こんにちは!制作課の若松です。
全社員が美術検定に挑戦することが推奨されている麗人社では、
もっと多くの人々に美術を楽しんで欲しいという願いもあり、
Twitter アカウントで毎日美術クイズを更新!
ここでは、その中の一問について紹介しちゃいます!
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問題
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日本の版画家であり、妻は同じく版画家の南桂子。
写真の発達と共に衰退した銅版画技法・メゾチントを復興させた功績で知られ、
カラーメゾチント技法の開拓者でもある人物は?
A:長谷川潔
B:駒井哲郎
C:浜口陽三
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……正解はわかりましたか??
答えはC!
百兵衛のNo.48(2019年冬号)でも特集された
和歌山出身の銅版画家・浜口 陽三(ハマグチ ヨウゾウ)です!
美術屋・百兵衛 No.48 P22-23
ちなみに “メゾチント” とは何かご存知ですか?
ざっくり説明すると、あらかじめ銅板に無数の細かい “まくれ” をつけ、
インクを乗せたくない部分を削ったり磨くことで “まくれ” を塞いでいく…という技法です
最初の工程で版全体に均等に “まくれ” をつけなければならないため、
かなりの手間と技術を要する技法です
しかし、版を直に削る版画に比べて圧倒的に
豊かで繊細な濃淡の表現が可能であり、
書物の挿絵などに使用されていました。
ドライポイントや木版画と比較すると、
の作品のように、非常に滑らかな表現が特徴です。
イギリスの画家、ジョン・ラファエル・スミスによる《Europa》 1776 年 画像はパブリックドメインより
さて、浜口陽三といえば、世界的にも認められたカラーメゾチント技法の第一人者
しかし、実は若い頃から版画家だったわけではありませんでした。
ヤマサ醤油株式会社の第10代目社長の3男として生まれた浜口でしたが、
家業を離れ、1927年に東京美術学校(現・東京藝術大学)の彫刻科に入学。
2年も満たずに退学し、梅原龍三郎のアドバイスもありフランスへ渡ります
この頃は油彩画を描いていたようですが、
約10年にわたるパリでの暮らしで彼が出会ったのが銅版画の世界でした。
ちなみに初めての銅版画作品は《猫》
その後はヨーロッパで激化する第二次世界大戦の戦火を避けるように帰国し、
戦中戦後の混乱期を経て、いよいよ本格的に銅版画の制作を開始
この時、既に浜口は40代となっていましたが、
自分の版画スタイルとしてメゾチントを確立することを選択し、
制作環境などの好条件を求めて再び渡仏します
そして様々な試行錯誤を繰り返して生み出された技法、カラーメゾチントを編み出します
衰退の一途を辿っていたメゾチントを芸術表現として使い、
果物などをモティーフにしたシンプルながらも繊細で美しい作品は人々をあっと驚かせました
実は、メゾチントはフランス語で「マニエル・ノワール」(=黒の技法)と呼ばれているのです。
ここに色彩を吹き込んだのが浜口陽三!
彼の代名詞とも言えるさくらんぼや西瓜はパッと目を惹く赤。
それをキュッとしめる背景の黒にも、わずかな色が乗せてあります。
これによって深みの出た黒が作品に奥行きを出し、
じんわりとした柔らかさが魅力的ですよね
浜口はこれ以降も、パリ→ブラジル→サンフランシスコ…という具合に
本拠地を転々と移し、より多くの人々に受け入れられていきます。
それにしても…
フットワークの軽さが凄まじいですね!!
彼の作品の多くは、現在では日本橋に位置する美術館
「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」で楽しむことができます。
公式サイト
尚、こちらの館には小さなカフェが併設されていて、
展示スペースを見渡しながら休憩できるんですよ
百兵衛編集部のおすすめは、ヤマサ醤油株式会社の黒蜜風醤油を楽しめる「マーブル醤油アイスセット」
秋のお散歩にぜひ足を運んでみてはいかがでしょう
ではでは、若松でした〜
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