バンコクの日常

バンコクの日常

バンコク長期滞在者のどうでも良い戯言です。

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こんな感じで働く機会があったが、結局は労働ビザとかが取れないので働くことは止めたが、何もしなく毎日過ごす訳にもならない。自分のタイ語が充分でないのが分かったので、タイ語の読み書きを中心にレベルアップしたくてそれでタイ語検定試験を受験するのが目的で再度タイ語学校へ行くことにした。

 

今回もビザについては学生ビザ取得してであるが、この頃はまだまだタイはビザ取得については厳しくない時だったので、3か月毎にタイ国外に出国しては学生ビザを申請をした。

 

1年間近くタイ語検定試験の準備をしてタイ語試験を受けて無事に目標を達成した。それからは日系企業で就職したくて、人材会社に登録はしたものの、例え会社がタイ語が出来る日本人で日本で勉強した知識がある人材希望であっても、やはり、私の年齢が若くもないので、(年齢が35歳以下がギリギリ)結局は面接も出来ないことが分かり、これからもタイで日系企業に雇われることはないであろうと理解したのであった。

 

タイ語の検定試験も無事に合格したもののタイでの就活にも役に立たないこととなるが、まあ、好きで始めたタイ語の勉強でもあったので大変嬉しかったのは嘘ではなかった。

丁度その頃、私は通っていたタイ語学校の教師のツテでとある日系会社に就職する。全くタイで外国人が働くことの規制とか法律が分からなくて理解していない状態のままお世話になった。

 

まあ、将来的にはタイで就職出来れば良いなあと漠然と思っていたので、タイ語勉強が終了して、働くこともせずに毎日ダラダラと過ごすよりは何処かで働いた経験がある方が有利ではないかとの考えで勤務したのである。

 

勿論、給料はタイ人並みの額である。自分の考えでは金額よりも経験が欲しくての決意であった。社長は日本人の方であったが、会社の方針で将来的にも給与は多くても〇バーツ位だよ。と言われた。勿論その〇バーツは法的に日本人が貰う給与の最低金額には届かない額であった。(但し、その頃は私も法的に詳細なことは知らずにいた。)只々、滞在する為の労働ビザと労働許可書の手続きをすることを望むばかりであった。

 

でも、結局2年弱勤務したが、それらの望みが叶えられそうもないし、流石に給与がタイ人並みに安かろうが不法労働に違いないので退職した。その会社は責任者にタイ人を於いていたが、会計処理をそのタイ人の身内に任せていたが、その身内が徐々に会社のお金を横領していたみたいで、結局は潰れてしまったようであった。

タイ滞在について前回にツーリストビザと学生ビザで合計3年位過ごしていたことを書いたがそろそろ別の方法を見つける必要となった。もちろん、その期間は働くこともなく日本で働いて貯蓄していた預金を取り崩して自身の生活費と約束した彼氏への援助金を賄っていた。

 

そろそろと資金面とタイ滞在のビザについて考える必要があった。幸い大学へ通っていた彼氏が丁度無事に卒業となった。晴れて彼を援助する義務を果たしたのである。私はそのことを彼に告げてこれからは自分で生きる糧を見つけるように言った。

 

彼は大学で学んだことを活かした職業に就きたく色々模索していたが、なかなか難しいみたいで悩んでいたが、最終的には全く大卒という資格が必要もない職についた。元々以前に働いていた関係の知り合いが某都市で店を開店することとなり、そのスタッフを募集しているので手伝って欲しいとの依頼があり、そこへ行くことになった。

 

彼はその時には30歳を超えていたので単なるウェイターとかボーイとかの地位でなくて大学も卒業しているのでマネージャーみたいな形であった。まあ、私とは離れ離れにはなるが彼の選んだ道であり反対はしなかったけど、正直私は捨てられるような気持がなかったわけでもなかった。