずに困るようなことはなかったらしい。これに関しては、本当に恵まれているとしか言えない。ご近所さんや従兄弟には感謝しかない。母は、周囲の人に良くしてもらうのが嬉しいのか自慢げにこのことを話していた。同じことを何度も何度も。しょっちゅう会ってる私が、そのことを知らないはずはないのに頭のブレーキがぶっ壊れてるせいか何度も何度も何度も(大げさではなく本当に何度も)繰り返す。「○○さんがおかずを持って来てくれるんよ」「△△ちゃんがメインのおかずを作ってくれてね」「○○さんちのは和え物とかね」耳にタコ、とはこのことかというくらい。アルツハイマー親持ちのあるあるではないかと思うんだけどこの頃の私は、母の病状について「かもしれない」と「もしかしてただの物忘れかも」の狭間にいた。物忘れだったらいいな、という思いがあるので試すようなことを聞いてみたり、そうじゃないかもしれない、の根拠になりそうなことにすがったり。診断が下るまではわからない。もしかして違うかもしれない。でもなんだかおかしい。日々これの繰り返し。繰り返しといっても、一緒に暮らしてるわけではないので現実として受け止めてるわけでもない。もしも本当に認知症なら進行する一方なのにもしかして次に行ったときに良くなってるかもなどど、わずかな希望を持ってみたり。親の認知症。特に母のようにプライドの高い人がそうなったときの子供のショックはまあまあ大きい。要するに現実逃避をしていたわけだ。そんな呑気なことを言っていられなくなったのは去年の夏のことだった。東京在住の娘が帰省をしたので娘を連れて実家に寄ってみるとテーブルの上に、大きなファイルが置いてあった。書類がたっぷり入ったそれは、某業者の見積書。家の診断書のような書類と、契約書。それは家全体のメンテナンスをするという契約だった。母のサインも入っており、業者は1週間後に来ることになっている。費用は見積もりだけで、ン十万円!「おかん、これどうした?」「家の診断はしてもらったんよ」「もうしてもらったん?」「してもらって、どこも悪くなさそうやけど娘さん(妹)がずっと住むことを考えたらちゃんと直した方がいいって言われたけん」よく見ると、既に5万円の診断料は支払っているようで領収書が挟まっていた。その診断結果は「問題なし」だったにもかかわらず業者的にいうと「うまいこと言って不安をあおり高齢者をその気にさせる」ことに成功していたんだろう。ン十万もするメンテナンス契約を結んでしまっている。悪徳、とまでは言えない普通の営業ともいえる。「ン十万もかかるよ?」「保険解約したけん、それで払うよ」母は、何が悪いんだ?私の家だし、という姿勢。こういうとき、ついつい責めるような口調になってしまうんだけど認知症患者は「問い詰められると言い訳をする」という特性があるようだ。自分はしっかりしている、まともな判断をしている、ボケていると思われたくない、という深層心理が(はっきり自覚をしてるわけでもないようです)「必死にその場を取り繕ってごまかす」という行為に出る。そして、問い詰められると逆切れする。逆切れされるとこっちもキレる。そして言い争いになって、認知症患者には「なんか文句を言われた」という悪い感情だけが残ってしまう。これが負のループを生み出してく。そもそも、築年数は経っているがシロアリが食ってるわけでもないという我が家。なにをどうしたらこんなにメンテ費用がかかるのか。母は若い営業の子が契約が取れないと困るとかなんとか泣きつかれると放っておけないタイプ。これまでも数々の保険に加入している。多分「あそこに行けば契約が取れる」と、軽くカモにされている気がする。(保険加入についてはまたあと触れる予定)その性格が災いして、この結果なのだ。次の日、私はその業者に連絡を入れて母の今の状態((認知症の疑いあり)を正直に話し、「今後、病院に連れて行く予定である」という説明をするとすんなり契約を取りやめにしてくれた。そして、言ったからには実行しなければならないと思い重い腰をあげて、母を受診させることにしたのだ。まだまだ続く →