WEB上ではじめて日記をつけたのは1999年。

ブログという言葉はまだ生まれていなかった。


電気メーカのエンジニアだった知人が、自宅の空き部屋に

数台のパソコンを置き自作のサーバーを構築していた。

ハードの組み立てからすべて彼一人で行っていたので、

はじめは実験室のような混沌とした感じだったが、

徐々に環境もシステムも安定してきたので、知人に領域を貸し始めたのだ。


そのころ私は生まれてはじめて海外に一人旅をしたばかりで、

当時勤務していた会社のデジカメ(備品)を勝手に借用し、

有頂天で撮影しまくった写真データを何とかしたいと思っていた。

旧式のネガではない、せっかくのデジタルな画像なのだから、

「いつでもどこでも見れるようにしたい」という思いのみで

WEB上に載せることにした。


今のようなブログツールなどはWEB上に提供されていなかったので

HTMLをメモ帳からコツコツと記述し、旅行記というかたちで

時系列に写真を配置し、その写真にまつわるテキストを書いた。


それからも日々の日記という名目で、撮影した写真にコメントをつけ、

アップするということを数年続けた。

知らない人からコメントなどがくると、嬉しい気持ちになったが、

情報発信というよりは個人的なアーカイブという意識しかなかった。


その数年後【ブログ】という言葉が流行語にもなった。

このころから自分を語ったり、不特定の人間に個人的な情報を

さらすことに抵抗を覚えるようになった。


あまりにも多様な人々が利用するので、公開することへの

リスクのほうが気になりだしたのだ。


数年間ネットでのコミュニケーションをしてきて、

見知らぬ人に共感してもらえたときの喜びはあるものの、

逆に匿名の付き合いほど個人の責任が希薄なものはなく、

いきなりネガティブなことをぶつけてくるユーザーもいる。

顔をあわせた生の付き合いではほぼありえないことだ。


しかし、いまではネガティブなことをあえて議論するサイトや、

内部告発、素性を明かしたうえでコミットするサイトもではじめた。

よいことも悪いことも、WEB上で発信したいという個人個人の

内面的なニーズは特化され、住み分けされる時代に入ったようにも思う。


現在はツイッターを備忘録代わりに使ったり、日々の吐き出しツールとして利用する。

ポジティブなこともネガティブなことも、何の作意もなく気にせず書き込むため、

友人知人にはアカウントを伝えていない。

視覚的なものはtumblrを使う。

視覚的な選択は相手の好みや感性がわかり、言葉よりも雄弁な気がする。



いまは自身の興味のあるあれこれをまとめるために、

複数のツールを併用しながら有効的に利用ができればと考えている。