昨日は第3回目の面接日でした。

離人症云々関係なく、日頃のストレスに使えそうなことを教えてもらえたので
紹介したいと思いますビックリマーク


何かトラブルがあると自分を責める人、いますよね。
私もそうなんですけどね。

私の場合は愛情に関してのことが多いのですが
「ほら、やっぱり愛されないんだ」
「私が何か悪いから向き合ってもらえないんだ」
なんて自分を責め立てる癖があります。

イジメに遭ったことのある人が、その後の友人関係の中で
「もしかして私って嫌われてるんじゃないか」と思うとか
そういうことって多々あると思うんです。

それは、過去の嫌な経験に基づいて出てくる感情なので
出てくるのは仕方ない。

「でも、責める自分というのは過去の自分で本来の自分じゃないんだ」
とS先生は言いました。

過去の家族トラブルで愛情を信じられない「過去の私」が
「ほらやっぱりね、愛されないんだ」と現在の私に言う。
でも、それは現在実際に起きている話ではなく単なる思い込みです。
過去の事例を持ち出した、自分の悪い想像に過ぎないのです。

でも、それを分かっていないと
その過去の自分の責め立てに飲み込まれてストレスの渦に。

そこで、その責め立てる自分を「そっと自分の前に置く」イメージ
(これって結構難しいと思うんですけどね...)
つまり、本来の自分から切り離して見つめるイメージを持つことで
思い込みによるストレスの渦から逃れられる、ということです。

排除しようとするのではなく(責め立てる過去の自分も自分なので)
かと言って自分の中で一体にはならず
目の前にそっと「置く」イメージ。

私も訓練しますので、ぜひみなさんもトライしてみてくださいねにひひ



あとは、今回もまた
私の中の子どものことについて話しました。

「あなたはまだ、お母さんに捨てられた時の悲しみが残ってるんだよ」
とS先生は言いました。

「それを抱えてるのがその子だ。その子があなたの代わりに一人で抱えてくれてるんだよ。
そう考えると、感謝しないといけないよ。気持ち悪がるなんてひどいじゃないか」
と言われました(笑)

うーん、そうか....そうなのかな。
確かに、あんなに大きな悲しみをまだひとりで抱えてると想像したら
かわいそうなのかも。
「大変なお役目ですね...」と私は言いました。

だからこそ、その子には愛情をかけてやることが大事だと。
私が毎日愛情を注ぐことが必要だそうです。

「そうしたらいずれ、どうなるんですか?
子どもはいなくなるんですか?ずっといるんですか?」
と聞いたら先生は

「そうしたらね、その子は『記憶』になるんだよ」
と言いました。

今は一体になっているか排除してるかどちらかだ、と。
そうではなく良い距離が取れるようになるとその子は静かに記憶となる。
フラッシュバックも無くなり、解離も解けるということでした。
現実感も戻るって。


そうか...いなくなって『記憶』になるんだな。

そう思ったら涙が溢れてきました。
私が流した涙ではなく、子どもの涙だと感じました。


私の中の子どもは今も信じています。
「時間が戻ってあの頃のお母さんに会える」と。
私を捨てる前の母のことです。

でも、子どもが『記憶』になる時
それは、本来の大人の私になり
「時間は戻らない、あのお母さんはもういない」と悟る時です。
それが悲しくて涙を流したと分かりました。


きっと今はまだ、過去と現在の区別がついていないんですよね。

本来の私は現在を生きて
子どもの私はまだ過去を生きてる

それが混在しているので日々違和感を感じたり
自分がふたつに分かれているような感覚を感じるんです。

本来の自分のみになるには
子ども、つまり過去の私自身に愛情を注ぐこと。
排除しようとせず、かといって一体にならず

いつもそこに「置いておく」。
優しくすることだそうです。


なんか、頭がついていかない...(笑)
でも、専門の先生が言うならそうなんでしょう。
信じて言う通りにするしかないですからね。

私は、この子どもに名前をつけ(自分の名ですけど笑)
日々話しかけてケアすることにしようと思っています。


帰り道、なぜか昔PEという治療をした時のことを思い出していました。
母が出て行った時の話を聞いて、心理士さんは泣きながら
(私は目を閉じていたので泣いてる気がしただけかもですが)
「ひとりで耐えたんだもんね...」と言っていました。

そっか、ひとりで耐えたのか。
そして、無理だったんだな。
耐えきれなかったから今も抱えているんだな。

「もう、抱えなくて大丈夫なんだよ」と言ってあげられるのは
私だけなのかもしれない、と思いました。