≪注意書き:ご服用に当たって≫~~~~~~~~~
『赤いカプセル』は用法・用量をしっかり守って服用してください。それと、本剤はなるべく(vol.1)から順番に‘急がず・あわてず’服用してください。さもないと、あなたの健康を害する恐れがあります。
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さて、‘第三者の発言から見た大東亜戦争’というコンセプトで始まったこの『新しい歴史認識(3)』も、今回で一端の最終回にしようと思います。

この大東亜戦争については、他にももっとお伝えしたいこと、私たちが知っておくべきことがあるのですが、それはまた別の回に譲ろうと思います。


まずは、『侵略戦争』であると、いまだに多くの‘知識人’と言われている人々やマスコミが言い立てている先の戦争について、当の‘戦勝国側(米国)’の主要人物が何と言っているか? そこから見ていきましょう。

最初のコメントは長くなりますが、‘大御所中の大御所’になる人物の発言です。

● ダグラス・マッカーサー(連合国軍最高司令官)

「日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解して頂かなくてはなりません。その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。

潜在的に、日本の擁する労働力は、量的にも質的にも、私がこれまでに接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けているときよりも、働き、生産しているときのほうがより幸福なのだということ、つまり‘労働の尊厳’と呼んでいいものを発見していたのです。

これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし、彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。

日本は、絹産業以外には、固有の産物がほとんど何もないのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない、その他実に多くの原料が欠如している。 そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。

もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。

したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が‘安全保障の必要’に迫られてのことだったのです」(1951年、米国上院の軍事外交委員会にて)

※ WGP(ウォーギルティプログラム=戦争贖罪プロパガンダ戦略)によって、戦後の日本人の‘自虐史観作り’に最も貢献した人物ですら、本音では大東亜戦争をこのように理解していたのです。

※ ちなみにマッカーサーのこの言葉は、日本の戦争責任をいまだにまくしたてる共産党や社会党(社民党)・公明党といった‘謝罪史観’をもった議員や知識人への反論として‘伝家の宝刀’的な効果を発揮しています。

(例1)
元杉並区長で現在創新党の党首を務める山田宏さんは、杉並区の学校の『歴史教科書』を従来の‘自虐史観もの’から‘公正な史実に基づいたもの’へと変えるべく活動していたときに、やはり共産党系や社民党系の議員、および自虐史観に影響された父母や教師たちから激しい反発や攻撃を受けたそうですが、紛糾した議会でこの言葉を読み上げたところ、反論の言葉が止んでしまったそうです。

(例2)
麻生太郎さんも国会において民主党から「日本の戦争責任についてどのようなに考えているか?」と質問された際に、このセリフを流暢な英語で述べたところ、鳩山さんはそれ以上突っ込めなくなりました。(にもかかわらず、国会図書館に『恒久平和調査局』を作ろうという活動を止めないのが鳩山氏です。一刻も早くご退席頂きましょう)


続いて、これまた日本の占領政策において、日本人に対する罪悪感の付与と自信の喪失を徹底して目指したGHQのトップの言葉です。

● C・ウィロビー(GHQ参謀部長)

「東京裁判は史上最悪の偽善だ。もし米国が同じ立場だったら、日本と同じように戦ったであろう」

※‘偽善’どころの話ではありません。東京裁判はあらゆる点で‘ねつ造’‘不公平’‘悪意’に満ちたイベントでした。

同じく米国の知識人の言葉です。

● H・ミアーズ(社会科学者、米国)

「東京裁判は正義ではなく、明らかなリンチだ。 私たちアメリカがどうして日本を罰することが出来るのか、私には理解できない」(自著「アメリカの鏡・日本」より)

※ 東京裁判は全く非文明的な裁判でした。そもそも国際法上、まったく法的な根拠のない裁判であり、その上、勝者の側が「検事」と「裁判官」を兼ねるという‘タブー’を犯したものでした。これは国際法違反の行為であり、裁判の形を借りた‘復讐劇’だったのです。


今度は日本の‘戦争責任’に対するアジア各国の発言です。

● ネール初代インド首相

「彼ら(日本)は謝罪を必要とすることなど、我々にはしていない。 それゆえ、インドはサンフランシスコ講和会議には出席しない。 講和条約にも調印しない。」
「日本のお陰で、インドの独立は30年早まった。この恩は忘れてはならない」
(52年日印平和条約締結)

※ 「サンフランシスコ講和会議」とは、簡単に言えば、戦後処理の‘総決算’会議です。ここで賠償の必要性の有無や、有る場合はその内容が定められました。 そして、世界的なルールとしては、講和会議の成立後は『一切の過去を持ち出さない』というのが不文律で、以降は一切の謝罪も賠償も必要なくなるわけです。 しかし、日本はいまだ過去を、しかも‘ねつ造’され、‘でっち上げ’られた過去に基づいて、いまだに強請(ゆす)られている訳です。本当、何とかしてほしいものです。

インドは、日本の戦争責任そのものを認めていなかったので、それを‘清算’する会議の存在そのもののも認めていませんでした。だからネール首相は会議に参加しなかったのです。 こういう態度を“武士道”というのだと思います。


● バ・モウ(ビルマ首相)

「我々を白人支配から救い出してくれたのは日本だった。 我々は大戦終盤日本を見限ったが、その恩は忘れていない。日本ほどアジアに貢献した国は無い。日本ほど誤解されている国は無い。

※ しかし、この当時は連合国、特に米国とチャイナは『日本が侵略者』でいてくれないと困る状況でした。 自分たちの非がクローズアップされないためにも、日本が徹底的に『悪者』『非道』でいてくれなければならなかったわけです。 そして、そのために生まれた“史上最悪のねつ造”が、かの『南京虐殺』です。 これが‘真っ赤なウソ’であることは、機会を改めて情報提供します。

※ すぐに知りたい方は、下記の『たかじんのそこまでいって委員会』をご覧ください。 「あった派」の先鋒、デーブ・スペクターが見事に論破されています。
http://joseino.hp.infoseek.co.jp/20050306_takajin.wmv
(ただし、PCでないと見れないかもしれません)



● G・シャフエー(マレーシア外相)

「なぜ、日本が謝る必要があるのでしょうか? 日本無くしては東南アジアの独立はありませんでした。この日本が払った尊い犠牲を否定することは、バックミラーばかり見ているような行為です」


以上、例の3か国以外のアジア諸国の日本に対する見方・捉え方でした。


では、最後に、日本に対する彼らの‘哀悼’をご紹介してしめましょう。

● アラムシャ(インドネシア陸軍大将)

「日本にはあと5年頑張ってほしかった。 そうすれば中東とアフリカはもっと早く独立できたはずだ。 中東もアフリカもこんなに苦しまずに済んだはずだ」

※ 「おいおい、無茶言うなよ(^_^;)」という感じですが、当時の有色人種の国々にとって、日本といううのはそういう存在だったのです。


● ナーセル(エジプト第2代大統領)

「(第三次中東戦争惨敗後)アジアには日本がいた。アラブには日本がいなかった」

※ これも大手の新聞やTVでは絶対に日本国民に伝えようとしないセリフです。 こんなことを載せてしまったら、『戦時中の日本は極悪非道の組織で、世界の諸国に‘迷惑’をかけていた』というマスコミや日教組が伝えてきたメッセージと反対になってしまうからです。

しかし、仮にこの言葉が報道されても、私たちが本当の事実を知らなければ、なぜこのような発言が出てくるのかも分からないのです。トルコの『エルトゥールル号事件』と『イラク戦争時のトルコ航空』との逸話のようなものです。 ‘歴史を知ること’、それを‘語り継いでいく’ことは本当に大事です。


● ブン・トモ(インドネシア元情報相)
「あの戦争は、我々の戦争であり、我々がやらなければならなかった。 それなのに日本に全てを背負わせ、日本を滅亡寸前にまで追い込んでしまった。申し訳ない」

※ インドネシアが独立を宣言したのは、日本が降伏した二日後の1945年8月17日です。今でも残る独立記念碑にはその日付が刻まれているのですが、その数字は「17 805」となっています。

西暦であれば、「17 8 45」と書かれるはずですが、最後の「05」は、日本の‘皇紀’2605年を現した数字なのです。

インドネシアに独立の勇気と力を与えたのは日本であり、だから独立の日付を西暦ではなく「皇紀2605年の8月17日」として表し、これを独立宣言文の署名と記念碑に刻んだのです。

現在でも、インドネシアでは独立記念日を『ムルデカ17805』として祝っています。 ムルデカとはジャカルタ語で「独立」という意味です…。

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以上、ほんの一部ではありましたが、大東亜戦争について、私たちに対して意図的に隠されていた史実の一端を紹介していきました。

こういう事実を知ることは、自分たちのためだけではなく、これらの国々との信頼関係を深めるためにも絶対に必要な知識だと思います。


民族が滅びる、あるいは、相手民族を滅ぼすための『プロトコール(原則、戦略)』というものがあります。 以下のものを‘失う’こと、あるいは‘奪われる’ことがそれです。

◆ その国の「理想」「夢」
◆ その国の「文化」「価値観」
◆ その国の『歴史』

これらを失うか奪われれば、その民族はやがてこの地上から消えてなくなるのだそうです、一つの例外もなく。

今の日本はどうでしょうか? 正直、今のところ、全部‘やられっぱなし’という感じです。

取り返していきましょう。 そのための“最大の武器”となるのが、『公正な歴史的事実』だと思うのです。

(fin)

PS:
皆さんに是非お勧めの図書が、渡部昇一さん著の『渡部昇一の昭和史』という本です。

これはもう日本人全員必読の書です。歴史を学ぶ年頃になったら、自分や親類の子供にも必ず読ませようと思っています。

渡部さんは上智大学の名誉教授にして、文明評論家、英語学者の肩書を持つ『日本のメンター』の一人で、日下公人氏の畏友でもあります。

この図書は偏りがなく、徹底した‘事実確認’にもとづき、「良いところは良い」「悪いところは悪い」と非常にフェアな立場で論評しています。

これまで聞かされてきた歴史が‘音を立てて崩れる’こと請け合いです。

今なら、アマゾンの中古本で100円以内で売られています。