菅談話、ついに出されてしまいましたね。

昨晩、出張先の大阪の某ホテルで配布された毎日新聞の一面記事で、その内容を確認しました。

私の予想をはるかに超えるむごたらしい内容に言葉も出ません。


そして、談話の後半に出てくる『東アジア共同体の構築』の言葉。

なりを潜めていたと思ったら、この政権は、日本にとって何のメリットもなく、政治的にも国防的にも民族的にも危険極まりないこの構想を、いまだ実現させようと決意していることが改めて分かりました。


さらに同紙の一面下段には、

『全閣僚、靖国参拝せず』

の記事が。

終戦の日である8月15日に政府の閣僚が一人も参拝しないのは、記録が残されている1980年以降の30年間で初めてのことです。


アメリカは、イラク派兵をはじめ正義とは言い難い戦争を繰り返していますが、徴兵され、亡くなった兵士は一人残らず国費でアーリントン墓地に葬られており、そこに合衆国大統領が参列することは、絶対に欠かすことのできない神聖な義務となっています。


にもかかわらず、日本はどうでしょうか?

「反戦・平和」を叫び、かつての日本を悪と呼ぶマスコミや左系の言論人は、このことについてどう考えているのでしょうか? 同様に「これは戦争賛美だ!」とアメリカを非難しないのでしょうか?


好きで戦場に赴いた人、死にたくて死んでいった人など一人もいないことは明白です。 そして、私たちの屁理屈のいかんを問わず、この国が少しでも生きながらえるために命をかけてくれた人たちに対する‘恩’というものは、厳として存在すると思います。 そして、それに応える‘義’といものも。

中国・ロシア・北朝鮮といった独裁国家はいざしらず、民主主義国家であれば、これはどこの国の首脳も国民も世代を超えて引き継いでいる道義であり常識ですらあります。


しかし、現政権の人たちは、人間としての一番大切なものを、過去の政府が様々な批判を受けながらも屈せず連綿と受け継いできたものを、簡単に切り捨ててしまいました。

一体、どんな価値観と相談して、誰からの評価を気にして、日本人が脈々と続けてきた大切な儀礼を断絶できるのでしょうか?

こんな人物たち、そして、こんな人物たちが統べる政府を、一体どこの国が信用するでしょうか。


どこの国のトップも、自国を守って死んでいった人間には最大限の礼を尽くします。本心からかどうかは別としてもです。 だから、そういった彼らからしたら、日本の首脳たちの行為は、理解不可能だと思います。

仮に理解するとしても、

「今の日本は、本当に‘ルーピー’な国だ」

としか思わないでしょう。



だからこそ。

だからこそ、彼らが行かないのなら、私たちで行きましょう。 私たち日本人は、あなた達とあなた達が成してくれたことを忘れてはいないのだということを、先人・英霊に伝えましょう。

私も、今後日本が存続する限り、8月15日の参拝を続けることに決めています。

そして、これは自分のためであります。 自分の未来のためでもあります。


『欠けた茶碗のたとえ話』にもある通り、自分がした仕打ちは必ず自分が返されます。

自分が自分の恩を受けた人に対して、それに気付かなかったりスルーしたりするような在り方であれば、私たちの子供たちや後継も私たちに対して同じ仕打ちをするでしょう。 しかも、悪気もなく自然と。

そんな自分にもなりたくないし、そんな日本にもしたくないと思います。



ということで、8月15日、ご都合のつく方は是非靖国に運んでみてください。 決して損はありません。 むしろ非常に良い‘気’をもらえます。 これは私も5月の英霊顕彰祭への参列で体験しているので、自信を持ってお勧めできます。

もし、行けない場合でも、靖国の方角に向かってご自分なりに思うところをお伝えすることだけでも、非常に価値のあることだと思います。


※ 先般の記事でもご紹介しましたが、靖国神社に収められている英霊の方々の遺族あての遺書を編纂した『国民の遺書』という、現在非常に大きな注目を集めている書籍がありますが、買わないまでもアマゾンの書評コメントだけでも覗いてみると、とても得るところがあります。



8月15日は、靖國では 「日本の声―英霊に感謝する集い」 という名で行事が行われます。

これは、『放鳩式』とも呼ばれ、300羽近い白鳩を、平和への願いと英霊への感謝の気持ちとともに、空に放つという儀式です。

※ 以下、靖國ホームページより抜粋

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日時 : 8月15日(火) 午前10時より

場所 : 境内能楽堂前

英霊に「ありがとう」の感謝の言葉を唱和し純白の鳩を大空に放つ「日本の声―英霊に感謝する集い」が行われます。

この放鳩式には、白鳩の会会員以外の方も自由に参加できます。多くの方々に御参加戴き、英霊に感謝の誠を捧げて戴きたく存じます。
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靖國は、現在、遺族の高齢化やお亡くなりに伴う奉賛会会員とお布施の激減によって、深刻な財政難に陥っています。

日本は占領軍であるGHQの戒めを、独立を回復した現在に至っても律儀に守り、靖國に対しては一切の予算を与えていません。(ここまでして、自分たちの祖先を粗末にする国はありません(憤懣))


ですから、ご参拝した方は、千円でも二千円でも構いませんので、ご寄付なり賽銭なり玉串料なりを納めていただくと良いと思います。


いずれにしても言えることは、どんな規模であっても、今後この国において何らかの分野のリーダーたらんとする人間は、どうしても、先人に対する責任と、後に続く人間への責任を意識しないではいられない、通用しない時代になってくると思います、間違いなく。

そういった意味でも、8月15日というのは、試金石になってくると思います。

(fin)


PS:

「にもかかわらず、日本はどうでしょうか?」と上で述べました。


しかし、私自身もこういった糾弾を発する資格は、実のところないのかもしれません。

なぜなら、つい一年前までは「国家」という概念も、「天皇」や「英霊」に対する理解も敬意も、非常にお寒いものしか持っていなかたった人間だからです。

日本に対しても当時の軍に対しても、学校教育や報道によって無意識に刷り込まれた『罪意識』や『糾弾意識』、かつそれがもたらす『自虐意識』というものが、意識の底の方に横たわっていました。

しかし、それらの洗脳やマインドコントロールが、様々なご縁と出会い、事実との遭遇によって、またたく間に解かれることを経験できました。

これは私にとって、ある意味‘生まれ変わり’のような体験でした。

それは、これまで色々と学んできた各種自己啓発や能力開発によって体験できた素晴らしいブレークスルーの数々を越えるもので、しかも持続が極めて長い(おそらく残りの人生全てに影響するくらい)ものです。


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日本と日本人について、誇りを持てない人間が日本人と言えるだろうか?

日本の歴史を理解しようとしない人間が、果たして日本人と言えるだろうか?
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櫻井よしこさんの言葉ですが、まったくもって同感です。

(fin)