2009-09-22 「遥かなる想い」掲載
覗いていただいているみなさん。
いつもご愛顧ありがとうございます。
みなさんのおかげで。
ようやく「メロウ・スカイ」が起きた感があります。
管理人から、少し「メロウ・スカイ」の生い立ちを。
書いてみようかなっと思います。
メロウスカイは
今から?
えっと?
何年前になるかな?
とにかく、管理人が高校三年生のときに、つけたペンネームです。
深くは触れませんが。
(またの機会に触れます)
それはそうと、その
悲しみから立ち上がって
一年ぐらいのときに
ラジオ大阪の「マチのラブ・アンド・ソウル」に
詩かポエムなのか
わからないままに処女作を
当時の九月下旬に投稿しました。
番組は高校三年生の春から
リスナー専門でした
高校二年の夏から
ホール(ディスコ)にはまっていたので
(あー、入場18歳以上だったけど、まあ、時効ってことで)
ブラックソウルがお気に入りでしたから
でも、番組はどちらかといえば、ソウルの中でも
バラードをかける番組でした。
処女作を投稿する前に
秋深まる、確か九月の中旬ぐらいに
僕の心情を初めてレターしました
今みたいに温暖ではなかったので
もう、勉強部屋にはストーブをつけて
書いた覚えがあります。
その後、その週の放送日
(確か、毎週金曜日の11時からの30分番組だったと?)
いつものように、聞いていたら、エンディングの前に
管理人のレターが聞こえてくるではありませんか!
まさかって! 耳をうたがった覚えが・・・
それと、パーソナリティーから
「メロウスカイちゃん、がんばってね、応援してるからね」って
もう、感激して、泣いた覚えが・・・
その後、なぜか僕の心情のレターから
「ラブ・メイト伝言板」のコーナーが新設されました。
そのパーソナリティーからの応援から
創作した
詩が
「ロード」です。
その後、投稿するたびに紹介していただいて・・・
投稿っていっても、数作品でした。
何故かとゆうと、その翌年の3月の下旬に
「伝言板」のコーナーの最後に
またまた管理人の詩が紹介された後。
エンデイングでパーソナリティーから
詩かソウル曲の歌詞かは不明ですが語り始め。
(覚えてるかぎり再生してプログで紹介しますね。)
そして、なんと、最後に放送終了のコメント・・・
えぇーーーって 思わず絶叫していました。
すごく残念な思いでした。
放送終了後、数日たった後に
おかんから、ラジオ大阪から封書がきてんでぇ(関西弁です、あしからず)と
なんやろなって思って、開けてみると
パーソナリティーからの返信でした。
それが、僕の詩もどきを
雑誌や同人誌などなどに投稿してはって
いろんな名簿や、書き物の勉強の参考文献など
わざわざ
いち高校生にアドバイスしてくれました。
そして、その後
詩人って呼べるかどうかはわかりませんが。
活動していきました。
ただ、22才でペンを置きました。
(理由は当時のメロウスカイの良き理解者との別れです。)
時は流れて、18年ぶりに復活しました。
管理人の日常が少し余裕ができ、趣味でもってことから。
それと、その当時
仕事以外は、ネットの友らとチャットに明け暮れていました。
ただ、niftyのキャラチャットが終了することから
ホームページ作成組と、ネットゲーム組に分かれました。
管理人は昔からゲームは苦手で
ホームページ作成に進み、そのテーマに詩作を選びました。
サイトは一次時代(2000/3~2002/3)
と
二次時代(2002/4~2006/1)
メロウスカイの創作に励みました。
ただ
日常に追われ始め
仕事の地域(大阪・広島・熊本・博多・東京)も不規則になり
管理運営がむずかしくなり閉めました。
そして、メロウスカイもふたたび、冬眠に入りました。
その後、2009年二月に
ふと、メロウスカイが夢で創作をと・・・
そこで、モバイルアメーバに入り創作。
まだ起き上がってないことから。
パソコンではUPせずに、モバイルからのUPに終始していました。
ただ、メロウスカイの創作意欲が復活したかどうかは。
微妙ですが、日常を少しセーブして、メロウスカイの時間を。
作っていければと思っています。
ながながと書きましたが。
独り言におつきあい。
ありがとうございます。
追伸。
実は、最初の冬眠に入った時
専門学校時代につきあっていた彼女と。
なんと、管理人のサイトを通じて音信がとれ。
彼女は、その後は子宝に恵まれ幸せにしていました。
彼女からの想い出話のメールを
題材にして作った作品が
ファンレター
です。
転作にならないかな?
まあ、プログ知らないからいいか!
覗いていただいているみなさん。
いつもご愛顧ありがとうございます。
みなさんのおかげで。
ようやく「メロウ・スカイ」が起きた感があります。
管理人から、少し「メロウ・スカイ」の生い立ちを。
書いてみようかなっと思います。
メロウスカイは
今から?
えっと?
何年前になるかな?
とにかく、管理人が高校三年生のときに、つけたペンネームです。
深くは触れませんが。
(またの機会に触れます)
それはそうと、その
悲しみから立ち上がって
一年ぐらいのときに
ラジオ大阪の「マチのラブ・アンド・ソウル」に
詩かポエムなのか
わからないままに処女作を
当時の九月下旬に投稿しました。
番組は高校三年生の春から
リスナー専門でした
高校二年の夏から
ホール(ディスコ)にはまっていたので
(あー、入場18歳以上だったけど、まあ、時効ってことで)
ブラックソウルがお気に入りでしたから
でも、番組はどちらかといえば、ソウルの中でも
バラードをかける番組でした。
処女作を投稿する前に
秋深まる、確か九月の中旬ぐらいに
僕の心情を初めてレターしました
今みたいに温暖ではなかったので
もう、勉強部屋にはストーブをつけて
書いた覚えがあります。
その後、その週の放送日
(確か、毎週金曜日の11時からの30分番組だったと?)
いつものように、聞いていたら、エンディングの前に
管理人のレターが聞こえてくるではありませんか!
まさかって! 耳をうたがった覚えが・・・
それと、パーソナリティーから
「メロウスカイちゃん、がんばってね、応援してるからね」って
もう、感激して、泣いた覚えが・・・
その後、なぜか僕の心情のレターから
「ラブ・メイト伝言板」のコーナーが新設されました。
そのパーソナリティーからの応援から
創作した
詩が
「ロード」です。
その後、投稿するたびに紹介していただいて・・・
投稿っていっても、数作品でした。
何故かとゆうと、その翌年の3月の下旬に
「伝言板」のコーナーの最後に
またまた管理人の詩が紹介された後。
エンデイングでパーソナリティーから
詩かソウル曲の歌詞かは不明ですが語り始め。
(覚えてるかぎり再生してプログで紹介しますね。)
そして、なんと、最後に放送終了のコメント・・・
えぇーーーって 思わず絶叫していました。
すごく残念な思いでした。
放送終了後、数日たった後に
おかんから、ラジオ大阪から封書がきてんでぇ(関西弁です、あしからず)と
なんやろなって思って、開けてみると
パーソナリティーからの返信でした。
それが、僕の詩もどきを
雑誌や同人誌などなどに投稿してはって
いろんな名簿や、書き物の勉強の参考文献など
わざわざ
いち高校生にアドバイスしてくれました。
そして、その後
詩人って呼べるかどうかはわかりませんが。
活動していきました。
ただ、22才でペンを置きました。
(理由は当時のメロウスカイの良き理解者との別れです。)
時は流れて、18年ぶりに復活しました。
管理人の日常が少し余裕ができ、趣味でもってことから。
それと、その当時
仕事以外は、ネットの友らとチャットに明け暮れていました。
ただ、niftyのキャラチャットが終了することから
ホームページ作成組と、ネットゲーム組に分かれました。
管理人は昔からゲームは苦手で
ホームページ作成に進み、そのテーマに詩作を選びました。
サイトは一次時代(2000/3~2002/3)
と
二次時代(2002/4~2006/1)
メロウスカイの創作に励みました。
ただ
日常に追われ始め
仕事の地域(大阪・広島・熊本・博多・東京)も不規則になり
管理運営がむずかしくなり閉めました。
そして、メロウスカイもふたたび、冬眠に入りました。
その後、2009年二月に
ふと、メロウスカイが夢で創作をと・・・
そこで、モバイルアメーバに入り創作。
まだ起き上がってないことから。
パソコンではUPせずに、モバイルからのUPに終始していました。
ただ、メロウスカイの創作意欲が復活したかどうかは。
微妙ですが、日常を少しセーブして、メロウスカイの時間を。
作っていければと思っています。
ながながと書きましたが。
独り言におつきあい。
ありがとうございます。
追伸。
実は、最初の冬眠に入った時
専門学校時代につきあっていた彼女と。
なんと、管理人のサイトを通じて音信がとれ。
彼女は、その後は子宝に恵まれ幸せにしていました。
彼女からの想い出話のメールを
題材にして作った作品が
ファンレター
です。
転作にならないかな?
まあ、プログ知らないからいいか!