リフトアップ小顔・ブライダルエステ'ビゼン'

リフトアップ小顔・ブライダルエステ'ビゼン'

’美成在久、悪成不及改’リフトアップにこだわる小顔美肌専門エステ‘ビゼン‘オーナーの日常やサロンブログ

Amebaでブログを始めよう!

先ほど8:00にアメーバブログから最後の更新をした内容にありますように

本日12:00~こちらの 新ブログ へブログを引っ越しします。

 

先ほどのブログと重複しますが、

今後は、アメーバブログから直接メッセージを頂いても

万が一、私の確認が遅れ、返信する時しない時があり得えますので、

曖昧な管理でご迷惑をおかけできず、返信はいたしかねます。

 

何卒、ご理解下さいませ。

 

新ブログからも、

宜しくお願いいたします。

 

ビゼン エステティシャン美知

平成さいごの大晦日の朝。

 

想像もできないような長い長い年月をかけて、

人の心に宿った大晦日の文化がこうした街の静寂と、

どこかしらから響き渡る厳かな空気感を

醸し出しているのでしょうか。

 

大晦日になると毎年思うのですが、

今年も一年無事に過ごせたことに感謝の念が

心の底からふつふつ、というより、

じんわりしみ出てきて。

 

今夜は自宅で大切な家族と静かに過ごし新年を迎えたい、

という気持ちは日頃から大切にしたいものです。

 

自宅でゆっくり過ごせれば

それは幸いなのでしょうが、

そうもいかない人もおられるわけで。

 

大晦日にお仕事のシフトを入れざるを得ない方を思うと、いつもにも増して、

励ましや、ねぎらいの気持ちが自然と沸いていきます。

 

そこで、忘れてはならない、

家の中では、シフトを変えられない主婦も

お仕事が続きますね。

 

自分自身に、おつかれさまでした、と声をかけることは

なかなか陽を浴びない縁の下の力持ちへ投げかけてもいい

大切なねぎらいのメッセージかもしれません。

 

さて、

そんな大晦日の朝にお知らせです。

 

これまで、当店の公式ブログ用として

このアメーバブログを利用してきましたが

このたび、引っ越しすることにいたしました。

 

これから続ける記事は

本来、声を大にして伝えるものではなく、

自分の中に静かにもつものだと思っています。

 

しかし、その内容がブログ引っ越し理由であり、

私の考える今後のブログの在り方ですので

’ここへ至った道筋を私の中で静かに整理したい’ため、

常識範囲内の内容でもって、

この大晦日に締めくくりの更新をします。

 

※この更新は、今月中旬から作成した日時指定配信です。

 

 

 

私は、エステティシャンとして約4年間の現場経験を経て、

エステサロン’ビゼン’の自営業者になりました。

 

自営業者になる直前まで勤めていたエステサロンがありまして、

そこは美容師をしながら美容院を2件経営するオーナーが

新しく立ち上げたお店で、

メニューの組み立て、商材選び、営業戦略、集客、顧客管理、売上管理、人材育成、

そのすべてをこなすエステティシャンとして私は雇われていました。

 

お店は駅近くの1Fに店を構える好立地の場所にありましたが、

オープンした数ヶ月は閑古鳥が鳴く状況で、

たとえオーナーのお客さんを紹介頂いても、

「この売上が3カ月続いたら経営的にお店を閉めざるを得ません。」

という有様。

 

なかなか売上を伸ばせず、

私は、相当、行き詰っていました。

 

ちょうどその時期、

不安を埋めるかのような本がたまたま目に留まりまして、

毎日、毎日、時間さえあれば読み深めいてました。

 

その後、著者がシンガポールでセミナーを開催すると知り、

プライベートで参加した時のこと。

 

「あなたはまだ若いんだし、勝負するなら、田舎でなく日本の中心で勝負してみたらどうか。

もしうまくいかなくても若いうちの失敗はいくらでも取り返せるはずだから。」

 

たまたま隣に座った不動産業を営む見ず知らずの

都内在住の社長から話かけられました。

 

その後。

 

勤めていたエステサロンでは

新しいメニューを増やしたり、

料金設定をがらっと変えてみたり、

これがダメなら、あれ挑戦してみよう、と

私プラスもう一名のエステティシャン、

そして、脱毛専属セラピスト一名やオーナーも混ざって、

みんなで力を合わせ、目の前の課題をこなしていきました。

 

オープンから確か10ヶ月と記憶していますが、

その頃には徐々に予約が増え、

3ヵ月間売上が利益を出し続けた波にのり、

はじめて、安定したのでした。

 

やりきった。

もうやり残したことは、何もない。

 

私の中で、人生で初めての達成感となり、

約一年半勤めたそのお店を円満退職。

 

すこし休んでから、

個人的に友人や家族のエステを出張でこなしながら、

’田園調布で有名人のエステを担当するカリスマエステティシャンに挑戦したらどうなるだろうか。’

と、頭によぎりました。

 

私の中でイメージしていたカリスマエステティシャンは

有名人を担当する技術者で、

自らメディアに出演しながら、メディア上でその有名人の名前を堂々と使用し、

番組でカリスマエステティシャンとして取り上げられればその位置を得る、

と理解していて、当時、

女優の藤原さんのお抱えエステティシャンTさんが

全盛期だったと記憶しています。

 

一度でもメディアに出演すれば

カリスマエステティシャンとして

技術料金にお高い指名料をつけ、

技術者としての価値を高められるはずだ、と。

 

人間性は、さておき。

 

こうして、

地元の愛知県西尾市から引っ越し、

世田谷区の税務署へ’ビゼン’の届を提出し、

人生で初めて、自営業者として29歳でスタートを切りました。

 

その’ビゼン’の宣伝広告のために

直接的お仕事ではない、つまり

プロのライターでもなく、

ブログから広告収入を得るわけでもないブログを

アクセス数、認知度、客数、それらを増やしたいという目的で

任意の活動として、当店ビゼンの公式用ブログとして

アメーバブログを選択しました。

 

新天地での生活が始まり、

ブログを始めたまではいいのですが。。。

 

1歩外を出れば、右を向いても左を向いても人・人・人。

 

人の多さだけでなく、

地元で生活していた頃にテレビや雑誌で見た、あのサロン、そのサロン、

あのエステティシャンまでも、すぐ目の前にいる。

石を投げれば、同業のエステサロンだらけ。

 

見ず知らずの人から聞きかじった、

上っ面だけ言葉に感化されただけの上京なので、

それまで都心と言えば、名古屋しか知らない私には

想像をはるかに超えた数の多さにただただ圧倒されるばかり。

 

恐怖心すら芽生ばえました。

 

ここで、本当にやっていけるか。

 

不安ばかりが募り、自宅から1歩も出ない日が続き、

手持ちの貯金はみるみる減る一方、

あっという間に3カ月が経ちました。

 

なんとか気持ちを奮い立たせ、

前職で養ってきた経験をフルに活かし、

自分で自分の料金を定め、メニューを決め、チラシを作成し、自宅のプリンターで印刷。

 

家の近くで毎月4万5千円の駐車料金を住まい賃料に加えて支払って車を所有しながら、

公園かと見間違えるほどの豪邸一件一件歩いてポスティングを続け、

予約の電話を待ちました。

 

すると、反響が。

 

本当に驚きました。

イメージ通りの、反響でした。

 

ところが。

 

私はここで、

人として、大きく誤った道へ、

かけ走っていったのです。

 

大変恥ずかしい話ですが、

軽い気持ちで上京し、すぐに有名な方を担当してしまって、身が入らずというか、

結果的に1か月の予約件数は両手にも及ばず、

ブログを更新しようにも、

「今日はここへ行って、何を選び、美味しかったです。」

「こんなお客さんが来て、こんなメニューを担当させて頂きました。」

と日記程度でしか、更新することができません。

 

でも、相手は、有名人。

そこで満足をしてしまい、なんとも大きな勘違いをしました。

 

こうして、絵に描いた事業計画は、

見事に餅に変わりましたが

振り返ると、あの時の私は、

’現実逃避した勘違いの塊’でした。

 

それは、

人としての当たり前の生活に、手を抜いたからです。

 

実は、その頃、一度目の結婚をしていまして、

エステティシャンをしながら、主婦でした。

 

私には家庭という大切さがなく、

休みなく、寝る間を惜しみ、エステティシャンの仕事に没頭し、

規則正しい生活、家の掃除、洗濯、自炊といったごく基本的な家事を

ほぼしませんでした。

 

元夫は、なんとか家庭を支えようと仕事を探したのですが、

就く仕事は、手っ取り早く高賃金を稼げる昼夜逆転の業種。

 

よりによってなんでその仕事なの?と、

私とは毎日くだらない喧嘩ばかり。

 

やがて、真っ暗な部屋で、一晩中、PCの前で過ごす元夫に、

感謝する気持ちすら起こらなくなり、責め続けていきました。


蓄えてくれた貯蓄はあっという間に底をつき、

クレジットカードのローンは限界まで現金化し、

それでも足りないときは、親族に借金をして、日に日にすさむ生活と夫婦関係。

 

それでも、

’こうなったのは、ぜんぶ私の責任。諦めなければ必ず道は開けるはずだから、

できる限りのことは、とことんやっていこう。

1日くらい寝なくても、少しくらい食べなくても、休まなくても、死なない。

だから私は、結果が出るまでぜったい諦めない。’と、呪文のように自分に言い聞かせ、

がむしゃらになることで生活に目をそむけました。

 

そんな、人としてまっとうではない私に、

両親だけは反対しました。

 

私の家族は、

私が幼い頃から、子をむやみにほめたり、もち上げたり、機嫌をうかがったり、

甘やかすことなど、ほぼしません。

 

よそ様に迷惑をかけたり、

人として間違ったことをしていると、

必要とあらば、体当たりで、どなりながらでも、大切さを必死に訴えてきました。

 

人として、何が大切なのか。

 

なので、私の中で、両親が反対するのは

「私が嫌いだから反対するんだ」と、都合よく置き換え、

’絶対見返す!認めてもらう!’という逆の意識を強めました。

 

厳しく叱るのは、嫌いとか、意地悪とか、そんな薄っぺらいことではなくて、

深い深い愛情の裏返しなのに、

私はその心を、まったく汲み取ることができませんでした。

 

30歳を目の前にした’大人の至り’といいますか。笑

つける薬がない、とはこのことで、どうしようもない必要のないプライドです。

 

こうして、私の頭で描いた花の新婚生活や自営業者は、

幻想と化し、見事に散りました。

 

私の手元に残ったのは、

田園調布で担当した出張エステ数件の実績と、

絵に描いた事業計画と、

こつこつと蓄えた借金。

 

一度線を引かなければ、

二人とも先がない。

 

泥沼の離婚劇の手前だった私たちを

見るに見かねて仲介にはいった冷静な友人夫婦のおかげで、

私たちは裁判所を通さず、話しあいで離婚が成立しました。

 

私はすぐ、

自分の生活の立て直しにかかりました。

 

一日7時間、週4日のアルバイトを始め、

社会保険の加入など手厚い福利厚生にお世話になりました。

 

そして、他の時間はレンタルサロンを利用し、

エステティシャンとして、休みなく、こなしていきました。

 

コツコツと実績を積みながら、淡々と生活を送り・・・

とあれば、私は良識ある大人の正しい道へ進んでいたのかもしれません。

 

しかし、まだ、その家を出ていません。

 

世田谷区尾山台 45㎡ 月賃料7万3千円

 

都内の賃貸相場がおおよそ頭にある方なら簡単にイメージができると思いますが

このエリアでこの条件は滅多に出逢えませんし、

築年数によって異なりますが、賃料相場は軽く倍はします。

 

この好条件を捨てきれず、

その賃料を折半することでお互いの都合よさを優先し、

ルームシェアとして同居を続けていました。

 

ところが・・・

 

突然、隣人の孤独死。

 

壁1枚隔てたすぐそこに

静かに息を引き取った人。

 

とてもショッキングな出来事でした。

 

住んでいたアパートは取り壊しが決まり、

その件から1か月以内に部屋を出なければならず、

結婚が破たんしてから3年後、

初めて、家を出なければならなくなりました。

 

なぜ、こんなにお金に苦しい今なの?

不安と、なぜか、

 

’早く、自分の足で立ちなさい。’

 

と、見るにみかねた何かが

私たちの背中を押しているような

そんな感覚がありました。

 

その件がなければ、

まだまだ住み続けたと思います。

 

泥臭い話ですが、

自営業者は、

自分が矢面に立ち、サービスを提供し、収益を得る職業です。

 

そのサービスが、

人だろうと、技術だろうと、物だろうと、アイデアだろう。

 

自営業者を本業にしたいなら、

必要最低限の生活費を稼がなければいけません。

 

生活費とは、

事業に必要な経費だけではなく、

支払うべき保険や税金諸々を含めた

最低限の額が合計。

 

もし、必要最低限の生活費が稼げないなら、

きれいごとは言ってられません。

 

本業だろうと、なかろうと、

食べていくための収入を

得ていかなければなりません。

 

それができないのなら、いっそ自営業を辞め、

お金や時間が保証された会社員でいたほうが

健全で、人生は、安定します。

 

もし身内や友人に甘えられる人がいるなら、

それはそれで幸い。

 

しかし、いい大人が誰かに頼るという生き方を選んでしまうと、

それから先大変なことが待っています。

 

話を戻しまして、

私は34歳にして、

初めて自分の足で立ちました。

 

離婚に至るまで、

自分の浅はかさや弱さによって周りに沢山迷惑をかけ、

たくさんぶつかって、

結果的に背中を押されて新しい道を歩むことになりましたが、

元夫には、本当に感謝しています。

 

私は自分で物件を探し、契約し、お金を支払い、引っ越し、生活をする。

 

出来ている人にとっては当たり前すぎることですが

私は自活したのがこのとき人生で初めてだったので自分にとって大きな前進でした。

 

渋谷区神宮前 1R 14㎡

 

小さな小さな部屋は、私にとって、人生で初めて、自分の力で得た、空間でした。

 

嬉しいはずが、本当は不安や孤独感しかなく、

’自分のお店を持ちたい’と夢に置き換え、もみ消しました。

 

意を決し

コツコツと積み重ねた5年分の確定申告書と

親族に借金、私の野心を認めて下さった方の投資金、手元にあったわずかな現金を、

契約していた公認会計士の先生のサポートのもと、事業計画書に盛り込み、作成。

 

国の機関へ借り入れを申請。

そして、受理。

 

ブライダルエステに力を注いだので

敢えて、激戦区を選び、

2009年10月、

表参道で6.9坪の自分のお店をオープンしました。

 

表参道と言えば、誰もが知る、

有名店が軒を連ねる、洗練されたオシャレな美のエリア。

六本木とはまた違った品のある空気感といいますか、

古い家屋もハイセンスに見せてしまう、閑静な街並み。

 

それが、日本の美の中心地であり、

美容業界にとっては、激戦区ど真ん中。

 

私が借りた8階建ての店舗ビルには

リラクゼーションサロンやエステサロンがすでに2店舗入居。

隣のビル、また隣のビルにも同業者。

最寄り駅の表参道駅出口から自分の店舗まで

10件以上同業者があり、表参道駅構内にもあるほど。

 

この時ばかりは、開店前から営業活動を始め、

プロのデザイナーだったお友達に広告デザインを依頼をし、大量のチラシを発注したり、

公式HPをガラリとリニューアルし、

アルバイト先で習得したダイレクトマーケティングという覚えたての知識もフル活用して集客を試みました。

 

ところが開店しても

’エステサロン 表参道’と検索したところで、何十ページクリックしても自分のサロンはヒットしない。

 

’リラクゼーションサロン’と看板を掲げていた同じエリアのお店が

ブライダルエステやフェイシャルの新たなメニューを増やし、

美容院も、ネイルサロンも、競合は増えていくばかり。

 

ビルの前を通る歩行者や

最寄り駅出口で道行く人にビラを配ろうにも、

同じビルに入居している同業者のスタッフや、

他店の同業者のスタッフまで、

毎日、同じようにビラを配っている。

 

当たり前の営業方法が、まったく通用しない。

これでは家賃すら払えない。

 

冷や汗しか出ない焦りと不安と、

なぜこんな厳しい業界や場所を自ら選んでしまったんだろう、と。そんな焦りをよそに、

歩道では通行止めにして、

某雑誌のスチール撮影にモデル〇〇さんがポーズを決めていたり、

ドラマなのか映画なのか「はい、カット~」と〇〇さんが演技をしていたり、

スーパーへ買い出しにいけば誰それさんがレジで私の前に普通に並んでいたり、

会食やパーティだと参加すれば〇〇さんが私と同じ席についていたり、

そっくりさんだと思っていた予約者が誰それさんだったり。

 

私は生活空間に酔いしれ、

自分が特別な人になったような勘違いをし、

心地良さすら感じていた。

 

こうして、

激戦区で自分のお店を維持していくために

かかった毎月の経費は一部、以下の通り。

 

店舗家賃は共益費込で約16万円、プラス水道光熱費と通信料で4万円、

プラス仕入れ4万円、プラス借入分割返済6万円。

住居家賃共益費込で7万5千円、プラス水道光熱費と通信料で3万円。

 

必要最低限の額、40万5千円。

 

表参道の相場をご存知の方であれば、この額でも安い線だとご理解頂けるかと思いますが、

私は自分が契約できる限界は超えていました。

(都内の賃貸には、店舗住居に関わらず2年に一度更新に賃料1ヵ月分を

保証金として支払わないと継続契約できない。)

 

もちろん、その他にも経費はかかっており、

頭を下げ先延ばしにできる経費があれば調整し、毎月やりくり。

 

ただ、上記の経費だけは

3カ月滞納すれば、強制退去。即、居場所を失くし、最悪、差押の対象。

 

アルバイトは続けており、手取り11万円頂いていたので

それを差引しても足りない分は

何がなんでも稼ぎ出さなくてはならず。

 

でなければ、食べていくこともできず、

体調が悪くても病院にも行けない、薬も買えない、

日用品も買えない、

貯蓄はもっての他。

 

手持ちが底をついていようが、

ポストを開ければ、請求書の束。

 

光と影、と例えるなら、

現実が影ですね。

 

一歩外へ出れば、その現実を忘れさせるような、洗練された華やかな空間、眩しいような光。

 

ちょうどその時期、私自身も少し光を浴びました。

 

某メディアの方の目に留まり、

メーカーのCMへ出演させてもらったり、

某新聞に取り上げてもらったり。

 

すぐに自分のキャリアに盛り込み、

売上は少し上がりましたが、

結局、メディアに出ました、という上っ面だけに目がくらむ人を喜ばせるだけで

突発的な光のチャンスは一過性に過ぎず、

売上は安定しません。

 

おまけに、パトロンがいるでしょ、(愛人となり自分に貢ぐ男)と、本気で信じきる下品な人が現れ、表に出れば、勝手な想像で楽しむ人もいるものですね。

 

何をしても、

どこへ行っても、

誰と会っても、

影からは逃れられない。

 

そんな悶々とした毎日を送りながら、

確か半年くらいだったと記憶していますが

広告代理店に勤めるお友達が、

親身になって集客のアドバイスをしてくれました。

 

ターゲットを、より明確に。

 

女性目線からのリアルなアドバイスを素直に聞き入れ、

’リフトアップ小顔’を大々的に表に打ち出し、

ホットペッパービューティへ掲載、広告宣伝費をかけました。

 

売上は

一気にはね上がりました。

 

毎月の経費は5万円増えましたが

アルバイトシフトを減さなければこなせないほど電話が鳴り続け、

やがて2ヵ月先まで予約が埋まり、嬉しい悲鳴とは、まさにこのこと。

 

アルバイト以外の時間は休みなく予約をこなし、それでもまわせず、

単発で担当してもらうエステティシャンをもう1名、

予約管理するパートさんを2名、

業務提携で整体師の方に2名、協力してもらい取り組みました。

 

お店をオープンしてからもアルバイトは続けていて、

お給料を頂きながら、IT知識が乏しい私にスタッフの方々が1から丁寧に教えて下さったり、

イベントやOLランチや会社員の楽しみまで与えてくれ、

私のエステまで親身に応援してくれ、

まるでカラカラに乾いた私の心が

潤っていくような、本当に人に恵まれました。

 

感謝してもしきれない温かい思い出ですが

そのアルバイトを1年半で辞めざるを得ず、退職をしました。

 

売上はようやく安定。

 

投資して下さったすべてをお返し、

賃料は滞りなく支払い、

少し余裕ができたと錯覚し、

海外旅行へ行ったり、お買い物を楽しんだり、お友達と食事を楽しみました。

 

でも。

人生って、そんなに甘くない。

 

売上をもっと伸ばそうと異業種合流会や、パーティーなど華やかな世界に足を運ぶものの、

なぜか、私の心は卑屈で、楽しめず、幸せな気分にもなれない。

 

直近に目を通した時にはぜったいになかった、

当店とほぼ変わらないメニュー、料金、画像、言葉回しの’小顔’エステサロンが

表参道に増え、

また、痩身をメインにした同業のお友達が近いエリアへ引っ越し、ブライダルエステを始めたり。

 

そして。

 

2011年9月11日、東北沖地震。

 

8階の自分のお店でエステを担当しているときに地震は起こりました。

 

棚の上に置いている花瓶の水が小刻みに揺れた。

 

ああ、また地震だね、と、気にも留めずにいると、 

カタカタがガタガタという大きな音に変わり、

花瓶やスタンドが割れ、

ビルの鉄骨の音がカキンカキンと地響きのように響き渡る重い音。

 

かばんも貴重品も何ももたず、

クライアントさんをなだめながら、

8Fから非常階段を駆け、隣の広い空き地へ避難しました。

 

たまたまビルの隣が広い空き地になっていて、

誰に指示されたわけでもなく、その広い空き地を埋めるかのような大勢の人が

避難のために身をよせていました。

 

私のそばで、どなたかが携帯でボリュームを上げてくれ、津波が福島を飲み込んだ映像が流れました。

 

いつもなら、うるさいほど目の前の大通り246号線も

止まったままの信号機がぽつんと立っているだけ。

 

しばらくすると、

初詣の参拝を待つぎゅうぎゅう詰めになって並ぶ参拝者の列ように、

赤坂方面から渋谷駅に向かって大勢の人がぞろぞろと、

246号線を埋め尽くすほど一つの方向にむかって、

トコトコと静かに歩く音だけが響き渡る異様な光景。

 

翌日、

地震から1週間予約をいれてくださった方へ

キャンセルのお願い電話を入れました。

 

冷たいようですが、1週間、予約が途絶えたら

売上の4分の1はありません。

 

売上が減った理由が天災だろうと、

支払い先にはまったく関係なく、

期日通りに約束通りの請求がきて契約通りの額を支払わなければなりません。

 

この地震は、

ルームシェアをして半強制的に引っ越さなければならなかった、

あの時の状況がまったくかぶりました。

 

売上はアップし、少し余裕ができたと勘違いした時もありましたが

税金の支払いを先延ばし、その分を何かの支払いにあて、口座を差押された時もあり、

首の皮一枚でつながっているような、その日暮らしが精一杯。

 

私がイメージを描いてきた豊かさとか、

幸せとか、

まったく無縁の場所でした。

 

このまま、都内でお店を続けていいのだろうか。

命をかけてでも、やるべきことなのだろうか。

 

こうして、実店舗オープンから4年、清算のため、沖縄へ引っ越しを決意し、

1年半をかけて、表参道のお店を閉めました。

 

いざとなったら、

何もかも失う覚悟をどこか頭に入れていなければ「これを失ったらどうしよう。」という気持ちが足を引っ張り、正しい判断を誤ってしまう。。

 

自分でしか自分は守れないし、

自分で自分を守れなければ、その周りも守れないし、

自分を犠牲にして誰かを守ろうとすれば

結局どちらも守れず、共倒れ。

 

そして、共倒れは、必ず、

誰かに、迷惑をかけていく。

 

困ったら、誰かが助けてくれる。

困ったら、私が助ける。

 

もちろん一人では生きていけませんし、

必ず、誰かにお世話になっているものですが、

「困った時は助けてもらおう」という、ずるい考えがある以上、正しい判断を鈍らせ、

周りに迷惑がかかっていることすら自覚できず、

心が歪む原因になるんだと知りました。

 

経済のせい、場所が悪いせい、

カリスマ性がないせい、外見が悪いせい、血液型のせい、星回りのせい…

せい、せい、せい、と、口を開けば’せい’のオンパレード。

 

’こうなったのは、ぜんぶ私の責任。諦めなければ必ず道は開けるはずだから、

できる限りのことは、とことんやっていこう。

1日くらい寝なくても、少しくらい食べなくても、休まなくても、死なない。

だから私は、結果が出るまでぜったい諦めない。’といっつも無理をして、

身の丈をはるかに超え、落ちぶれている痛々しい自分の姿に気づけない。

 

多くの人が集う場所へやたらと行き、

有名な人と接点を持ったり、

名刺の数が仕事の数だと信じ、

自分を認めない人とは一切の交流をしなかったり。

 

自分を偽り、繕ったり、

力があると言われるの人のそばにピタッとへばりついて、その陰に隠れ、力を持った気になり、自分の心で感じていないことに気づかない。

 

限られた手持ちを少しでも大きくしようと、知識もない状態で、漠然と、投資へ走ったり。

 

あなたは間違っていません。

今はこんな星周りだから今は乗り越えるべき。

これは運命だから。避けられないあなたの道だから。

ありのままでいいのよ。

 

第三者の言葉を本気で信じ、

自分の道を自分で築いていないと分からず、

その考えに振り回される。

 

傷つくことを何より恐れ、

私、私、私、と我を通し、わがままのまま都合のいいところを行ったり来たり。

 

自分を心地よくしてくれる人へ渡り歩き、

自分を否定する人には、敵意をむき出し、急所をつかれれば、逃げまどう。

 

弱さは心に隙間をぱっくりあけ、そこにすっと入り込むように自分と同じ人が入り込む。

 

いつも相手に嫌われないように

ニコニコと、喧嘩はしません、何事も穏便に、否定することは一切言いません。

とばかりに、まるで、DVに耐える美徳、のような

品のない生き方と言えましょうか。

 

これが、表参道を精一杯に生きた

長らく気づけなかった私の弱さや逃げの影の部分です。

 

ある方から教わりました。

 

’借りたものをいつか必ず返さなければいけないように

弱さや逃げは、自分の中に負の資産となり、

必ず、どこかのタイミングでその代償を払わなければなりません。

 

そこからは、絶対に、逃げられません。

 

どこかのタイミングで、自分の弱さを認め、しっかりと向き合い、

身を切る思いで根本的に自分を変えなければ、

環境が変わっても、

周りの人が変わっても、

同じ壁にまたぶち当たり、

永遠と、繰り返します。’

 

というニュワンスだったかと思います。

 

確かに、表参道のお店を閉め、沖縄へ引っ越し、負の資産を返し始め、

国からの借金完済したまではよかったのです。

 

しかし、環境を変え、人の環境も変えたはずなのに・・・

 

実は、ある時期、とある組織へ属したのですが

そこがなんとも独裁主義のような世界でして。

 

たとえば、

赤信号でも組織のトップが渡れと言えば渡らなければならない、と、平然とのたまう環境。

私が業務上で取引先とのやり取りをした際、トップの機嫌が悪いのか、

面白いほどコロコロ方向性を変えるので、直接やり取りをしている私は

「こないだ言われていることと違いますよね?」と相手先との意思疎通が成り立たず、

スムーズにいかないそこだけを切り取って、物凄い剣幕で怒り狂われたことがあります。

 

’あなたがすべて悪い。あなたほどの馬鹿は見たことがないし、使えなさすぎる。’

 

もちろん私にも落ち度があるでしょうし、

何を言われても、担当として関わったからにはそれからも対応をせねばなりません。

業務を円滑にさせるためにどうしたらスムーズにいくかを一般常識範囲で冷静に提案しますと、

益々虫の居所が悪くなるのか、大声で怒鳴り散らす始末。

 

隣、その隣、その隣の事務所にまで会話の内容まで筒抜けだったようで、

ビルの管理者にこっそり心配された時、声の大きさがどれほどだったのか確認できたほど。

 

こういう事態になった時、

怯えて固まってしまうか、それとも、正当性を冷静に伝えるか。

人はどちらかに分かれるのですが、99%、怯えて言葉が出ません。

 

その陰にへばりつくように身をよせて、

旨みを吸おうとするおばけみたいな人が実際に居て、そんな人は、もっと面白く。

 

ある業務の方向性を話さねばならないときがあり、

メモにもしっかり残して、論理立って打合せをしたにも関わらず、

もしトップが逆の方向性を示したら、ころっと手の平をひっくり返し、

私はそんなこと言った覚えもなければ考えてもいませんよ、

と、平然と、しらをきるんですよね。

 

また、怒りの矛先が自分に向いてしまうような業務は、例え当の本人が担当にも関わらず、

’私は忙しいから今は手がつけられないので。’と責任転嫁し、他人任せ。

私の脳みそとはまったく質の違う、その専門分野の知識や資格がおありの優秀な方なのに。

 

最悪、あり得もしないことをあったことのように事件にしたてあげ、

然るべき機関が仲介にはいらなければ収拾つかないまで発展させ、

翌日、何もなかったように、けろっとする。

 

この世の中、一人一人が支えあい、社会があり、法律を遵守し、社会的マナーでもって、それぞれの役割をこなし成り立っているのが世間であり、常識だと捉えていたのですが、

虫の居所が悪い人で成り立つ、私の考える常識が一切通用しない世界って本当にあるですね。

 

その世界には、役割分担も担当も垣根がなく、

嫌と言えない人や責任感が強い人の情は、軽く自分都合で使い回され、

そこから生じたしりぬぐいも、責任感の強い人が始末させられるという構造。

めちゃくちゃです。当の本人には、悪ぶるそぶりがまったくない。


私は、毎日戦いに出るような気持ちで重い足を引きずっていまして、

何も感じないようにすることで心の正常さを保ち、

ああ、またどなってるわ。くだらないわ。と、冷めてみるようになり、

やれることはやりきった。もうこれ以上私がやれることは何も無い、と

自分に納得できるゾーンへ達した時、虫唾が走るほど嫌気がさし、

 

もう二度と関わりたくない。

もう二度とあの人たちと同じ空気を吸いたくない。

と、遅いですけど。笑。 なりました。

 

それからは、自分を守るため音を立てないように静かに、然るべきタイミングの備えを整えながら、

一旦身を引いて、また戻り、やり直す、といったじわりじわりと距離を置き、

ある日、引き寄せてしまった環境からきれいさっぱり、線を引いたことがありました。

 

これでも、

その人たちと出逢ったばかりは純粋に相手を信じていましたし、

私はこの人たちのために何ができるんだろうと、身を粉にして働き、尽くしたんです。

 

まさに異常なDVが成り立ち

常識はまったく通用せず、理不尽さや矛盾さが漂い、その取り巻きまでも同様で、

この人たちはずっとここで生きていくんだなあと、思いました。

 

これも周りの環境や人がどうこうと問題はまったなく、

すべて私の身から出た錆。まさに、ある方が言った通り。

 

’同じことを繰り返す’

 

それを機に、

那覇市で隠れ家マンションエステをしながら

自分自身の弱さとじっと向き合い、淡々と生活を送っていましたら、

線を引いた2カ月後、私の前にぽっと、優しい光がともされました。

 

このブログは、ざんげ室ではなく、

自営業の厳しさを語りたいわけでも、

誰に頼まれているわけでもなく、

また特定の誰かへ向けていません。

 

再度、私は無宗教だし、自分の整理のためにブログを更新しています。

 

時に本業、時に副業と、ひたすら走った自営業者14年。

表に立ち、目先の目標を実現できたところまでは、ある意味、私はとても恵まれていました。

 

しかし。

私は、仕事以前に、人としての正しい在り方の軸がなく、自分を大切にする、幸せにする、という

本来の核が抜け、人とお金で、大きくぶれました。

 

核がなければ、空っぽ。

仕事に魂を込められるわけもなく、何をするにもすっからかん。

その核に向き合ったのが、優しくぽっと光った今年5月に嫁いだ新生活でした。

 

私の中には、歪んだ心や弱さがあり、勘違いや道を踏み外さないよう、

やれなければならない事はたった2つ。

 

お金の完済と、

生活の見直しです。

 

すでに取り掛かっていますが

まずは完済へ向けて。

 

滞納した税、積立保険の戻し、親族への返金を完済させること。

1年以上はまだかかります。

 

そんな話をしていましたら

自営業者で本懐を遂げるとは、どんなことか主人が数字で示してくれ、

私がこれまで自営業者として誤った道を突き進んでいたことに気づかせてくれました。

 

あとは、

家事を大切に、目の前のことを丁寧に、心を込めて、淡々をこなす。

 

規則正しい時間、自炊や健康管理、掃除、片づけ、食費の管理。

 

ここが今の私の優先順位で、そこから主人やビゼンの会計、

また、頂けた出張エステを担当させて頂いたり、化粧品注文を頂いた時のフォローアップ、

そして、心を落ち着かせて自分と向き合う時間と、

家族や友人との時間や趣味の時間を持つこと。

 

努力や挑戦は怠るのは論外ですが

誰にでも一日が24時間しないように、

お金も、給与、お小遣い、年金など自分が得ている範囲は必ずあって、

心のキャパシティーも同様です。

 

今目の前にある範疇の中で生きるのが人として当たり前のこと。

 

ぎりぎりで余裕がなければ、

必ず無理が生じ、

人としてのバランスを崩しますし、

その範疇を超えれば、必ず、周りに、

迷惑をかけています。

自活できないのも同様です。

 

余裕があるからこそ、新しいチャンスが入りこめるスペースが生まれる。

 

しかし、どれだけ当たり前に生活していても、時には苦しい選択を迫られる時もあるでしょうが

身を切る思いで

できることはとことんやり、これ以上何もできない、と納得できるまで進み、

やり尽くした、と自分が納得できる時まで突き進み、

もうだめだと心が素直に感じたら、

潔く線を引く、というのも一つの手段だと私は学びました。

 

人としての在り方が間違っていなければ

沖縄で線を引いた後、私にぽっと温かい光がともされたように

おのずと、静かに、新しい道が開けていくものかもしれません。

 

この在り方を、冷たい人だと捉える人には、その人生だし、

人として正しい判断だと冷静さを保ち行動に起こせる人にも、その人生。

 

そのどちらで生きたいか決めるのは、

他の誰でもなく、やはり自分次第。

 

身を切るという本当の意味は、

負の資産を返しきったときにまた見えてくるのかもしれません。

私のこれからはまだまだ続きます。

 

私がもし、あの時あの人に出逢わなったら?

もし、地元を離れず、表参道へ行かず、沖縄へ行かなかったら?

今でも、ふと考えます。

 

凛と佇む存在感のある美しい大木のように

情けないと思える過去も

自分の一部だった葉が枯れ葉となって落ち、

その枯れ葉が何層にも重なり、自らが肥料として栄養に変わり

自分を潤す日が来るのと同じ、

無くてはならない人生の栄養なのかもしれません。

 

自分の一部だった枯れ葉が自然に風に舞って、

周りの木を潤わせることだってありますし。

 

時に、大地が緩み、大木が倒れかけるような台風や嵐に見舞われることは自然に起こり、

太い根っこがびっしり張り巡らされてさえいれば

ちょっとやそっとの天災ではびくともせず、がっちり自分を支えられる。

 

四季の変化や、悪天候や、外の刺激が原因で、

葉や枝が変形し、腐り、枯れ、折れてしまうこともあっても、

日頃から雨の水分を蓄え、自分の一部を栄養にして、太陽のエネルギーをいっぱいに浴びれば、

また、新しい元気な新芽が顔を出す。

 

沢山の葉を付けることができれば、太陽の光をたっぷり浴びることができるし、

どこからともなく鳥が集まり身体を休める憩の場になれば、

自分の葉が日陰となり、人が休み、涼しませることもできるし、

実がつけば、誰かの栄養にもなる。

 

逆に、折れそうな、か弱い木を守ろうとすればするほど、

木は刺激を失い、強くなれるチャンスを奪われるもので

そう捉えると、刺激を避けて通ることはできず、

あなたのために、とか、

使命だから、とか、

助けたいの、という考えが、

いかに相手のチャンスを奪う自分勝手な傲慢さなのか。

 

自分の傲慢さを気付けたとき、

そこから何を感じとり、どう活かしたいか。試されているようです。

 

底力を鍛えるのは、

やはり刺激以外ないものかと。


美しい大木として立っているのか、

それとも腐らせてしまうのか、

人、お金、環境、教養、何のせいでもなく、

等身大の自分が

何よりの証なのではないでしょうか。

 

自分をがっちり支える根がどんな過程をへて育ったのか、根っこのように目に見えないもので

 

自分がすべきことは何で、できることはどこまでなのか、線を引けた時、

おのずと人との距離感も見えてくるものでは。

 

そう思えた時、人生って何一つ無駄はないんだと気づけ、

人生で初めて、豊かさを心で感じ、

人生で初めて、幸せをじんわりと感じることができています。

 

私にも感情はあり、悶々と、不安のどつぼにはまる時もあるもので、

そんな時ほど、心が感じた本やブログを熟読し、経験とリンクさせ、じっくり咀嚼し、

その整理のために、自分のためにブログを更新していく。

 

これが、今の私のブログの在り方と、私自身の在り方です。

 

これまでアメーバブログを通じ出逢いがあり、

直接応援メッセージを頂いたり、

当店をご利用されたときは、心から感動したものです。

 

その節はありがとうございました。

この場をお借りして、御礼申し上げます。

 

今後は、アメーバブログから直接メッセージを頂いても

万が一、私の確認が遅れ、返信する時しない時があり得えますので、

曖昧な管理でご迷惑をおかけできず、返信はいたしかねます。ご理解下さいませ。

 

新しいブログは私の整理のためのブログとなり、

敢えてメッセージ欄のみ、承認制で設定。

アメーバブログとはシステムが異なり、その他のSNS同様

「いいね」出来ないようバナーは外しています。

 

この後、12:00~

新ブログへ引っ越ししますが、新しいURLは

一旦12:00にこのブログから告知をします。

 

これまでアメーバブログを通じてお世話になった皆様、

また、日頃よりお世話になっている皆様、

本年もありがとうございました。

 

どうぞよいお年をお迎えください。

 

エステティシャン美知

 

先日の積雪から、今日は嘘のように温かい太陽の光が部屋に届き、

おかげで私は今、ポカポカしたデスクで作業に集中できています。

 

この時期は、

外気と室内の温度差で

外がぼやけて見えなくなるほど水滴がしたたり、

ガラスが曇るんですよね。

 

さきほど

今がチャンスとばかり、ガラスを拭いてみたのですが

水滴のおかげで専用洗剤を使用することなく綺麗に仕上がったので

一石二鳥でしたよ~

 

この時期、ホームセンターやスーパーや100均など

至る量販店で、大掃除に活かせそうな様々な商品が売られています。

 

個人的ですが、

頑固な油汚れだけでなく、古くなったすすの汚れまで

さっと吹きかけるだけで綺麗さっぱり落ちる万能なマジックリン洗剤を

.愛用していたことがあります。

 

ただ、肌への刺激を極力抑えたいと思うと

専用洗剤を敢えて避け、

重曹を使うこともあり、

私だけでなく、きっと、

それぞれこだわりがあるんだろうなあと思っています。

 

私はこの時期だけでなく、年中、

エステのご予約を頂いたらエステティシャンとしてすぐ準備できるように

食器洗いだけでなく、掃除や、薬品を使用する時には

必ずゴム手袋をするようにしていて、肌を守る工夫をしながら、

日頃の家事をして、仕事への整えをしています。

 

これをしないと

畑仕事で頑張るおばあちゃんの手のように

手先の角質が岩のように固くなってしまい、

たわしで顔の皮膚をこすられているくらいの指先になってしまうんですよね。

 

この手になってしまうと

フェイシャルだけでなく、人の肌に触れられず、

例え、マッサージジェルで滑りをよくさせても

素肌を傷をつけてしまいます。

 

そのくらい、掃除用洗剤は肌への負担が大きいという。

 

万能マジックリンは、確かに便利ですが

肌への負担を考えれば、ガラスの水滴のような自然環境にあるもので済まられるのが

身体面でも、経済的でも、いいに越したことはないなあと。

 

ただ、厳しく考えますと

食器洗いは致し方ないとして、

本来、薬品を使わなければ落ちないほど

頑固な汚れをほっておいた自分の管理不足。

 

生活の垢は、その日その日に取るようにしていれば、

その分、大掃除の手間が抑えられ、時短にもなりますし、

 

’今やれることは今やっておこう’

といった習慣も身につけられるので

手の行き届いたご自宅を拝見すると

家が主婦の鏡になっているような気がしてなりません。

 

生活の垢は、自分の垢なんだなあと。

万能洗剤のお世話にならなければ落とせないような垢を

肥厚させないように。

 

ガラス拭き一つとっても、

掃除がスムーズに進んだ時、

毎日の掃除がそれなりに行き届いているのかなあと

ちょっと自分をほめています。

 

さあ、今日もおそうじおそうじ。

 

 

 

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寒いなんてもんじゃない。

手足が痛いです。

 

こんにちは。

三河地区、朝から積雪です。

 

灯油を少しでも節約しようと

朝から切ったりつけたりを繰り返し、外をちらちら眺めながら、

今月中旬から明後日大晦日に控えた一人イベントに向けてちまちまと地味に準備を整えているのですが、

それにしても寒い。

 

 

先日は、お正月の準備を少ししまして、

実家の庭先で育ったセンリョウを活け、

リビング、キッチン、トイレへ置き、

玄関としている場所へ締め縄もセットしました。

 

いよいよ年越し、ですねえ。

 

正直、寒さのあまり、何もやる気が起こりませんが

主人は今日も頑張ってお仕事をしてくれていますので

そんなこと言っていられません。

 

それにしても、世の中、

自分のしたいことを何よりも優先し、大掃除もせず、

目の前だけほこりが立たなければいいのさ~

掃除をしない性格なの~

と、平然と口にして、その恥ずかしさにまったく気づけない

自分主義といいますか、

堂々と生きておられる方がいるものですね。

 

もちろん、常日頃から

規則的にお掃除をされているのであれば

何も改まって年の瀬に大掃除は必要ないでしょう。

 

私が今まで出逢ってきた人を思い返しながら、

そういう自分主義の人ほど

食べ方とか、生き方に節度を持てない下品さと言いますか、

都合が悪いと周りに頼りきって

図々しく平然と生きている様は見事です。

 

人として情けないこんな姿は、

出来ることならみたくないですし、

できれば同じ空気を吸いたくないほど

関わりたくありません。

 

どう在ろうと自分の勝手で、

自分以外に迷惑がかからなければ

別にいいんです。

 

あくまで自分主義は自分勝手な問題で

第三者が首を突っ込むことではありませんが

せめて住んでいる場所や、職場くらい、

家族みんなが快適に生活が送れるように掃除をしたり、

整頓をするなり、

誰かがやるからいいでしょう、と投げず、

当たり前の生活の基本を見直してくれればなあと、

遠目で見ています。

 

せめて私は

大掃除がなぜ大切なのかその意味をもう一度理解し、

自分の生活空間だけは、清い空間を保てるように

お昼を取らず、作業に集中したのでお餅でも食べながら、

今日のこれからと明日の時間を使って、

見の回りの大掃除に取り掛かる予定でいます。

 

動けば身体も温かくなることでしょう。笑

 

 

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トヨタ自動車が今日から大型連休にはいりました。

三河地区、特に豊田市を含めたその近辺は関連企業はじめ、多くの会社が、
トヨタ自動車の営業日時がダイレクトに関係し、
その周りの一般家庭にも、何らかの日常生活に影響があります。

なので、平日は毎日、
住まいの前の道路に、いつもならある渋滞に並ぶ車のエンジン音がなく、
ちょっとばかりさみしい朝を迎えました。

連休が開けるまで、普段平日にある出勤ラッシュや帰宅ラッシュがなく、静かになります。

主人は建設業なので、
その企業がお休みになると、逆に忙しくなるので、一時でも、道がすくということは、移動の疲労が幾分か楽になるので、渋滞目線からみたら、助かっている私たちがいます。

世界のトヨタ、とは言いますが
その偉大さを感じずにはいられないといいますか。ほんと、身に響くというか、凄いことですね。

さて、先日は、
今年春に入籍した私たち夫婦へ、お祝儀を頂きまして、
一般常識的にはその翌月には内祝いをするものですが、ずいぶん遅れ、今年頂いた方への内祝い買い出しをしてきました。


沖縄の方は手渡しできないので郵送になりますが、他の方は夫婦で出向き、年内にすべて手渡する予定です。

私たちは挙式をまだ挙げていないので、
内祝いをみながら、再度、新婚の初々しい気持ちが湧きました。

新しい家族になり、新生活が始まると、毎日の生活に淡々と向き合うので、つい、新婚の気持ちが薄れてしまいます。

先日、入籍イヴイヴのお祝いで主役のお友達をみながら、
出逢ったときのあのときの気持ちを大切にしたい。
と呟いた主人の心に、ちょっと寄り添えた気がします。

平成さいごの年末、年明けまであと僅か。

やり残しないよう、目の前のやるべきこと、淡々としないといけませんね。



今日も静かな朝、が始まりました。

平成最後の年末。

 

Facebookを見ていると平成を振り返る動画が流れていたりして

大晦日の番組は例年にないような感懐深さがありそうです。

 

おはようございます。

 

終わり、と始まり。

 

毎日生活をしていると

自分で変化を付けなければ淡々と時間は過ぎて行くので

自分なりの終わりと始まりを日々の生活に取り入れ、

季節の移り変わりのように、その時その時の変化を

しっかり感じていきたいなあ、と平成最後の年末を過ごしながら思っています。

 

先日、市から補助を受けて、乳がん検診へ行ってきました。

 

’はるさき検診センター’を利用したのですが、

まだ新しい施設で、内装もインテリアも品よく、

スタッフの方々はてきぱきお仕事をされていて、

気持ちよく、心地よく検診を受けることができました。

 

病院や公共の施設って、

そこで働く方がどうしてか冷たそうというか、恐そうというか、

個人的に、じめっとした、暗い印象が強いので

こうした、スタッフの方が気持ちよくお仕事をされているのを見ていると

人も、心地よい空間の一部になっているんだなあと、

ぼんやりと眺めていました。

 

さて。

自営業をしていると、

会社員の時代をよく振り返ります。

 

健診の希望日を決めさせてもらい、

勤務時間内に健康診断をマストとして受けれる

手厚い福利厚生がどれだけありがたかった、かと。

 

逆に自営業は

郵送された受診券と資料をチェックし、

健診を受ける項目を自分で決めて、

自分で予約を入れ、自主的に出向かなければ

受診せずにあれよあれよと一年経っていることも珍しくなく。

 

そもそも健診を、

受けなくても生活に支障はきたしません、

と考えていた時もありまして。


ただ、もし、万が一の事があったとき、

目の前の家族に迷惑をかけてしまうので

やはり、必要ですね。

 

終わりと、始まり。

 

一年間を過ごした生活のほこりをしっかりと払い、

身の回りを綺麗にしてから、気持ちよく新年を迎える年末の大掃除って

終わりと、始まり、を清く迎えるために

ほんと、大切だよなあと思いつつ、

さいきんは、何を’必要’とするのか、よく考えます。

 

終わりと、始まり。を迎えるために

年末の大掃除は必要。

 

これを言いたかった。笑

 

 

 

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いつもの朝が始まりました。

クリスマスは終わりましたよ~

おはようございます。

 

朝5時半にアラームで目覚め、10分後には起き上がり、

身支度を整えながら、

主人の朝食とお弁当の調理。

 

6時10分に朝食を摂ってもらい、

6時半に水筒2本とお弁当を渡し、見送り。

 

それから、

私は部屋に戻り、皿洗いや片づけ、換気、簡単な掃除やベッドメイキングが完了して、

一旦落ち着くのが7時。

 

それから、落ち着いてPCへ向かい、

渋滞中の車のエンジン音で世間の朝を感じながら

いつも通りのブログ更新や情報収集が始まります。

 

冬の朝5時代って、まだ陽がのぼっていないし、外は真っ暗なんですよね。

 

おまけに部屋がかなり冷え切っているので

布団から起き上がる、というより、むしろ、這い上がっています。

 

這い上がる瞬間が、なんとも億劫で、

あと5分寝かしてーと思うものの、

 

さあ、今日も美味しいお弁当でも作りますか~

 

と、穏やかに朝を迎えられています。

 

主婦であれば、当たり前のことかもしれませんが

私にとって、この当たり前の家事が楽しさに変わりつつあり、

私って幸せ者なんだなあ、としみじみ実感しています。

 

さてさきほど、

リビングと寝室のクリスマスデコレーションをさくっと片づけまして、

「今年もありがとう、また来年ね。」

と、心の中で御礼を告げて、

元のケースへ収納しました。

 

この手の片づけ、後回しにしたくなる。

 

実は私、昨夜片付けを終えようかと思っていたのですが

夕食後、だらだら過ごしてしまい、先ほど済ませたばかり。

 

この後回し癖って、

実は、手がつけられないほど、世間に相手にされない重症者になっていく

こわーい警戒音、とつくづく思っていましてガーン

 

後でやろう。

 

本当に後で出来れば未だいいのかもしれませんがが

後でやろうが、翌日になり、翌々日になり、

1週間が経ち、1ヵ月が経ち、気づくと半年、来年を迎えたり。

 

時間が経てばたつほど

ほこりがかぶったり、余計な掃除の手間が増えて、

さらに、手をつけなくなっていく。

 

やがて、古くなってしまい無残な状態で

手をつけていない新品のまま、捨てなければならなくなる。

 

後回しにした、ほんの些細な癖は

やがて身体にしっかりと染みつき、

メリハリがない、人としてだらしさを醸し出し、

その習慣は、知らぬ間に仕事へリンクしていく。

 

これは私の勝手な独断と偏見ですが、

’仕事’で時間を守らない人は、

後回しの癖で日頃過ごしていて、

さまざまなだらしなさをさらに養っているように見てしまいます。

 

生活のだらしなさ。

時間のだらしなさ。

人間関係のだらしなさ。

お金のだらしなさ。

食のだらしなさ。

 

そんな重症者へ。

 

たとえば、時間を例に挙げてみますと

打ち合わせに1分遅れただけで、

規模の大小に関わらず、潔くビジネスを解消する

某社長がおられました。

 

逆に、待ち合わせに1時間以上前に着いていて、

周りの状況から気づきたことがあれば、敢えて、事前に連絡を下さる方もおられたり。

 

ちゃんとされている方って、

先回って、親切さをさりげなく、伝えるんですよね。

頭が上がらないといいますが、本当に多くを学ばせてもらいます。

 

だらしない人は、やはり、その周りもだらしない人。

 

例の社長は、責任ある行動だと

捉えることができます。

 

ただ、自分だけが重傷者なら、まだ勝手なことです。

 

もっと怖いのが、

例え夫がしっかりしていても

だらしない妻をもらった夫、として、人と成りをみられてしまうこと。

 

これって、チームでも、組織でも

同じことが言えるなあと思っていまして。

 

おおげさでも何でもなく、

自分だけでなく、周りにも迷惑をかけていることに

気が付かなくなってしまうのです。

 

大切なことは、

人に迷惑をかけない、ということではないでしょうか。

 

’なんで自分ばかりきつくあたるのだろう’

’なんでひどいことばかり言われないといけないんだろう’

 

私自身、

主人なり、これまで働いてきた環境なり、心でこう感じてしまった時は、

まずは、

自分に後回し癖が染みついていないか、振り返る機会にあてています。


習慣とは、怖さをはらんでいるもので、

いざという時にほど、日頃の習慣が表にでてしまいます。

 

お洋服の収納、お皿の片づけ、洗濯、家計簿の後回しもしかり。

 

そして、美容にまでも。

 

角質の肥厚からくる毛穴のつまりやくすみって、

たいてい、顔のクレンジング不足、ということが少なくありません。

 

サロン営業をしていた時、感じたのは

生まれつき肌が綺麗で、

小さい頃から「きれいだね」と、もてはやされてきた人ほど、

クレンジングを翌朝にまわす癖があり、

予約時間にほぼほぼ遅れてきたり、

ひどいと平気でキャンセルする人までいます。

 

すべての人ではありませんけどね。

でも、人の傾向って確かにあります。

 

私自身、かなりのめんどくさがりやです。

 

後回し癖を元々もっているので

「いかん!!!」と、お尻を叩いてすぐ動かなければ

平気でずるずるとしてしまいます汗

 

後回しの癖を正す、って別に難しいことでもなんでもなくて、

日常の生活の掃除や片づけを

テキパキやってしまえばいいだけの

何も難しいことではないのでしょうね。

 

今やるか。後回しにするか。

めんどくささを優先させ、自分を甘やかすか。

 

毎日の生活の中で、

考え方次第で、

自分の悪い癖を見直せたり、悪い癖をさらに助長させることもできる。

 

大げさでも何でもなく、

老けさせる原因を自分で作っていることも大いに絡んでいて

これもすべて自分次第なんだろうなあと

クリスマスグッズを片付けながら、考えてしまいました。

 

せめて、自分を老けさせないようにしなくては。

 

 

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おはようございます。

今日はクリスマス、ですね。

 

リビングでデコレーションしているクリスマス。

 

個人的に心地よかったのですが

クリスチャンでもあるまいし何やってんだか・・・と、主人は

この気持ちがまったく分からないようで笑

 

潔く、今日片づけなければいけません汗

 

Facebookの知人記事には

ぼっちクリスマスでもいいんです!

的なつぶやきをこっそり見なから、

楽しみ方って周りは関係ないんじゃないかなあと

思っています。

 

現に、去年まで

独身を横臥してきた私の毎年恒例は

ぼっちクリスマスでケーキを1ホール、

フォークで無造作に食す。

 

でしたから。笑 ムフフ

 

そんな流れから、

今年のクリスマスは

イベントに一切興味を示さない主人を無理やり巻き込みまして、

昨夜はチキンのトマト煮や、たっぷりのコーンを使った炒め物、

ケーキを買い込んで、食べまくったというニコニコ

 

今夜も食べます。笑

 

クリスマスといえば、パートナーがいたら

プレゼントはぜったいに欠かせない~

 

という方も少なくないでしょうか。

 

私にはまったく、

クリスマスプレゼント意識はなくなりましたが

図々しくも

プレゼントをゲットしました!

 

実はこれ、期限付きのイベントで、

350ml×6本入りセットに包装されているキリン一番搾りの応募券を8枚集め、

専用葉書で投函しますと、

 

350ml×4本プラス 300ml入りのビールグラス

がもらえる景品です。

 

そして。

 

ローソンでクリスマスケーキ。

 

実質、0円の品々です。

勝手にプレゼントに置き換えてるだけですが。笑

 

私がブログに残したいことは、

ここではなくて。

 

ほんのひと手間かけるだけで

その手間をかけなければ得られないものを

誰でも得られるチャンスが存在する、ということ。

 

このビールも、

景品をもらう条件を満たすために

7千円分近い数を事前に購入しています。

 

これは、景品を得るためでなく、

日頃から主人が飲用しているもので

まとめ買いしました。

 

はさみで応募券をちょきちょき切って、ノリで応募葉書に貼って、

切手を購入して、投函した、という手間がかけ、景品を頂きました。

 

ローソンのクリスマスケーキは、

年間費のかからないクレジットカードを所有し、こつこつ貯めたポイント。

 

インターネットから専用サイトで申込み、

手元にきたクレジットカードで

なるべく現金ではなく、クレジットカードで買い物をする、という手間をかけ、貯まったポイントを使いました。

 

こういう、

ちまちました努力や情報収集能力って

女性は特にたけていませんかニコニコ

 

私の結婚前の話になりますが

「あなたは日頃のお買い物で、おまけを利用していますか」と

敢えて主人に確かめたことがありまして。

 

主人は自営業者なので、

仕事に必要な物品購入は毎月結構な額になります。

 

「意識したことはない」

とのことだったので、ならば私に任せてくださいと、

正直けっこう面倒ですが、ひと手間生活を始めました。

 

一緒に生活をはじめて8カ月、

目に見えるおまけの恩恵をリアルに受け、そろそろ主人も、その習慣が根付きつつあります。

 

ほんのひと手間かけるだけで

その手間をかけなければ得られないものを

得た。

 

こういうのって、生活の賢い知恵だよなあと捉えています。

 

見方をかえてみますと

銀行の利子、世の投資、仕事、生活、生き方も同じなのかなあと。

 

例えば、銀行利子は分かりやすく、

より大きな規模の預金という、ひと手間をかけ、富を得ることも可能ですよね

 

逆に、

ひと手間かけれない人ほど多くの、多くの損をしていて、

すべてではないですが、

どこか湿っぽい雰囲気を漂わせているようにも感じます。

 

こうした、おまけ、もとい、付加価値を得るために、

生活を脅かすほど消費をしてしまったら

それは本末転倒です。


でも、賢く、清く、努力すれば、

得っと多いんじゃないかなあ。

と、損をしていた過去の自分を振り返る機会になっています。

 

何事も、丁寧に、ひと手間をかける賢さ、というか、清さは、

私は日々、生活の中で学べているように思います。

 

LEDのクリスマスのイルミネーションを眺めながら、

今日もおまけ根性で、生活を送ろう、そう思いました。

 

メリークリスマスクリスマスツリー

 

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この寒い愛知でも

蘭が根付いてくれました。

 

おはようございます。

 

ご覧いただけますでしょうか~

 

画像中央に

新芽が、大きな葉の陰にしっかりと身をかがめながらも

力強く真っ直ぐに伸びようとしているビックリマーク

 

ああ、なんと感動的なのしょぼん

 

と、一人で感動にひたっておりますが

だって、蘭の花を咲かせるのって簡単じゃないから・・・

 

私は、今年4月まで那覇で生活をしておりまして

蘭が南国の花であることを

来沖してから知りました。

 

島内のファーマーズマーケットへ行けば

たいていは蘭が売られているほどでしたし。

 

それまで、私にとっての蘭は

飲み屋の開店祝いに、豪華きらびやかに飾られる、

まるでそのお店のオーナーの力を世に見せつけるための華の頂点が蘭~

 

そんなふうにしか見ていませんでした。

胡蝶蘭のことなんですけどね。

 

ところが、沖縄には多種多様な蘭たちが居て、

蘭と一言にいっても、いろんな顔があるんです。

 

健気というか、

凛としているというか、

確かな美の存在と言いますか、

これまでの蘭の存在を覆されたような、

なので来沖以来、蘭好きですニコニコ

 

なので、

買いだしのたびに蘭を購入しては、

咲き終わった蘭の根を大切に残し、再び新しい花を咲かせよう。

 

これが、私の小さな趣味でもありました。笑

 

移住していたベランダで栽培をしていたのですが

同じ環境化にありながら、

すべての根が、再び花を咲かせるとは限らないんですよね。

 

水をあげすぎないとか、

なるべく日陰で風通しのいい場所を選ぶ、とか

それだけではなくて。繊細なのでしょうか。

 

那覇での生活で、過去にたった一度だけ

再び花を咲かせたことがあったのですが、

本当に感動してしまって、愛おしく感じたものでした。

 

それがこのブログです。

 

那覇での生活で、これまでいろいろな鉢を迎え入れてきましたが

最終的にはすべての蘭の根が枯れてしまいました。

 

ありがとう、と静かにお別れをして

ゴミ箱へ、捨てました。

 

今年5月に嫁いでから、新しい部屋に変わりましたので

早速、ホームセンターで新たな蘭を購入しまして

その子たちが再び蕾に向け、成長を始めたという。

 

その画像が、上記です。

 

わくわく。また、楽しみが一つ、増えましたひらめき電球

 

さて。

先日、お友達の入籍イヴイヴ祝いを主人と行ってきたのですが、

幸せそうな二人は、見事なまでのキラキラカップルでしたよニコニコ

 

幸せそうな二人を見ながら、

夫婦生活をこの蘭のような華を咲かせるのって

やっぱり、夫婦共に、以上に

’自分自身の在り方次第なのかなあ’と

静かに思いました。

 

’夫婦二人三脚でしょ’

 

ある意味その通りなのですが、

そこには大切な前提がある、と思っています。

 

この前提を意識できるか、できないかで、

これからの夫婦関係の先は

この蘭のように華が咲くか、咲かないか、

決めているのかと考えています。

 

夫婦と言えど、

考え方も違えば、これまで目にしてきた、乗り越えてきた環境、

そして、今、目の前の取り組んでいる課題は、全く違います。

 

何を良し、とし、何を悪い、としているのか。

 

価値観、とも捉えられますが

そのすべてを夫婦だからといって一生理解し合えることはない、

私は今、そう思っています。

 

理解し合う、ということではなく、

理解しようと努力はするけれど、それ以上に

自分が相手にどう寄り添っていけるか。

その中で、夫として、妻として、自分がどう在りたいか。

 

それが前提にあって’夫婦二人三脚の軸’

になっているのではないでしょうか。

 

寄り添うことをせず、

何を良し、とし、何を悪い、という自分の考えをどこまでも、どこまでも、押し通す。

 

これは、わがままを押し通しているのと

同じ。

 

わがままを貫こうとするあまり、

思い通りにならない事を何かのせいにあてつけ、

やがて、相手に、その矛先を向ける。

 

「あなたのせいでこうなった」

「あなたのせいで・・・」

 

この主張の根本は

自分のわがままであることに気が付けず、

相手を責めることばかりに走り、

なぜ、私ばかりこんな思いをしなければならないんだろうって

どんどんと悲観的な沼に、自らから、深みにはまっていく。

 

悪意の塊で相手を陥れようとDVに走ったり、またそれを受け入れたり、

生活を放棄したり、

人の良識がみじんにもなく、人の道を外れているのは、

あくまで論外ですが、結局、

夫婦生活は

うまくいかせるもの、うかせないもの、すべて自分次第で成り立っていて、

いくら夫婦と言えど、

 

’親しき中にも礼儀あり’のラインを超えてはいけないのが

当然のルールで、そこをはき違えるから、わがままに暴走するのかなあ、と。

 

私の華の新婚生活はまだたった8カ月ですが、

沼にはまっていた時期がありまして、

自分で這い上がって、沼から抜けてきました。笑

 

だから、そこに

嫌というほど意識が働いていくのかもしれません。

 

 

 

昨夜の主役の二人ですが、

実は私が18歳19歳の頃、熱中していた同じ趣味仲間。

 

そして、私たち夫婦を引き合わせてくれた仲人でもある先輩も

その当時の仲間です。

 

23年の歳月を経て、

その仲間が再会し、

愛をはぐくんだ。

 

奥さんは食事へ行ったり、一緒にでかけたりしているのですが

旦那さんは、昨夜が23年ぶりの再会。

 

私の中には、数回趣味で会った程度のおぼろげな記憶ですが、

あの頃と変わらない真っ直ぐなお人柄のままでした。

 

それが本当に嬉しくて。

 

なので、その先輩の経営するバーへ、

2件目も4人で行ったのですが、

懐かしい話に花が咲いただけでなく、

気の合う大人のお友達ができたような感覚になり、

私には本当に深みのある濃い時間となりました。

 

健気な蘭の新芽を愛おしく感じながら、

昨夜のお友達の入籍イヴイヴ祝いの二人幸せそうな姿をリンクしながら、

思い出しています。

 

人によっては、

花をもらってもすぐ枯らしてしまい、

根のある花はじきに枯れ、再び花を咲かせることはなく、根も枯れてしまう、

と聞いたことがあり、

実は、私も過去に

手もとに花を置いても、すぐにダメになってしまっていた時期があります。

 

花も、人と同じように、しっかり生きていて、

栽培する人の心や、栽培環境の空間や

その空間の気をしっかり浴びて、実は力強く、在ろうとしているのかもしれません。

 

私自身、これからも、

花のある夫婦生活を送られるよう

自分になりにできる目の前のことを丁寧にこなしながら、

今日を大切に過ごしていきたいと心から思いました。

 

 

 

 

 

 

 

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ぷしゅーっと

見事な音とともに、私の小さな愛車のタイヤを

パンクさせてしまいまして。

 

’させた’というのは

私の身体が運転席から移動しやすいように

狭い駐車場の前方左箇所を

壁ギリギリに車を駐車させようと

その限られたスペース内で思い切りハンドルを切ったら、

フェンスを支えているほんの少しのでっぱりの釘に

ハンドルを切ったことではみ出たタイヤの側面へ見事命中させた、という

なんとも、おバカなパンクです。

 

これまでタイヤがパンクした自転車を移動させた経験はあるのですが、

ガタガタなりながらもなんとか移動はできるんですよね。

 

今回初めて、パンクしたタイヤの車のハンドルを握ったのですが

まったく言うことを利かないようで

これは初体験でした。

 

車を移動させることも出来ず、完全に泣き寝入り。

 

↑これ業者ではなくて、

スペアータイヤ交換に

主人が即レスキューしてくれた実際の画像。

 

「余計な仕事をつくりやがって~」

カチンと叱られながら。

 

主人の全体重を工具にのっけて、

カキンカキンとがっちりに留められているタイヤのボルトを

ひとつづつ自力で外し、

日頃仕事で使用しているインパクトやら工具で

手際よく、交換が完了。

 

ちなみにタイヤ交換は

専門店で依頼すれば工賃だけで1千円程度はかかります。

それだけでも無駄な出費💦

 

タイヤ交換って、

教習所で自動車免許を取得する際、確か習ったような。

 

日頃、タイヤ交換をすることがないと

説明書を読んだところで、できないものですね。

 

理論上では理解している。

頭では分かっていても、

実際にそれができるとは、まったく別問題。

 

いやはや、頼もしい主人に感謝しかありません。

 

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