毎度ランイベントに参加して思いますが、障害を持った参加者には驚きと尊敬の念というか、誤解を恐れながらもカッコイイなと。
不自由な目でその足を踏み出すことがどんなに勇気が必要なんだろうなと。
伴走してその走りをサポートする人も同様にカッコイイ。せめて去り際に"ナイスラン"と声をかけるばかり。
右足の膝から下が義足のランナーもいました。


次はボランティア参加者。
天気が悪い中でも予定されている作業をこなしランナーの走りが少しでも快適であるように努める。なかなかできるものではありません。

そして応援に駆けつけた人たち。
自身は応募するも落選した人も多かったはず。
声援は元より私設エイドの用意も。
途切れることがない声援は距離の長さを忘れるようで元気をもらいます。
そうした人たちに勝手にお礼の気持ちを込めてハイタッチなど。

東京マラソン。
集合場所の都庁に向かう時から雨が降り出しましたが、この天候はいろいろと気づきと再認識を与えてくれました。
天候とは裏腹に快適な時間を過ごすことができました。



2週間ぶりに南相馬小高へ。

いつもは10人前後で金曜夜に出発しますが、今回はチームの便がお休みのため有志4人で土曜早朝の出発。
そのため、いつもは暗くて見えない常磐道からの帰宅困難区域の風景も見ることができます。


小高の街は2週間前は準備中だったコンビニが開店していたり手入れが進んでいる一方で、草木が生い茂り自然のままに時が経過した帰宅困難区域の街。そのコントラストは改めて8年前の出来事が尋常ならざるものだったんだなと。


向かった現場は2週間前と同じ。
前回は草刈りメインでしたが、今回は雑木の伐採。
チェーンソー部隊に伐倒してもらい、手ノコで細かくバラしていきます。
処分対象の雑木全てを片付けるには至りませんでしたが、すっきりと風景が明るくなったのは天気だけのせいではないでしょう。

残った分は次のメンバーに託します。




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農や自然を学ぶと自然界の循環と多様性の妙に魅了されますが、元気な木を伐採するとその循環を断ち切ってしまうようで、枝々に蓄えられた蕾が目につくと申し訳ないなとも。
それでも依頼には景観美化以外にも獣害防止であったり、放射線量を少しでも下げたいという背景があり、その場所で生活する人にとっては死活問題です。

小高の街も長らく避難指示が続いた場所で人がいない年月もあり、避難指示が解除となった今も自然が優勢というか、人が自然を恐れている状況というか。

ボランティアセンターへの依頼内容が木の伐採ではなく、木を使って何かしたい、などと自然との共存を目指すものに変わった時が真の復興なのかもと木を細断しながら考えました。


南相馬小高へ。

市からは避難指示が解除された区域から避難されている人への仮設住宅の供与を今年の3月末で終了すると発表がありました。
そのため、ボランティアセンターにも引っ越しのニーズが多く寄せられています。
ただ、引っ越しは依頼主さんとの日程調整が必要なため、今回僕らには草木の伐採作業がマッチングされました。


以前はどのような使われていた土地かは確認することができませんでしたが、背丈を越える枯れ草やところどころに雑木も見えるなど年単位で手入れがされていないことが伺えます。




除草作業の道具は主に刈払機やハンマーナイフを使いますが今回は両方。僕はハンマーナイフを担当です。
農場で使われることが多いであろうその道具で草に混じった径の細い木もそのまま砕き、平面だけでなく法面や窪地をどう進めていくかを工夫していきます。
さらに刈払部隊とも連携して、径の大きな木の伐採以外は完了となりました。




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2週間ぶりの街は大きい変化はないと思いますが、今日は街中を周る時間が多かったこともあり、今の風景と避難指示解除前とを重ねながらの移動時間となりました。
真新しい店舗に眩しさを覚える一方で取り壊される建物と、避難指示解除前の風景は徐々に記憶の中のものになりつつあります。

作業員とボランティア参加者しかいなかったのは最早過去の風景。
街のそこかしこで生活の音が感じられるのは、あの時期を経験する者として手応えのようなものを感じます。
ただそれも震災前とはいかずにカタチを変えたもの。

今後も街の変化から学びを得るためと、新生活というか再生活を迎える人たちの一助となるべくこの地に通いたいと、ハンマーナイフを駆りながら考えました。