現実男子にして、初めて書きます。


(‐^▽^‐)



いや~記録的な暑さから今度は記録的な寒さと今の日本列島の気候は確実に変動している。



!!




それに、この前は地震もあったし・・・



いよいよ100年以上ぶりの関東大震災が到来か・・・タケシ

 今日は今までの記載していた事とは真逆の事を書きます。これまでの自分は人の命など何とも思っていなかった冷血な男でしたが、今は違います。尊い命が失われた事が深く胸に突き刺さっています。


 インドで起きた豪雨による死者が1,000人を超えたと言う痛ましいニュースをTVで拝見しました。幾ら自然の猛威とは言え、余りにも酷すぎるインドの現状。家も命も失った深い悲しみはきっと生き残った人々の記憶から永遠に消え去る事は無いのだと、痛感しております。

 日本でも豪雨による死者は毎年必ず夏になるとTVのニュースで聞かされますが、どうして防げなかったのだろうと思っても自然の猛威は予想だにしないスピードで人々に襲い掛かる恐怖はきっと言葉では言い表せないであろう。自分は、幸運にも豪雨による天災でこれまで恐ろしい体験をした事はない。住まいが恵まれているのであろうか?。いや、そんな事は無い。直ぐ近くには多摩川が流れている。もしこの多摩川が氾濫したら・・・。そう思うと豪雨による被害は人事ではない。寧ろ、地球温暖化が進むに連れて多摩川の氾濫も有り得るのだとインドの豪雨のニュースを通じて思っている。必死に働き、子孫繁栄の為に生きてきた人間が意図も簡単に天災によって尊い命を奪われてしまう恐怖と悲しみ。悪い人も良い人も確かに存在する。だけど、懸命に生きてきた人間がこうも簡単に命を落としてしまうなんて自然の巨大な力から見たら人間の命なんて小石程度に過ぎないのか?・・・。


 そんな小石程度の命と見なして無慈悲で鬼畜な親も存在した。千葉で臍の緒がくっついたままの乳児が田んぼで死体と発見された!(T▽T;)。こんな酷い事は今に始まった訳では無いが、産まれてすぐの赤子を無残にも殺す人間が存在する事には今でも抑えきれない怒りを覚えている。こいつらには遠慮なく「毒」を吐ける!。悪人には自分も悪人の覚悟で対応する!。確かにそうだ。こんな無慈悲で自分勝手で命の尊さを何とも思わない人間こそ生きる資格は無い!。母親も父親もどんな顔して日々過ごしているのだろう?。妊娠を知った母親は、父親は一体どんな気持ちで居たのだろう?。余りにも簡単に考える「性への意識」。そして芽生えた命を意図も簡単に「中絶」と言う形で葬る法の裁きの無い「列記とした殺人!」。幼少期から両親の顔すら知らない子供でも懸命に生きる人間だって居る。きっと自分を捨てた両親を恨むかもしれない。だが、きっといつかその激しい憎悪の呪縛から解き放たれ自分の価値観を持って生きる人間こそ、これまでを振り返り決して後悔する事の無い人生だったと胸を張って言える。産まれた乳児もきっと両親に捨てられても生きてればその様な人生を歩んだかもしれないのに、まだ感情すら宿らない内に葬られ恨む事すら知らないままあの世へ逝ってしまうなんて・・・。


 自分は幼少期に実の父親と死別。義父との確執に葛藤と苦悩も体験したが祖父や祖母の愛情は一番恵まれていた。自分が長男だったと言う理由もあるかもしれないが。だけど愛情がどういうものなのか?知らないで生きる人も多く存在する。その人間が果たして聖者として生きていくのか?、悪人として生きていくのか?。今まで人間を偽善者扱いしゴキブリ以下だと思っていた自分に自問自答した時、そんな事結局、無意味なのだと最近思っている。警察も裁判官も医師も不祥事を起こす人間は確かに居るけど、同時にその仕事に誇りを持って生きている人間も居る。過去に間違いを起こし自暴自棄になっても何れは改心し立派に生きている人間が・・・。自分はもう、先入観で人を見るのはよそうと思う。


 そして、これからは自分のこれまでに蓄積された激しく深い憎悪を一つ一つ殺していきたいと思う。命の尊さ、多種多様な人間とその半生、過去の思い出の柵にいつまでも囚われているのではなく自然と笑顔が出せる人間。


 前述で述べた事件や事故は確かに痛ましい事だけど「運命」だけは人間の力ではどうしようも変えられない。ただ、出来るのはどんなに悲惨な運命を辿っても自分の贖罪から目を背けず、その重い十字架を背負って生きていき人を慈しみ愛する事を忘れなければ天国へ逝けると信じたい。インドで死んでしまった人や田んぼで捨てられた赤子もまた生まれ変わって、今度こそ必ず愛に満ち溢れた人間の元へ転生出来るよと大声で叫びたい気持ち、自分の中に巣食う憎悪の呪縛から逃れ、自分の価値観を認識し生まれて良かった、命の尊さを感じる事が出来る人生を歩みたいと思う気持ちで一杯にしたいと思う。

 自分はこれまで40歳を機に人の話なんてどこまで本当で、どこからが嘘なのか?を葛藤し苦悩し結果、受け流してきた。そうする事で煩わしい人間関係を避けて通れると思ったから。

 でも、結局人と関わりを持たない人生なんて有り得ない。地球上に自分しか存在しない限り人との関わりは死ぬまで続く。

 

 この「毒男子 偽善者は地獄は堕ちろ」と言うブログを開設し自分の言いたい事を言った挙句、中にはクズだの、生きる資格は無いだの、ゴミだの、腰抜けだのと平然と毒を毒で返す様な奴が訪問してきてそいつらと報復合戦を繰り広げたりもしたが結果的には無意味だね。そいつらの言う事が正しいか間違いかは別にしても所詮、生意気な子供同士の喧嘩レベルに過ぎない。


 自分の低俗な「毒」をもっと大きな包容力で諭す様な人間とは居ないものなのか?と今、考えてる。全てを否定するのではなく、時には同調し時には間違いか正しいかをはっきり言えるような人間。自分は全ての人間に憎悪し、心の底から地獄へ堕ちてしまえ!と思っていたが、今は自分の人生を省みず弱者の為に、懸命に過酷な運命と戦っている人の存在に少しは感銘を少しずつだが覚え、憎悪の念が消えかかっている。


 「人の言葉なんか全てまやかしできっと複雑な嘘で組み立てられているから」。

 「人の言葉なんか全て偽りでいつも優しさと淡い夢で飾られているから」。


 この2つの言葉通りだと自分は思ってきたが様々な経験から来る深い言葉、体験談は決して嘘偽りは無いのだと信じたいと今はほんの少しだが思っている。プライベートで人との付き合いはまだ抵抗はあるが自分の人生に必要な何かを一つのアドバイスとして発してくれる人の言葉は自分の胸に刻みこみたいものである。

 

 十人十色。考え方はまちまち。自分も全ての意見を信じないと言う事ではなく、胸に刻み込めて今後の自分の行き方に役立てたいと思っている。


 人間は変われる。人間を信じる事はかなり勇気がいると嘗て付き合いのあった人間に言われた事があるがまだその勇気を奮い立たせるまでには至っていない。でも焦らず、自分と向き合いながら少しずつ邁進していけばいい。


 何れにしても過去の柵は、そろそろ壊す時がきたのかも・・・

 橋下氏の米兵には風俗の利用を!発言。この発言はアメリカや日本でも大変不謹慎でとても政治家の言う事ではないと散々叩かれていたのだが、その橋下氏!。謝罪の発言を申し出をしたと言う。

 結局何だったのか?。自分の発言は決して間違った事を言っていないと息巻いていた橋下氏の謝罪の真意は?。生命の危機にでも感じたのであろうか?。政治家とて一人の人間。言って良い事と悪い事の判別ぐらい出来そうなものだが・・・。自分の言った事には最後まで、責任感を持って欲しいものだ。

 自分で「みんなの党」をお作りになったんじゃなかったっけ?。自分の安易な発言が、之ほどに波乱論争を引き起こすと言う事を嫌と言うほど分かったのか?。それとも、これ以上この発言を撤回しない事にはこの先の行く末に不安を感じたのでここは折れて謝罪をして安息を迎えたかったのか?。

 結局、人々の怒りを煽った挙句の呆気ない結末。情けない。人々と考えと自分の考えの相違の違いを思い知らされたのではないか?。

 平成の代行人、復讐代行を名乗る稀代のゲス野郎はこの橋下氏の謝罪発言をどう思っているのか?。モテないゴミとか息巻いて偉そうに言っていたけど自分の思考回路と同様である事は間違いないが結局、常に性処理をしていないと居てもたっても居られない単細胞!。まあ~まだ橋下氏は謝罪をしてもそこは堂々としているが平成の復讐代行野朗は顔すら見させられない小石程度の存在だからね。きっと、頭の中で様々な思惑が言ったり来たりしているのだろう。


 最初から謝るのであればその様な発言、慎めばいいものをそこまで頭が回らないとこ見ると橋下氏も平成の復讐代行ゲス野朗も同様の低俗なクズを具現化した様な人間の姿の一部と言うことかもしれない。


 男は常に「性処理」をしたい動物。地球上の人間で生涯、この人としかセックスはしないし他の人と一夜の情事を交わすなどと言う貞操観念に駆られた男などほんの一握りに過ぎない。こういう人間がもし居れば自分の信念を貫き、十人十色納得のいく理由を幾つも用意している筈だ。

 世間の怒りを買うような言動はまずしないだろう。そういう人間は自分が偉いとか素晴らしいとか微塵も思っていない。常に、聞く耳を傾け間違いか正しいかの簡単な判断を怠っていないのだから。


 橋下氏は「行列の出来る法律相談所」に出演している頃からチャラチャラしてていけ好かない「すけこまし」だと思っていたけどようやくその本性が垣間見えた感じである。


 ご愁傷様(=⌒▽⌒=)

 97歳の女医…一途な夫婦愛…75日だけの結婚生活・・・。

 宮崎市内で小児科医を営む97歳の現役医師・貴島テル子さんが、亡き夫からもらった“宝物"についてお届けする。軍人だった夫・政明さんが亡くなったのは70年前、戦争のさなかソロモン沖にて米軍に撃墜されての戦死だった。結婚生活はわずか1年9カ月…共に過ごした日々はなんとたった75日だった。愛する夫を失った悲しみから、テル子さんを救い、医師という職業婦人になることを決意させたのは、政明さんの思いがあふれた150通の“ラブレター"だった…。


 普段、このブログを通じて言いたい放題言っている自分が前述で述べた果てしない純愛に涙した。悲しみも楽しみも怒りも喜びも人間は生きている限り、必ず体験する感情の一つ。

 最愛の人を戦争で亡くし、深い悲しみのどん底から救った「医師」と言う職業。最愛の人が綴った何枚ものラブレター。言葉一つ一つが悲しみにくれる女性の傷を癒しそして、最愛の人の深い愛を胸に秘め、新たに歩みだした人生。例え、結婚生活が短かかったとしても過ごした日々の中で育んだ力強い「夫婦愛」は決して誰も引き裂く事の出来ない永遠の形になった!。

 素晴らしい。壮絶な戦死をするまで深く愛していた夫とその事に気付いた永遠に愛されていた喜び。人間の本来の姿であろうと言うこの夫婦の姿は自分からしたら崇拝すべき求めている人間と愛の姿だ。。


 戦死した夫もそして、遺志を継ぎ弱者の為に日々精一杯生きる妻もきっと何れ逝く事であろう天国で永遠の愛を誓い合うに違いない。自分も、その様な人間になりたかった。愛に満ち溢れ、そして一人の人を永遠に愛する人間として生まれたかった。


 だが、自分を愛してくれた祖母や祖父はもう居ない。不思議なもので実の両親より祖母や祖父への愛情の方が限りなく深い。父は幼い頃、死別。母と別れた後、ギャンブルにはまり酒と堕落した生活の繰り返しによって身を滅ぼしたのだ。母は再婚し、義父の酒乱に煮え切らない母の態度に嫌気が差していたが今は、自分を金のなる木としか見ない母の変わり果てた態度に完全に愛情が無くなり連絡を一切取っていない。そんな時、思い出すのは祖母と祖父の深い愛情だ。

 もっと長く生きて欲しかった。しかし、自分は若気の至りで好き勝手放題やってきた。なぜ、生きている時、もっと祖父や祖母に対して愛情を注がなかったのか?。後悔はしないと思いながら生きていてもやはり後悔の概念から逃れられないのは否めない。


 自分はこの様な深い愛情に満ち溢れている人間と関わりを持ちたい。そして、少しでも何でもいいから学べる事は学びたい。人間は辛辣で悪辣、幾つもの偽善を持ち合わせ人間を騙し欺く!。自分のブログを訪問した薄汚い復讐代行の名を語る蛆虫やブログの存在有無も分からないfack you!と名乗るネットしか友達を持たない哀れな子羊は勿論、まだまだ居るであろう偽善の皮を被った説得力の無い理論を幾つも理屈として捏ねる人間の姿をしたモンスター共!。

 

 しかし、この様に純粋に愛を信じ弱者の為に人生を捧げる様なマイノリティが居る事も何よりの救いであるのも事実で、辛辣極まりない人間の朽ちていく姿を心から笑いながら、その一方で純粋に生きる人間は最後の最後のまで生きて欲しいと切なく願う自分に正直戸惑っている。


 

 自分が中学生の時も、イジメはあったが今の時代でもイジメは蔓延してるのだと改めて痛感。自殺する側にも両親は居た筈なのに、それでも回避出来ない残酷な現実!。両親は一体、最愛の息子の死をどう受け止めているのだろうか?。そして、加害者側はと言うと動機として「ただ単に、面白かったからイジメをしただけ。」と淡々と応えただけで反省の色は微塵も無い。

 加害者側にも勿論、両親は居る筈だ。こちらの両親はどう受け止めて居るのだろうか?。自分の子供が他人様の子供の人生を無残に打ち砕き、死に追い詰めた現実。

 そして、生きているこの加害者らは将来大きくなっていつか家庭を持つ事だろう。そして、子供が生まれもしこのイジメと言う過酷な現実を突きつけられた時、どう対処するのだろうか?。

 いや、もしかしたら自分の子供に自ら手をかけるかもしれない!。人の命を何とも思わない地獄の蛆虫だから殺すなんて何とも思っていないだろう。一人殺すも二人殺すも同じ事だからね。

 若しくは逆パターンの想定で考えて果たしてこの加害者は親となり子供が生まれて、イジメによって自殺と言う結末を迎えたらどう対応するのだろうか?。愛情があれば勿論、相手の両親や子供に只ならぬ憎悪を抱く事だろう。しかし、それが嘗て自分がイジメをして相手の人生を奪った過去が因果応報として自分に返ってきたという事を認識するのだろうか?。恐らく、100%無いだろう。相手を傷付ける人間ほど自分勝手で理不尽で過去にどれだけやりたい放題してきたかなど覚えていない。頭脳がそれだけ弱いのだ。こういう過酷な現実に直面した時、自分も嘗て同じ事をしたと言う罪の重さをどれだけ受け止められるのか?

 面白いじゃない!。中学生であろうと人の人生を滅茶苦茶にした罪は一生消える事は無い。自分は忘れても過去は忘れない。一生、ついて来る!。そして、必ず報いは受ける!。それが自分なのか?子供なのか?知人なのか?家族なのか?分からないが「死の因果応報」は突然やってくる!。

 「報い」は姿形こそ無いものの、目に見えぬ「力」によって必ず報いを受ける事になっている。例え、犯罪を犯しながらも未だ捕まっていない人間だとしても死ぬまで静かに余生を過ごしあの世へ逝ったとしても天国へ逝く事は無いだろう。死んでも誰も泣いてくれはしないだろう。まだまだ叩けば出てくるであろう今の日本を、未来の日本を担い背負っていくであろう人間の隠された「過去」。

 

 その事を問い正すと見苦しい言い訳を幾つも幾つも並べ立て正当化する邪悪な奴らが今の日本を担っていると思うとゾッとする。またそんな日本でないと生きていけない自分の無力さを痛感する!。

 

 また若い命が失われました。上記で述べた通り、車を運転中での事故死、重傷でした。まだ、10代と言う若者が心霊スポットへ向かう途中で起きた事故。

 偶然だと思いますか?。自分も10代、20代は幽霊や化け物の存在など信じていなかったのですが今は疑心暗鬼です。映画で描かれる様な事は無いにしても、目に見えない力は必ず存在する。

 年齢からしてきっと浮かれ気分で車を走らせ運転を誤ってしまったのだろうと思うのだが、そこをもし目に見えない「何か」の力が見逃さなかったら?。

 「好奇心は死を招く」その事を知らしめる為に、「邪悪な力」が働いたのだとしたら?。決して、生半可な気持ちで心霊スポットを見に行こうだのと言う気持ちは持たないほうがいい。


 

 自分が言いたい事に対して、あーでもないこーでもない等と下らない言動で自分のブログにズカズカと入り込んできた品性下劣な外道2名!。こいつらは顔が見えない事をいい事に、自分より格下の人間が居る事を胸に刻み付けたかったのか?、「リアル世界の野良猫がネットの中で虎になってるだけじゃん!」だの、「野良猫の遠吠え!」だのと自身のブログの存在ですないアホな野郎が自分を哀れんだり、中でも[平成の仕置人 復讐代行 八羽の鴉さん]をブログでやってる奴は本当に最悪!。橋下の米兵には「風俗の活用を!」発言に自分がスケベ男が言いそうな事とブログで掲載した事に対して、「スケベイ呼ばわりするのは的外れ!」などとふざけた事を言って自分を「女にも相手にされねえゴミの妬みにしかとれねえ!」と罵倒した蛆虫にも劣るある意味化け物の戯言!には本当呆れ果てました!。

 こいつ、復讐代行と言って闇の世界に暗躍する帝王と言いたげだが決して顔を見せる事が出来ない日陰と闇でしか生きられない人間の皮を被ったただのポンコツ何だと悟ったが・・・。

 ブログは確かに言いたい事を掲載する唯一、許される場所だが自分が低俗な人間である事をいい事に普段言えない事を、「ブログ」と言う場所を利用して自分より底辺な人間を探して普段の鬱憤を晴らすのははた迷惑だ!。

 気色悪いよね( ̄へ  ̄ 凸。復讐代行とかfack you!だの昭和の時代で生きてきた中でのバカの一つ覚えみたいな陰気臭い生けた屍の姿を特と見たくなったけどこいつら所詮、顔何てとても見せられない面なんだろう!。

 まだマイノリティでストイックな人間しか信用出来ないが、人間がどういう考えで生きているのか?どの様な個性で生きているのか?その事に興味を持ち始め、今出会いの場の掲示板で取り敢えず「友達募集」と言う呼びかけをしている。

 早速、メール返信が続々寄せられ顔は知らないがメールでのやり取りに時間を費やす時間が増えた。しかし、顔が見えない分冷やかしも多くからかいや暇つぶし程度の安直な考えなら、即座にその旨を伝えメアドも削除している。自分は真面目に真剣に社会常識範囲内でコミュニケーションを取れる人間に絞っているので短文で返す様な人とは一切、こちらからメール返信をしていない。最低限名前や趣味、歳やマイブームなどを明かしてくれればその人がどういう風に人生を生きてきたのかが、分かるし考え方もあるだろうから。

 その中には、飲み会などの開催予告や旅行が好きな人募集などの掲示板も見受けられたが、自分がその様な場に仮に行ったとして果たして楽しく一日を過ごせるだろうか?とすぐ自問自答してしまった。人間の笑い顔や楽しくしている顔が嫌いだとこれまで思ってきた自分が、180℃変えてその場で楽しくやり過ごせるだろうか?と考えてしまった。思った事を相手がどんなに怒っても言おう、その人と今後付き合いをする訳ではないのだからと信念を持って前へ進もうと考え方を変えた日々の中でもし自分が楽しい場で辛辣極まり無い事を言って周りの楽しい雰囲気を壊したらどうしようとかついつい思ってしまう様になった時、まだまだ一人でじっくり今後の人間とのコミュニケーションを考えなければいけないかもしれないのだと改めて感じた結果、当分はまだその様な公の場への参加は辞めにしようと言う結論に至った。


 まだ焦る事は無いのだと病院の精神科の先生は言ってくれたけど、この前も中学3年の担任教師と25年ぶりに再会し同窓会で自分が欠席したことを悔やんでいた事を知らされたけどその同窓会に25年ぶりに行ったとして、受けた屈辱や悔しさを忘れて久々の同級生との再会を心から喜べるのかと何度も思い返してしまった。

 あの時の事をよく覚えてるねと言われるに決まっている。嫌な思い出しか残っていない自分は今でも鮮烈に覚えている心の内の牙を剥いたりするとせっかくの同窓会が嫌な雰囲気になってしまうと自制心が働きながらも、もう一人の悪魔的な自分が囁いている様にも思えた。


 傷を負った者は決して癒される事は無いが、学生の時に散々ヤンチャな事をしていた彼らも社会に出てきっと傷を負わされてるに違いない、自分だけではなく傷を負いながらも賢明に生き会っていない間、自分の想像を絶する人生を歩んでいる人間がもしかしたら一人でもいるかもしれないと思えれば過去の悔しさ、屈辱、憎しみ、激しい怒り全て、もうそろそろ水に流してもいい時期なのかなと感じなくもないが・・・。


 でもやはり相手側から何か仕掛けてきたらついつい言ってしまいそうな気がしないでもない。言いたい事を言って後はすっきり。それで蟠りは全て捨て前へ進む!。これで良いのかな~。まだまだ葛藤する日が続きそうだ。


 でもその葛藤する日々をまずは楽しみたいと思う。自分の中の膿を吐き出す為にも。 


 

 夫のDVから逃れる為に、母子は「餓死」と言う結末を迎えた!。やはり、弱者は命を落とさなきゃいけない運命にあるのであろうか?。強者はどんなに極悪非道な人間であっても図太く生きて生きて最期は、おとなしく余生を過ごすのであろうか?。

 どんなに、傍若無人な立ち振る舞いをして生きてきたとしても歳を取れば、おとなしくなる。(あくまで力が衰えると言う意味で、悪賢さは変わりません!)。弱者は実直に生きてただ、愛されたかっただけなのに結果としてDVを受け、DVから逃げ、そして餓死した。

 恐怖と飢餓に底知れぬ苦しみを味わった事だろう。そして、誰にも知られる事無く静かに親子であの世へと逝ったのだろう。

 

 こんなもんです。所詮、世界から見たら狭苦しい日本であっても日本に住んでいればそれだけ広い。TVで悲しい事件背景を語ろうが、人間が死んで初めて気付かされる事が大半です。警察も行政もただ胸を痛めるだけで行動に伴っていない。

 人間は大して、第三者の不幸には関心が無いのだ。自分が楽しい事、感じる事、満足する事にしか興味は無いのだ。


 今日、25年ぶりに中学3年の担当教師に再会した。当時、27歳だから今は52歳。面影はあるもののさすがに初老を感じた。その際、同窓会の話が出て、自分が出席しなかった事を悔やんでいた。虐げられ、必要としないとされていた自分にとってその一言が氷の様になった心、冷血になった固まった血を緩和させてくれた。


 嘘か事実かは別としてまだ純粋だった頃の自分の担当教師の言う事は何故か素直に聞き入れる事が出来た。誰かに少しでも自分の事が話題になってる。悪かれ良かれ。

 

 餓死した母子にも悪かれ良かれ気にかけている人が一人でも居れば、この様な悲しい結末を迎える事は無かったのかもしれない。でも自殺でも犯罪でも事故でもない静かな死である今回の母子の魂の行方は、天国で安らかに眠っていてほしいと切なく願うばかりである。


 少しは、涙を流せる人間になれたのだろうか?