こんにちは。

 

浪花大好き!浪花のズッコケおやじこといけやんです。

 

 

先月18日の早朝に起きた親父の突然の死から早くも1ヶ月という時間が経ちました。

 

95年という人生をほぼ自力で生きてきたと言ってよく、大往生とまではいかなくとも、立派に生ききったと思っています。

 

以前のブログで親父が要介護3になり、特養待ちということの内容について記し、その後のことについて検討するため6月16日に妹と実家へ行き、入院していた病院及びデイサービスに通っていた社会福祉法人事業所へ行ってきたところでした。

 

この日は親父を連れて、特養へ入る前段階としての準備と言いますか、小規模多機能居宅介護を利用することについての相談をするということになっていました。

 

しかし、前日の夜(15日)に親父が自宅の玄関(室内側)で倒れ、救急車で病院へ運ばれ入院となりました。

 

毎日妹が夜の7時ごろ親父に電話を入れるのですが、この日は出ることなく様子がおかしいことでその後、自宅へ行ったところ、うつ伏せになって身動きが取れない状態であったようです。

 

時刻は8時30分ごろのようで、気がついてから1時間30分は経過していたことになります。

 

何時ごろ倒れたのかはわからないものの、その後、誰も気づかずにいたとしたらどうなっていたのか、と思えば心許ないと言う思いが募ります。

 

重大な事態には至らなかったようですが、誰にも気づかれずに長時間経っていればおそらく死んでいたかもしれない、という可能性は否定できません。

 

病院へ行きましたが、コロナ禍であり面会はできないので、親父の状態、詳細はわからないのですが、打撲程度で済んでいたようです。

 

95歳と言う年齢を鑑みますと、人生の終末期であることは間違いなく、一人での生活は無理であるということが明らかになりました。

 

私も妹も実家近くに住んでいないこともあり、在宅ではやっていけないので、小規模多機能居宅介護やショートステイなどを利用しながら特養に入ってもらうという結論に達していました。

 

幸いにも妹が、現在特養に入所しているお袋の面倒、そして親父の面倒を見てくれていたので非常に助かっています。

 

高齢化の進展はしばらく続いていき、長生きできる時代になりましたが、さすがに90歳を超えると自分の思いと現実とのギャップは、想像以上に大きいものであることがわかります。

 

今後、独居者が増えていくことは間違いないですから、非常事態になった時の対処は困難を極めていくことが予想されます。

 

子どもがいても支援を受けられないという人も増加していくことはもちろん、完全に孤立した高齢者も増えていくでしょうから、フォーマル(制度的)なもの以上にインフォーマルな部分での助け合いがなければ、生きていくこと自体難しくなってくるでしょう。

 

便利な世の中になり、物質的には不自由はないと思われるも、心の豊かさは逆方向へといっているような気がします。

 

時代の変遷期、大きな変わり目、節目に来ているという内容で、6月18日(土)に投稿する予定でしたが、その日の朝4時前に妹から電話があり親父が亡くなったとの訃報の知らせを受けました。

 

それから病院へ車で行き、5時前に着きました。

 

呼吸器をつけたままであったのですが、一見すると単に眠っているとしか思えない穏やかな表情であったものの、すでに心肺停止状態でした。

 

見回りの時間帯である3時半ごろ、看護師が親父の呼吸が止まっていることを発見し、当直の医師が確認してから妹へ連絡があったということです。

 

私たち夫婦と妹で病院に行き、医師の死亡を確認した時刻は午前5時20分ということで永眠が確定しました。

 

その後、葬儀社に連絡を入れ、病院から自宅へは7時前に着き、一晩妹が付き添いました。

 

慌ただしく時間が過ぎ、精神的に落ち着いてきたのは2週間経ったくらいからです。

 

通夜。葬式、四十九日法要と仕事の合間を縫っての行事が終わり、少し落ち着きました。

 

残すは遺骨をどうするのか、ということですが、墓は造らず納骨堂へ納めて今後供養しようかなと考えているところです。

 

慌てず急がず、最善と思うところで納骨をし、親父の生き方を見習い、自分自身の糧として日々の生活に生かしたいと思います。

 

1ヶ月ほどブログの空白ができましたが、今後も1週間単位で投稿していきたいと思います。

 

今後もよろしくお願いします。