南港野鳥園の危機 大阪市市政改革プランで見直し 8月22日
この危機に対し日本野鳥の会大阪支部として意見書をまとめようとしていますがそれには直接市側の話を聞かなければと思い、8月22日大阪市市政改革室改革方針総合調整担職員2名に清水幹事と面会し、真意を正してきました。
当方、
南港野鳥園は日本野鳥の会大阪支部の会員を中心とした「大阪南港の野鳥を守る会」(1969年1月発足)の17年の長きに渡り市民と共同した自然保護運動を起し、市公園部長に陳情書を提出したり、市議会に陳情し趣旨採択となり、後1971年4月、当時の大阪市長中馬馨氏が野鳥園の設置を公約にかかげて再選され、設置が決定された経緯がある。
当時の"守る会"の会長は筒井嘉隆氏(SF作家筒井康隆の父)で天王寺動物園の園長や自然史博物館の館長を歴任された、あなたがたの大先輩である、また園設立に尽力された中馬市長、大島市長の努力を無視して、見直しとは理解しがたい、年間経費もたかだか23百万円だ、ほかに見直ししなければならない事業があるはず、また南港野鳥園の干潟は国際的にも日本にとってもかけがえのない干潟である。
「東アジア・オーストラリア地域フライウエイパートナーシプに基づく重要生息地ネットワーク」に指定され「モニタリングサイト1000事業シギチドリ調査」や環境省の「日本湿地500」にも選ばれている、など市独自で、存廃の判断はできない施設のはず、直ちに撤回すべきと主張した。
南港野鳥園の干潟 満潮で干潟は見えない
これに対する市担当職員の回答は;
「市の財政改革は待ったなし、私たちの給料も削られている。
公共が関与する必要性の低い事業である、税等を投入して継続する合理性が低い。
収支均衡方策の検討と合わせて、施設 展望塔等の存廃を検討する」
とパブコメの回答と同じ内容であり、シギチドリや干潟の重要性の理解が直ぐには得れそうになく、平行線のまま終わりました。
具体的には市港湾局が改革ポランを立て、それを見て調整してゆくとしており今後は港湾局と交渉することになります。
今後は他の自然保護団体にも呼びかけ南港野鳥園の施設や干潟の重要性を市側に
訴え続けたいと思います。
野鳥の会の会員や一般市民の協力をお願いしなければなりません。
帰り際に「橋下市長もストレスノの溜まる仕事でに大変のようだから、家族と共に南港野鳥園でバードウオッチングに来てもらうようにお勧めください、解説は私たちが協力します」と話しておきました。
この有料望遠鏡を撤収し、しかるべきかずの望遠鏡を
固定椅子の撤去と移動可能なイスの設置を1983年に"守る会"が要望している。
当時既に展望塔の窓ガラスの改善も要望しているがそのまま。