塗櫛のブログ

塗櫛のブログ

そしてYJ連載中の「テラフォーマーズ」に夢中。
テラフォーマーズ感想についてはほぼ初見の勢いで書いてますので、
文章が荒ぶっています点をご了承の上お読みください。

今更ながらお勧め過ぎるお勧めです。


なんだかおもしろい様
→私がテラフォの感想ブログを書くきっかけとなったサイト様です!!
このブログでテラフォを見なければここまでハマることもなく、感想ブログを始めることもなかったサイト様。
テラフォのみならず、漫画、アニメ、イベント等多彩な記事とその更新頻度は頭が下がるばかり。
テラフォ好きの方は既にチェック済みとは思いますが、許可をいただいたので嬉々としてリンク貼ります!!!!

いやまだごく一部な感じはするんですけど、ようやく慣れてきたというか、書き方を思い出してきたというか。

以前の私よく週一のテンポで書けてたな……。

どうやってたの過去の私。





 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
※以下本誌ネタばれですのでご注意願います。
 
 
 
 
 
 
 
 
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・事態は動く…!!
地球編になってから、彼らの戦いはずっと三つ巴であったことを失念していたことに気付かされるなど。
人間と、人間と、テラフォーマーと。
けれど人間同士の戦いを、人間同士が戦っていることを知っているのはごく一部。
そしてテラフォーマーという種にすれば、そんな同族同士の争いなど何の関係も無いのだ。
奴らはただ自分たちの利の為に動く。
人間たちがどんな感情を持って対峙していようとも、どれほどの過去を抱いていようとも、どれほどの未来を信じていようとも、何の関係もない。

・奥の手、打つッ──!!!
M.O.H兵器はマルコスが例の島(今考えてもなかなかにデリケートな話題というか際どい設定で攻めてたのではと思う)で見せたもの(#20、#21辺り)と同様の技術を用いたものだろう。
実際のナレーションの通り、本来はドイツで開発されたことになっているけれどこの辺りは「テラフォーマーズ外伝 RAIN HARD」を読むのが一番わかりやすいのではないかと。
簡単な説明というならばハンニバルがモノローグにて14文字で説明してくれているし。
元々M.O手術を受けた体である=M.O臓器という他の遺伝子を受け入れた身体であるということが前提としてあり、更にはアメリカがより汎用性の高い兵器としての改良を行ったからこそマルコスは特に大きなデメリットも無く使用できているのだろうが、ジェットの場合はそういう正規のルートを経ているとは思えない。
今蓄積されているダメージまで考えると、いやなフラグだけが積み重なっていくというか……。

・ギャラクシアン・ナーガ
名前の「ギャラクシアン(Galaxian)」は銀河を意味する「galaxy」からきてるとは思うけれど、ギャラクシアンという言葉そのものはどうも造語っぽいなと。
調べるとナムコのシューティングゲームで、「銀河系の住人である人類(つまりはプレイヤー」を意味した言葉らしい。
それに蛇であるナーガがついている。
なんとなくだけど、ジェットがこの名前を付けたわけではなさそうだなという気持ちはある。
こういう壮大な名前を自ら付けるようなタイプには個人的には思えないというか、他人が付けた名前を受け入れる事はするけれど、ジェット自身はこういうネーミングセンスではないというか。
じゃあ誰が付けたんだということになるけれど、まさか七星……?(風評被害です)

・盲目の戦士
一応対テラフォーマー用の武器ではあるというか、『衝撃波制御増幅式半自動加速装置』という名称なので武器ともまた少し違う気がする。
彼の特性であるテッポウエビの能力として使われるキャビテーションという衝撃波に対して、制御という文言は増幅にかかっていると判断すべきかなと。
制御は制限ではなく、「増幅の範囲を制御する」ためのシステムであり、更には本来の衝撃波以上の出力を加速によって生み出すような仕組みになっているのかなと。
火星編でも彼が使用していたのはソナーだったし、本人に実力があるのに、というか実力があるからこそサポート的な専用武器を選んでいるのか。
ただ専用武器の説明と、彼自身は衝撃波を武器として使っており、それを増幅させるものでありながら移動と防御に回しているというその使い方を見ている限りは後者だろう。
人間がダメージを受けるというのは何らかの形で衝撃を受けているという(だいぶ大雑把な括りで)事を考えると、衝撃を相殺することが出来るというのは確かに防御に向いている。
そして守ることを機械に任せた上で、彼自身は本来の特性を活かすために視力に頼ることなく、手にした武器も恐らくは囮として使い、代わりに全神経を研ぎ澄ませただ自分の手が敵に触れることだけを、触れるその瞬間に行きつくためだけに動く。
触れさえすれば、送り込めるのだから。
身体の中を揺らす波を。

・支えるもの
このシーンの瞬間に思わず天を仰ぎましたね……。
3本の蛇で良かったんだと。
その形は彼の人生を変えた人に通ずるものがあるのだと。
その技は彼の魂を変えた人に通ずるものがあるのだと。
劉さんの心臓は小吉の中で動いているが、魂は誰よりもジェットの中で未だ動いているのだろう。
動いて、彼の中に何かを送り込んでいる。
いつか滾らせることが必要になるその瞬間の為に、火を絶やさぬ為の何かを送り込んでいる。
ジェット自身は中国の出身ではないけれど、劉さんが抱いていた想いを誰よりも色濃く受け継いだのかもしれないと思うと。
もちろん他の班員たちもその想いに共感したからこそ国を、世界を裏切るという決意をしたことは間違いないし、地球での立場上安易に動けていないだけで同じだけのものを持っていることは間違いないとは思う。
ただ、託されたものを最初に見せたのがジェットだったというだけで。

・報酬
火星から帰還して、本来であればそれなりの報酬も得ていたはずだろうけれど、国と世界を裏切ったという事実は彼を平穏な生活に落ち着くことを許してはくれなかった。
気になるのが一応報酬は出たのか、それとも裏切ったという時点でそれも反故にされているのかということ。
そもそも報酬の出どころはU-NASAなのか、それぞれの国なのか。
U-NASAだったら彼らの裏切り行為を盾に、報酬を払わないという選択をしてもおかしくはない。
逆に国だった場合は中国側から支払われるのか、国籍のあるタイから支払われるのか。
とはいえジェットの場合正式な国籍の届けがあったのかも定かではないし(それでも火星へ行く際に与えられただろうとは思うが)、ましてや中国という他国に所属した状態での裏切り行為となれば国としては面倒を見る気は無さそうな。
それでも誰かが上手い事手を回して、それなりの報酬は得ていると信じたいのだけれど。

・指名
一所に留まり続けることをせず、最低限の荷物だけを持ち、偽名を使い逃げ続ける中で、かつての仲間が自分の名前を呼ぶということはどれだけのものをもたらしたのだろう。
過去を知っていてなお、過去を知っているからこそ友達として接してくれることはどれだけの安堵をもたらしたのだろう。
きっと彼は自分の名前に対して、最初は愛着を持っていたわけではなかった。
名前というよりは他者との区別を付けるための記号にすぎず、ただ逃げるのが早いという事象を含んでいるだけの単語。
けれど番号でもなく、命がけの任務から帰還した後には呼ばれることなく、上書きするかのように己で違う記号を、単語を使い続けている中で、「ジェット」という言葉は「彼の名前」になってったのではないだろうか。
まるで燈の様に。
125話で燈とジェットが対峙した時に「ジェットが自分の名前に対してどうか、ということについては明記されているようなことはないが、もしかしたら燈とは全く対照的に他人との区別化を容易にする記号という程度の認識かもしれない、そういう意味でも、燈という主人公へのアンチテーゼ的なポジションに化ける可能性がある」と書いていたけれど、結局のところ経緯は違っているけれど燈と同じところに行きついている気がしてならない。
アンチテーゼとして描かれていた彼が、結局のところ記号に過ぎなかった名前に意味を見出し、それを自己の支えとするようになる。
だからこそ燈の味方というポジションとして帰ってきたのかもしれない。
その円環はキャラクターの物語としてあまりにも完璧すぎる。

・友達
当たり前のように友達という言葉を伝えてくることに対して、ジェットがどれほどの心を動かされたのかをきっとバーキさんは知らないし理解も出来ないかもしれない。
それぐらいバーキさんは当たり前のようにジェットのことを友達として見ていて、けれどジェットは自分が彼と知り合った経緯も、共にいた経緯も含めてそれは友達などという甘やかな言葉を当てはめるものではないだろうと思っていたのではないか。
だからこそ軽妙ともいえるやり取りの合間に友達という言葉を否定せず、ましてや肯定ですらなく、それが事実なのだという口調で言われてしまっては。
嬉しさを隠すというよりも嬉しさの表現がわからないような、そんな口調になってしまったのではないかとつい妄想してしまう。

・逃亡生活
家に物がない、無さ過ぎることについてはもちろん逃亡中の身であるという前提は当然あるけれど、もし状況が違ったとしても彼はそんなに物を置くタイプではない気がする。
彼の願いは火星から帰還して、金を手に入れて静かに暮らすことだったから。
誰からも奪わずに生きていきたいと願っていた事を思えば、きっと必要以外のものを置くことを是としないのではないか。
あまりに殺風景なこの家を寂しいと思うよりは、これは彼が望んだ姿に近いものなのかもしれない。

・使命
バーキさんはジェットが断ることはないと思っていただろう。
『すまない』という言葉は望んだ形とは違うけれども彼が送っていた静かな生活を奪ってしまうということに対してであり、逆に言うならばジェットは自分の頼みを断ることはしないだろうと信じていたともいえる。
そしてジェットはおそらく『ジェット』というその名を呼ばれた時から、頼みを聞くつもりだったのだろう。
もしかしたら自分を見つけたのがバーキさんだった時点で、その使命を悟っていたのかもしれない。

・紅ちゃん
どさくさに紛れて何を言っているんだ。
いや本当どさくさに紛れて何の爆弾を落としているんだ。
10年ぐらい前に誰も殺さずに済むよう、モンゴルの広大な大地に紅ちゃんを連れて帰るバーキさんの可能性を考えていた私としてはまさかの10年後にこんな公式からの爆弾が落ちてくるとは思ってもいませんでしたよ……?

・終わったら
止めてくださいフラグなんですがそれは。
仕事と言っている以上、バーキさんはあくまでも会社として依頼をしたのだろうし、ジェットも仕事として受けている。
ということにしている。
その前提が無ければ会う資格が無いと思っているのか、その口実が無ければ会えないと思っているのか。
確かにジェットと燈が火星でどういう立場でお互いが対峙していたのかということを考えれば、ただ仕事の前に顔合わせをしましょうというテンションで顔合わせをするような事はおかしな話だ。
だからこそ口実が欲しい。
仕事でやったことだ、友達に頼まれたんだ、そしてお前の役に立ったぞという前置きを経てから語りたい。
逆に言えば『役に立てなかった』時は会わないというより会えないという立場でもあるわけで。
過去回想からの任務が終わったらの台詞で着実にフラグを重ねていくのはやめて欲しい。

・良いヤツ
どこまで事情を知っているのかはわからないけれど、この状況だけでジェットが良いヤツなのだということを彼女は理解できる。
あくまでも彼女の感性の中で、という前置きがあるとはいえ、世界の裏切りへ加担した相手に対して同情などではなくその行動を見て『良いヤツ』と言い切れるサムライソードは強いな……。

・迷い
ハンニバルが自身の行動に対して、その未来に対して迷いが生じたのは初めてなのではないだろうか。
いつだって強すぎる自己肯定と共に生きて来ただろう彼が、この状況から逃れたとてどうすることが正解なのかわからない。
撤退をするにしても洋上の船からどう逃げるつもりなのか。
そしてどこに逃げるのが正解なのか。
逃げて、どうするのか。
再戦を挑むのか、好奇心が満たされたからそれでよしとするのか。
そもそも逃げることはできるのか。
彼が過去に奪い取った尊厳を取り返しに来た存在と、彼の尊厳を奪いに来た種に挟まれたこの状況で、どこに行けばそれは撤退となるのか。

・尊厳を奪うもの
#44でロシアが使っていた、<祈る者>の脳をスキャンしその情報を得るための機械。
か、もしくは23巻の折り返しにある『脳見るくん』。
本当このネーミングセンスはどうなんだ誰が付けたんだ。
七星か?(度重なる風評被害)
というか脳見るくんはあくまでも視界をトレースするものだと思われるので、ハンニバルの視界だけを得たところでテラフォーマーたちが欲するもの(それが何なのか明確にはわからないけれど)に繋がるのかというんとそれも一概には言えないだろう。
そして実際にロシアから奪取しただろうこと、奪取できたであろうことを考えるとハンニバルの脳をスキャンするつもりなのだろう。
かつて<祈る者>がされたのと同じように。
その尊厳を無視して、中味を除き、暴いてやるつもりなのだろう。
まるで報いじゃないか。
かつてハンニバルが他人の尊厳を無視してきたそのツケを、テラフォーマーが取り立てようとしているかのようだ。

・処遇
ここでサムライソード達が、人間側がハンニバルを倒したのならば、彼の持つニュートン一族としての才能や知識、特性をテラフォーマー側に奪われることはないだろう。
けれどそれは彼女たちが人間を殺すというのと同義でもあるわけで。
個人的な理想としてはハンニバルの戦闘能力を奪ったうえで捕獲し、人間側の捕虜とする辺りに落ち着くのが一番なのではと思うけれど、大人しく捕虜に甘んじてるタイプとは思えないし手元に置いておくには危険すぎるしと懸念しか出てこない……。
あらゆる意味で扱いの難しい男だなハンニバル……。

・『私の名』を
ジェットがその名前を呼ばれた時の描写を経た上で、このサムライソードの名前に対する台詞。
彼女もまたサムライソードという名ではなく、かつて姉に呼ばれていた名前を求めている。
もちろんその名前には感傷や懐かしさ、そして何よりも思い出が含まれているからこそ大切なものであり、けれどハンニバルにその名を呼ばせるのは「サムライソード」ではない自分の存在を知らしめる為。
かつてお前が奪い、踏みにじった尊厳は誰のものなのか、単なる記号ではなく名を持った1人の人間の名を思い出せという意志。
名を奪うということがどれほどのことかを思い知らせるための、憤怒の刃と共に放たれる言葉。

・名前という物語の芯
ジェットの時は彼のキャラクターとしての立ち位置の変化が完璧な円環だなと思っていたけれど、さらにそこから名に対する意味を問うサムライソードの台詞を最後に持ってくることで、一本の芯が綺麗に通っている回だなと。
感想を書きながらサムライソードの台詞に辿り着いた瞬間、彼らが抱く名前というものへの解釈と誇り、そして次回への引きがあまりにも見事というか。
好きな回と言われればまあ大体テラフォは好きな回ではあるけれど、この#65に関しては物語の技巧というか作り方、見せ方が屈指の回なのではと思っている。
特に火星での燈とジェットの対称的な立ち位置から、経緯は違えど同じような心境に落ち着くキャラクターの移り変わりがあまりにも好みで。
そしてジェットの心境を見た上で、やはり名前というものに対して別の形で執着……というとあまり言葉のイメージが良くないけれど、大切に思っているからこその怒りをあらわにするサムライソードへの繋ぎ方とかもう完璧じゃないですか。
彼女のその想いが望んだ形で安易に叶うとは思わないけれど(なにせテラフォなので)、どういう形であれ失われた尊厳を取り戻せたら、そして彼女の名前が正しい意味を取り戻せたらと願わずにはいられない。
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いや本当、あくまでも私の解釈ですがこの#65については構成が完璧だなって!!

ええ何度だって言いますとも。

こういうのがあるからテラフォがさらに好きになるというか好きが加速するというか。

ジェットの解像度が上がるのはすごく嬉しいけれど、それと同時にあらゆるフラグを網羅してる気がしてその辺り不安がぬぐえないのも確かですが。

あとバーキさんの紅ちゃん呼びに10年越しにして初めての公式供給!ってなりましたけどそれとは別に10年という月日に震えています10年……?

子供が生まれて小学校中学年とかになる年月ですが……?

 

実はこの回の感想を書くときに#20の自分のブログを読み返していて、本誌で海老塚病院が海老原病院になっていた記載があったので、これ単行本で修正されるのかなって心配していたのを読んで確認したら修正されていました良かった。
というか単行本読んだ時にそんなミスがあったこと忘れてましたよ。

5年の歳月って恐ろしいとか思っていたのにそれどころではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

でもまだジェフはJ2のままですねやめろ。

 

 

今回のテラフォが載ってる紙の方の本誌、ローソンもしくはHMV書籍ではクリアファイルがついているということでその日の夜にローソンに寄ったらまさかの売り切れで、結局別のローソンで手に入れることは出来たものの久しぶりに焦りました。

電子に慣れてるとこう、売れ行きの感覚がわからないというか……。





 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
※以下本誌ネタばれですのでご注意願います。
 
 
 
 
 
 
 
 
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・無限の試み
改善を、進化を求めていくのは人としてあるべき姿とも言える。
ニュートン一族はそうやって進化し、それは個人の枠に留まることなく人としての種をより進化させていくというところにまで到達した。
個人の責務ではなく一族の責務として。
定められた一族の宿命として。

・NEWTON
ここでニュートン家と同じアイザック・ニュートンの名を、そして彼が運動の法則を基礎として構築した、力学の体系であるニュートン力学の力学をタイトルに持ってくるというセンス。
こういう所がこの作品を好きになるところの一つだったりする。

・邂逅
一応ハンニバル自身も嫡男としての自覚があったというか、自分がこの一族を継ぐのだという誇りがあったことは間違いない。
新たに出来た弟(この一族にとってニュートンの血を引いているものであれば出自に関しては問わず、育てられる要因としては何らかの才能さえあればよいのだろう)に対してそれを排斥しようとする、もしくは唯一無二の自分という存在にバックアップがあるということ事態が許せない程には。
自分の地位が脅かされるというよりも、自分が唯一無二の存在であるという自負があるからこそ、予備などという、自分の代わりとして用意されるものが、自分より劣っているものが予備とされることが許せないのではないだろうか。
だからこそ潰すこと、排除すること、殺してしまうことを選択肢として用意するし用意できるのがハンニバルという存在なのだろう。
だがそれは新たな弟が瞬時にその敵意を拭い去ってしまう刹那の間のみ。
ジョセフの子供らしい愛想というか愛嬌というか、人の懐に入り込めるのも彼の持って生まれた才能なのだと思う。
だからこそ幹部達の中で愛される弟分としてのポジションを得ていたし、大人になったあの時点では多少計算された振る舞いではあったとしても、本質としてはこの子供のころから変わっていない、人懐っこさのようなものが根幹にあるからこそだったのではないか。
それは間違いなくジョセフという男の人となりを構成するものではあるけれど、ニュートン一族だからこそ「そういう性格を持って生まれるように」相手を選んだ可能性も捨てきれないなと思ってしまうのが。

・父親
ジョセフの父親ってこんな感じの顔だったっけ?と思って16巻というか154話を読み直したけれどやっぱり顔が違うな……。
ハンニバルの父親とジョセフの父親ががいて、そっちに引き取られたとかなんだろうかとも思ったけれど、その場合「ジョセフだけが母親が違う」という疑問を父親に投げかけていたシーンと矛盾が生じるし、まあもしかしたら単行本で修正されるかもしれないし、父親がイメチェンした可能性もあるしな。
あるか?

・効率化
父親の言っていることは一族が今まで成してきたこと故の効率化、蓄積された知識の結果であるからこその言葉で、逆にハンニバルとしてはあらゆる可能性を考慮しての効率化。
伝統と革新ともいえるし、どちらも正しいともいえるのではないか。
子供を造るという事についても、遺伝子を残すという意味合いとして父親は肉体が完成した状態になってから、ベストな状態での遺伝子を残すべきだと思っているし、ハンニバルはベストな状態を迎えるよりも自分が遺伝子を残せるようになったのであればそうするべきだという考え。
ベストな状態を迎えられる保証もないと言われればそれもまた正しいとは思う。
どちらも合理性を求めてはいるけれど、ハンニバルの場合は今出来る事ならば今やる、ベストなタイミングを待つことは効率的ではないと考えているのだろう。
肉体的な強さだけではなく、精神的な強さも含め、あらゆるものが強いのだ。
彼は、何もかもが強いのだ。
ニュートン家の嫡男としては至って正しいのかもしれないが、それは我の、個の強さを求めるものであり、一族という全体の強さを強化するものとはまた異なる強さだろう。
だからこそ、その正しさも理解できてしまったからこそ、父親はハンニバルの意見に対して否定はせずとも肯定もしなかったのではないか。
取り返しのつかないことになるまで、否定が出来なかったのではないか。
その正しさを認めてしまったが故に。

・女の子だった
『女の子』という言い方が妙に可愛らしいというか育ちが良さが出ているというか。
この女の子がファティマなのだろう。

そうなるとさほど年齢も離れておらず、叔父様とは言いつつむしろ兄の様に慕っていたのだろうなあ。

今はもう少しこう、色々拗らせている感があるけれど。


・殺す
なんとなく、がないというのは彼がより知識欲を、そして効率を求めているからこそであり、それは芸術とあまりにも相性が悪い。
最初に殺したというその言葉に対して、作品に手を加えたことにより芸術性を高め、画家の心を、創作意欲を殺したのだろうかと思ったけれどハンニバルが行ったのはもっとシンプルなことだった。
文字通り画家を殺した。
虎は死して皮を残し、人は死して名を残すとでも言わんばかりに。
「この作品を最後に非業の死を遂げた」「これが彼の遺作となった」そんな言葉がつけば作品の価値が上がることは間違いない。
本来ならば悲劇は偶発的に産まれるものであり、だからこそ他人はそこに価値を見出すものだ。
とはいえそれが他人に知られなければ悲劇の死であることは間違いないのだが。
だから、彼の絵の価値も上がった。
だが2倍ではなく1.2倍に留まったのはある種の幸いともいえるだろう。
もしこれで絵の価値が2倍に、もしくはそれ以上になったのだとしたらそれは彼にとって今後も効率のいい手段として選ばれてしまったのかもしれないのだから。

・王
結局のところハンニバルがもうしない、と言ったのは良心が咎めた、という至って人間的な理由などではなく「人を一人殺して(その始末の手間なども含めたことを加味して)その価値が1.2倍にしかならないというならあまりに効率が悪い」からやらないだけだ。
けれど単に効率を求めるだけならば自然交配になど任せず、遺伝子操作で最も適切なものを選び、そして子供を造ればいいだろうというのは確かに考えとしては理にかなっている。
逆にいうとハンニバルがそこに関しては効率ではなく人間の力を、ニュートン家が積み重ねてきた種の王としての立場を優先させるというかそこを最優先としているのは意外に感じる。
あくまでも意外に感じるだけで、決して彼の主張と矛盾しているわけではないと思ってはいる。
誰よりも人間という種族の力を知っていて、そして信じているのは彼らなのだろう。
自分たちは人間という種を導く王としての責務を持っている一族なのだという事は、ある種異端ともいえるハンニバルであったとしてもその自負は揺るがないというか。
だからこそ彼らは多くの人間には理解されない。
思考が凡人と同じであればそれは王の一族として成立しないのかもしれない。

・沢山食べたい
こういう所がハンニバルというキャラクターへの好感度が増すというか、本来であればラスボスに近いポジションの存在であるというのがわかっていながら好きになってしまうというか。
本当にキャラクターの立て方が上手いなと。
沢山食べたいから滅ぼさない、というシンプルな理由も個人的に好き。
これがまさかA5ランクの和牛ステーキを食べていたことに繋がるのか……?(そんなことはないと思う)
まあ問題はこうやって好意を抱いてしまったのちに、彼の物語に対する立ち位置だとかそもそもテラフォだしなということを冷静に考えると3か月後ぐらいにはなんでもない。

・1+1=3
ハンニバルにすればこの世界が、現状が誤った数式そのものだと感じられるのだろうか。
より簡潔に、より正確に世界はあるべきだし、そうなるように努力をすべきだと思っているのだろうか。
彼はそれを『この世界を善くできる』こととして認識している。
ただそれは純粋に彼の思う正しさを追求したものであり、そこに他人の幸せというものは加味されていない。
一応本人もその自覚があった上で、さらに言うならば己の欲を優先させることすらもまた自覚している上でああいう行動を取るのだろう。
好奇心で人を食べ、作品の価値を上げるために作者を殺す。
恐らくだけれどそこに罪悪感は伴ってはいない。
それを抱く必要がないというか、罪悪感をねじ伏せる程の使命感というか、彼の持つ欲というか。
世界を正しく、より善くすること事態は間違いはないだろうけれど、正しさだけで世界は構成されているわけでもない。
そういう曖昧さというか、今回のハンニバルとの戦いで出てきた「なんとなく」という言葉に集約されている「余白」を合理化の果てに排除してしまうのは遊びが無いつまらないものになりそうだなあと。
ただ、それこそがサムライソード達にすれば許せないものであり、相容れない物でありハンニバルにすれば合理性に欠けた非効率なものと見られてしまうのだろう。
この辺り、どちらの主張も極端に振りすぎなければ決して間違えているわけでもないのが悩ましいというか難しいというか。

・一族
普通であってはいけない、秩序を壊し新たな秩序を作るだけの力を持っていながら、その力を振るうことと失うことを恐れて逆に秩序を保ち続けてしまう一部のニュートン一族はハンニバルにとって世界を善くする努力を怠っていると思われるのだろう。
ニュートン一族の多くは例えるならLOWに属するもので、ハンニバルはCHAOSに属するタイプなのかもしれない。
今自分の頭の中には女神転生の攻略本の図式が出てきています。

・兄弟
意外と仲が良いというか、思っていたよりもハンニバルが弟であるジョセフに対して兄として真っ当な接し方をしているというか。
今までの物言いだけならばかなりよそよそしい印象が強かったので、こんなにも真っ当な兄弟像を見せられると実のところは仲がいいというか、互いの存在を少なくとも疎ましく思うようなことはないのかもしれない。
この時点では。
少なくともハンニバルは弟のジョセフに対して自分と同じ目標を持てる、自分と同じことができる、ニュートン一族に見出された存在であるならばと信じているし、実際ジョセフはそれ以上の才能を持っていたことは間違いない。
こただこの時点でハンニバルは自分が一族の当主になることはもう考えていないというか、ニュートン一族というあまりに特殊なその集団の中でも更に異質という自覚はあったんだろう。
だからこそ弟に託した。
いや、託したというよりは押し付けた、の方が彼の感情としては近いのかもしれない。
ニュートン一族の長として、世界の王になるということを。

・父殺し
だけど、の後に何が続くのか。
父のようには、ただ秩序を維持しようとするだけの一族のようにはならない、だけど兄の様にもならないという感じだろうか。
状況としては何らかの事故に見せかけた、もしくは事故に乗じて殺害したという感じではあるが、兄に見られたところでどうということはないと思っているのは本質の部分で兄弟が同じだと理解しているからか、それともこの2人が共犯なのか。
この絵だとジョセフという一族の最高傑作ともいえる存在の価値をさらに上げるために、父という作者を殺した図に見えないこともない。
作品の価値を上げる為に作者を殺した兄と同じことを弟がしているだけにも見えるのがまた……。
効率的ではない、と兄が捨てた手段を弟が同じように、けれどより効率的に行ったのだとしたらそれはどう思うのだろう。

・アネックス1号計画
あくまでも立案者であり、彼自身がどこまで計画に関与していたのかはわからないが今地球におけるテラフォーマーとの、<祈る者>との争いに関しての遠因の一つであることは間違いない。
とはいえ立案したことについては決して負の面ばかりではないだろう。
致死率100%のウィルスに対して、ワクチンを作る手段がある。
ただそれが地球上で解決する話ではなく、ウィルスの元である火星に行かねばならないというスケールの話であり、莫大な金額と人員が必要というだけだ。
そしてその火星には人間に敵対する生物が存在し、その生物に対抗するためには他生物の遺伝子を埋め込む手術を受けなければならない。
手術の成功率や任務の成功率(というよりは生存率)を考えると決して効率がいいとは言えないが、ワクチンの存在は間違いなくニュートン一族に、そして人類にも技術革新という形での利益をもたらすものであることは間違いない。
アネックス計画の際に金とアメリカの市民権を餌に(こういう言い方は非常に誤解を招きがちだとは思うが)人を集めた手段について、ハイリスクハイリターンを見込んだニュートン一族が絡んでいたというのであれば納得がいくことも確かなことで。
ただそこに燈やミッシェルさんの存在であったり、なにより弟であるジョセフの存在を考えると物事はそう簡単に解決するものでもなく、なんなら余計な火種が持ち込まれているという現状も踏まえると単なる良し悪しで済む話でもないのが難しいところ。
それを物語の奥行きと考えると、今後それらがどう納まっていくのか。

・バグズ3号
名前を変えたことについてはめちゃくちゃ褒められてもいいと思う。

・似ている
シンプルに顔が良いな……となるジェットのコマ。
ジェットはハンニバルに対して自分との共通点を見出したようだけれど、この2人は立場が真逆過ぎる。
マイナスをゼロにするためにその差を埋めるために得るものと、プラスの人間がさらにそれを増やすために得るものというのは確かに同じ知識ではあれど、そもそものスタート地点があまりにも対極的だ。
持つものと持たざるものの差はあまりにも大きい。
むしろ似ているのは「知識を得るために効率を求める姿勢」なのかもしれない。
ジェットの場合は何も持たないが故に効率化を求めなければ間に合わなかったという事情もある気がする。
単に目の前の知識を得ているだけでは生き残れない、対処できない。
だからこそ知識を得るにも、それによる利を得るにもより効率を求める必要があった。
生きるための知識の取捨選択、それをどの順番で、どういう形で吸収するのが最短なのかを考える必然性というか。
それを似ていると称するのが、事実だけを端的に述べたように見えるのがあまりにもジェットらしい。

・敵
テラフォーマーたちがハンニバルの乗る船を狙うのは単に日本近海に存在している物を排除しようという単純な行動なのか、それともハンニバルやサムライソード達のような特性を持った人間を排除しようとする組織的な動きなのか。
サムライソードが狙われていた、と言っている以上後者にはなるだろうけれど、それならばなぜ彼女はハンニバルが狙われていることを知っているのだろう?
逆に言うならば狙われていることを知っていたからこそ、己の手で片を付けるために乗り込んだという事にもなるだろうが、情報源が気になるところ。
もちろん自分が単に以前あった描写を忘れているか読みこみ切れていないかの可能性もあるので、そうだったらコメ欄で教えてください(切実)。

・慣れ親しんだ死地
そんなものに慣れ親しまないでくれとは思うが、実際のところ(特に火星からの帰還組は)死地を潜り抜けてきていることは間違いないので合ってはいる。
というかジェットのその専用武器というか装備というか急に色々バージョンアップしすぎていて何がどうした?どうやって収納してた?
まあタイは毒蛇が多い(右上はコブラをもしたものだろう)のでモチーフとしてはおかしいわけでもないけれど、日向が協力というか何らかの形で関わっていたりするのだろうかと勝手に何らかの人間関係を見出そうとしてしまうオタクの性が。
元々の彼の専用装備がソナー型だったことを考えるとピット器官を有している蛇との相性も大変よろしいのではないかとか色々とですね。
あと持っている武器が割と仏教というか密教寄りなのも気になる。
どちらかといえば密教はタイよりチベットの方がイメージが強いので。
左下の蛇が持っているのはチャクラムだし、左上の蛇が出してきたもので今ジェットが手にしているのは銅鑼桴の様にも見える。
密教で蛇が関わるとなると五大明王の軍荼利明王辺りがモチーフなのだろうか。
かつて何もない路地裏から始まり、劉さんという自分が唯一と言っていい心を動かされる存在に出会い、そして今彼が仲間を得てここにいるというのであれば様々な障碍を除く神をモチーフにされるのは奥が深い。
いや、何一つ掠っていない可能性も十二分にあるというかその方が高いのでちがっていたら生ぬるい目で見てください。
深読みという妄想は楽しいけれどあくまでも妄想なのでという予防線。

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結局のところハンニバルについての描写が深くなればなるほど善悪を突き抜けて好きになってしまうというこの。

この何か。

キャラが浅くないんですよね……とはいえテラフォなので多分過去が語られてしまった時点で割と明確なフラグが建っているような気がしないでもないです。

テラフォだしな……。

それでもジョセフの存在を考えると、主要キャラにはそこまで死というものが差し迫ってくる可能性は高くないのではという気もするが、逆にジョセフの兄という立場だからこそやばいのではという気持ちもあるし変に悩ましい。

 

無事に単行本の23巻もゲットしたんですが、今回プロフィール的な遊びが一切なく、本当にぎっちりと内容が詰まっていて休載の期間の色々を一気に浴びたというかなんというか。

改めて単行本でまとめて読むと密度がすごい。

今は3週間に1回の更新なので次の単行本まではまた間が空くことにはなるだろうけれど、その分1回の連載ページが18ページではなく22ページなので、もしかしたら収録話数が減ってその分(思っていたよりは)早く出る可能性も無きにしもラハブ。

ただ無理だけはしないで欲しいので……。

こちら重頑張って長生きしますので……。

 

次回は8/22発売分です忘れないようにしないとだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

単行本のクライマックス、どう考えてもカバー折り返し部分では??

なぜか前回の話数をずっと間違えていた気がして、直さなきゃなあと思いながらブログを書いていたのですがいざ更新しようと思ったら別に間違えていなかった不思議。

何を勘違いしていたんだろうか……。



 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
※以下本誌ネタばれですのでご注意願います。
 
 
 
 
 
 
 
 
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・巻頭カラー
巻頭カラーだ!
と思いつつこう、紙ではない状態だといまいち巻頭カラー!という感じがあまりないというか。
いやこれは私がアプリで単話だけ買っているというのもあるとは思うので紙でも買おうと思いますここを書いてる時点ではまだ木曜の25時ぐらいなので。

・あらすじ
あまりにも直近の内容過ぎる……まあそれ以前の展開については7/18に発売される単行本を読もうぜという事で。

・闘い
何度も書いているけど何度でも書いてしまう。
この見開きのセリフもオノマトペもない闘いのシーンが大好きなのだと。
構図的には左右を反転させた状態で慶次を先のページに置いた方が1枚の絵としての完成度は上がると思うのだけれど、それをあえて逆にして先にハンニバルのダメージを見せること、そして慶次の表情を見せることで速さと迫力、その気迫を体感するというか。
インパクトの瞬間だけを切り取った後、ページを捲った瞬間に一気に動きを出すこの書き方が大好きなんですよ。
映画やアニメの動画ではなく静止画である漫画だからこそできるというか、もちろん動画媒体であってもその瞬間を静止画にして音も消してという手法で同じことは出来るし、その後の動きの表現こそ動画の本領発揮となるのは間違いない。
ただなんというか、動画は動画を作成した側の速度で作られているので、現実としてその速度で強制的に再生されるのが当然なわけで。
漫画の場合はその再生速度を自分の脳内で自由に設定できる分余計に静と動のメリハリが顕著になるというか……。
もちろん動画の「脳内でじっくりと処理できない現実的な速さ」という体感としての説得力の強さは間違いないと思っている上での話ではあるのだけれど。
でも脳内ならいくらでも、それこそ「現実では絶対に目では追えない速さだから文字通りコマ送りにしている」という設定で読むことが出来るので……。
でもどうなんだろうこういう読み方をしてる人ってどれぐらい居るんですかね?

・衝撃
脳が揺れると膝に来るのはテラフォ読者なら「これ進研ゼミ(という名の火星編)でやったところだ!」ぐらいの流れで知っているとは思うのだけれど。
いやそんな同意を求めるな。
壁が崩れる程の衝撃を受けたのであればそれはもう脳が揺れるなどというレベルではないと思うのだけれど、多分人為変態していれば大丈夫なんだろう。
プロレスラーだって顔面を思い切り叩かれてもとりあえず首回りを鍛えているから何とかなってるって言っていたので。
ということはF1レーサーも……?
いやF1レーサーは重力への対策に首を鍛えてはいるけれど引っ叩かれることはないので多分。
しかし受けた衝撃を吹っ飛ぶという形で位置エネルギーへ変換させるというか、強制的に変換させられた後に壁に手をつくという至極当たり前の動作をしただけなのに、破壊というよりは崩壊という形になるというのは。
衝撃の逃がし方として、モンハナシャコの特性の1つというか蝦蛄パンチの副産物ともいえるキャビテーションをハンニバルが発生させて相殺したのか、それとも慶次が発生させてたキャビテーションを何らかの形で手から逃がしたのか。
破壊ではなく崩壊という辺り、前者かなあ。
もちろん当然だけれどまったく違う可能性もあるしそうだとしたらこちらの読解力不足ということで。

・立て
膝をつく前に無理やりにでも立ち上がらせるのは今までの慶次ならばありえないともいえる行動。
彼の本質はボクサーであり、いうなればスポーツマンであると思っているのでこういう「ケンカ」としての仕草を見ると驚きもするが、それ以上にハンニバルの存在が許せないものなのだろう。
だからこそこれほどまでに苛烈な激情を文字通り叩きつけている。
許せないのは、直接的な被害を受けたサムライソードだけではないのだ。

・なんとなく
人生の余白というものを持たない。
持たないのか持てないのか、持てはするが必要ないと思っているのか。
恐らくサムライソードの中でその余白を、なんとなくという物を一番楽しんでいたのが彼女の姉の存在だったのだろう。
なんとなく面白そうだから、なんとなく可愛いから。
そういう理由で(サムライソードからすれば)無駄なものを買い、手元に置き、実用的ではないと言われながらもそれらを愛でていた。
そのなんとなく、が理由で彼女らがハンニバルに見つかり買われてしまったという現実はあれど、だからこそ姉が愛でた物を、世界を平気で踏みにじるこの男が許せない。
多かれ少なかれ人間は行動に対して理由を見出す必然性はあれど、その理由の中に他者に対して何らかの害が及ぶ可能性がある場合は違う方法を模索するか、行動自体を見直すかするものだろうと思う。
何を持って他人への害となるか、というのは人間が持っている最低ラインの倫理観が基準になると思うのだけれど、ハンニバルにはそれが無い。
何度か書いたけれど、倫理観というものに対して自分の知識欲が優先されるというか、自分の知りたいという知識欲に他人の感情や尊厳など些末なものに過ぎないと思っているというか。
その相容れなさがテラフォーマーに対する感情と同じように、分かり合えず受け入れられず、そして許せない。
可哀想という感情は、サムライソードにすればかつての自分に向けた物なのかもしれない。
ここまで極端では無かったが、彼女の「なんとなく」の幅は姉ほど広くはなく、姉の楽しみ方に対して付き合いはするものの共感はそこまでではなかった。
そしてハンニバルに買われて以降、人生の余白など彼女の中には存在していなかったことも含めての可哀想という感情なのだろう。
可哀想、と思われることはハンニバルにとって侮辱と思われるのか、それとも一笑に付されるものなのか。
利だけで生きるというよりは利が無ければそれに関わることを許されない一族。
そういう意味では本当に彼は、彼らは同じ人間でありながら相容れないもの。

・覚えた
こういう圧倒していた(と思われる)側からの一転の絶望が本当に上手いというか感情のハシゴの外し方が上手いというか。
圧倒してたじゃん!という気持ちになる。
ハンニバルにすれば世界チャンピオンのボクサーであっても、ある一定のルールを基準としたスポーツの動きを模倣することはそう難しい事ではないのだろう。
もちろん多くの時間をかけずともトップに立てるというのであればそれに越したことはないというか、それこそがニュートン一族が今まで作り上げてきた血筋の結晶であることは間違いない。
そうなるべくして彼らは血を繋げて来たのだから。
だがそれは模倣に過ぎず、あらゆることが出来るが故に1つのことに研鑽を重ね続けた果てというのは理解の外にあるものかもしれない。
あらゆることが出来るからこそ、深い経験を積むことが出来ない。
それは必要のない事だから。
だから、慶次の無駄な動きに対しても無駄だということしか感じないのだろう。
いや、無駄があること自体を劣っていると判断するのかもしれない。
ただサムライソードはその無駄というか余白をわかっているというのが。
これについては彼女自身が手術を受けた後に大太刀を使えるように練習を重ね続けてきた側の人間だからこそ理解できるということで良いんだろうか。
明らかに現状では不利となるその無駄がどういう形で活かされるのか、贅沢を言うならば逆転の一手に繋がるのかは結構楽しみではある。

・再生
手の生える瞬間の描写が結構好きですねこれは。
人によってはグロテスクな表現と思う人も当然いるとは思うけれど、絵の状態でありながら肉が再生する生々しい感覚が出てるように見えるのが。
いや、実際に肉が再生するところを見たことがあるわけではないけれど。

・人間
互いに『人間』というものに対する定義が違う。
あくまでも生物学的な人間という話ではないとは思う。
というよりも生物としての人間を他生物の遺伝子を身体に組み込んだ存在である彼らが教えるというのであればあまりにも滑稽であり、皮肉が過ぎる。
今回の展開においては内面というか人間という存在が何をもって人間と定義される存在となるのかの話ではあるはずだけれど、この場合どちらの主張も決して間違いとは言い切れない気がする。
いや、どちらも別に定義を言葉にして主張しているわけではないのだけれど、慶次の言う人間はそれまでのモノローグが表現していて、ハンニバルの言う人間はこれからのモノローグが表現している。
サムライソードが許せないと思うのは「なんとなく」という余白が無いことは言い換えれば人間というものは理由などなくても何かを愛でることが出来る、その感性こそが人間らしさと思っているからだと思う。
誰かを踏みにじったり搾取するのではなく、無条件に何かを与えることが出来る可能性というか。
あくまでも前半のモノローグはサムライソードがハンニバルに対して思うことであり、それが慶次の思う人間の定義とイコールであるかというと決して完全に一致するわけもない物であるというのはわかってはいる。
それでも互いの根幹で人間に対する思いがそうであるから、ある程度の共通項があることを理解しているからこそ彼らは仲間と思い、そして頼りたいと思った時に頼れるし、頼られることを受け入れられる。
対してハンニバルの思う人間というものは常に学び、記憶し、それを糧として改善し進化し続ける。
そうして目の前の課題ともいえるものを片付けていき、人生の段階を上げていく。
ここだけ書くとものすごく意識高い系(この言い回しもだいぶ廃れている気はするが)の話をしているような気もするけれど、ハンニバルの場合は本当に物理的に進化するパターンなので定義が少し変わってくる。
前にも書いたけれど、ハンニバルは己の知識欲をなによりも優先されるものとして位置付けているし、それは己が進化していくためのもの。
だが、己だけが進化していくためのもの。
そこに他人の意志や尊厳というものは考慮されず、ただハンニバル本人だけが進化すればいい。
あまりにも相反する彼らの人間というものへの定義だけれど「正しい」という言葉で評するというのであれば、あくまでも個人の感想としてはどちらも正しいのではという気持ちがあるのは否めない。
正直なところ、自分がハンニバルの立場というか彼の環境と能力があるならば、そういう思考になることはおかしくないというか、そうなるべくして彼はそうなっているというか、そうなることがニュートン一族としては至って正しいというか。
まあ(次元的な意味も含めて)絶対にありえない話ではあるけれど、もし自分が同じ立場であれば同じ思考というかそれを人間の定義として生きていったのではないかと思うわけで。
常に人間という種の最先端であり到達点であることを当然として、というよりも義務とすら思っている彼らの環境であればそうなるのではと。
それは誰かを頼る必要はなく、ただ個の力で進化を成し遂げてきた「選ばれた側の思考」であり、多くの人間は誰かを頼り、他の人間と共に何かを作り上げて種の全体の進化を図る。
どちらも進化の手段そのものとしては間違えているわけではない気がするのは、ハンニバルというキャラクターの説得力に思考がねじ伏せられている感もあるし、あくまでも手段としての話ではある。
1つの個体の進化の為に他の個体を踏みにじって良いという理屈はまかり通って良いものではないという感性を持つ側の人間ではあるので……。

・いつもと同じ
あくまでも対処法のことを言っているのだろうとは思いつつ、その後に当たり前のように『殺すか』という言葉が出てくるのはそこまでがいつもと同じなのか、それともモノローグとは別物として捉えるべきなのかと思いつつ、ハンニバルだからな……。

・専用武器
正式にこれが出てくるのはものすごく久しぶりというか、彼の専用武器が「銀河蝦虎魚」だったことを忘れてる人も多いのでは?
いや覚えていましたよ漢字はだいぶあやふやでしたけど。
ちゃんと#60でも書きましたし(正直たった3話前なのにそれすら記憶があやふやだったのは否めない)。
そういう意味では彼が再登場時に上着を脱いでいないのも、その武器を身に着けている(具足型なので)からなのでは、そして彼の武器があればこそ探し当て、辿り着けたのではと予想していたので、そこがあっていたのは良かったなと。
しかしジェットの『専用武器』という表現、基本はソナー性能だし形状的には具足と銘打っている以上むしろ防具なのではという気もしないでもない。
武器と称するのは結構微妙では?と思ったらハンニバルが『どうぐ』として認識しているのは大変よろしいというかありがたいというか。
あの、今調べたら恐らくこの専用武器の初出が、自分のブログを調べたら2013年(73話)になっていてここ最近で1番のショックです嘘でしょ11年前……??

・キャビテーション
絶対人体に使ってはいけないタイプの技だと思っている。
いくら防具が付いているとはいえ、液体の中で細かな気泡を発生させるほどの威力で殴られること、そしてそれが体内の血液に影響を及ぼすとなれば人為変態した状態でなければ即死案件だろう。
体液の損失や内臓の破損について、甲殻類の再生能力でどこまで補えるだろうか……とは思うが腕がちぎれても再生可能ならそんなに心配することでもないというか。
それが緊張感の喪失に繋がると言われればそれは否定できないが、この場合だとだからこそ如何にして勝つか、という考えに強制的にシフトしている気持ちの方が大きいかな。

・力不足
実の弟なのに全てが伝聞調なのは彼が火星に行ったジョセフに対して特段興味がないのか、それともトップシークレットなことを踏まえて聞いた風な体にしているのか。
いや、後者については今更気にするようなタイプでもないか。
個人的に思うのはニュートン一族は身内に対する甘さというか、マフィアなんかにありがちなファミリーとしての身内贔屓のようなものがあるわけではない気がする。
というよりも身内こそ贔屓などする必要がないほどに強いというか、全員が自立しているというか自立しすぎているというか。
贔屓しなければならないほど弱い人間が一族にはいないんだよな……。
相討ちになったと聞く、とはいうけれど結局のところ全員が何らかの形で命を落としていて、ジョセフはあらかじめ得たプラナリアの特性で生き返るというか再生し、小吉は劉の心臓を分け与えられることで生き残った。
幹部クラスが3人がかりというのがどれほどのものかは火星での最後の戦いを見た読者である我々が一番よく知っているとも言えるけれど、逆にあの戦いを作中の人物たちは当人たち以外は知らない。
まあそういう意味ではハンニバルが伝聞調で言うのは間違えてもいないのか。
そして彼から見れば慶次たちの実力派幹部に及ばず、また自分の強さも人類の到達点である弟のジョセフには及ばないという自覚があるのかもしれない。
だからこそ勝てないのだと。
ジョセフにも、<祈る者>にも。

・あの男
その前では俺の弟という意味を込めた物言いをしてはいるものの、発音としてはジョセフのフルネームだし、あの男という意味でのニュートンという言葉。
ジョセフという名前ではなくあえて一族の名を使う辺り、相手にするのはジョセフだけではないという意味を暗に匂わせているかのような。

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単行本が発売されましたやったー!!

特典については集英社さんのナツコミ企画としてステッカーがついてくるものがあるけれど、配布される店舗については公式からご確認ください。

 

 

 

そして単行本の発売に伴い、公式からショート動画が発表されましたね!
格好良い……。

 

 

 

そして次回は7月25日とのことです。

3週間が長いのか短いのかよくわからなくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それこそ年単位で久しぶりにアニメイトに行って、ポイントカードを出そうとしたら間違えてブックオフのポイントカードを出すなどしました。

愚か。

単行本の!!
告知が出ましたね!!!
単行本23巻は7月18日と告知がありましたやったー!!
特典がありそうならまとめたい気持ち。



 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
※以下本誌ネタばれですのでご注意願います。
 
 
 
 
 
 
 
 
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・明かされる真の姿──。
ハンニバルの特性を、ベースとなる生物を知らなければ手の打ちようがなかったこと。
天異変態に必須である微生物そのものがベースになるなどとは想像もしなかったろう。
かといって知っていたら何らかの対策があったのかといえば、特性をコピーされないために単独での攻撃をするぐらいしか対処の方法はなく、だが独りで闘うにはあまりにも実力に差がありすぎる。
サムライソードが単身で対峙したとしても、その特性を使ったとしても恐らく勝つことは難しかっただろう。
だからこそ彼女は仲間を信じ、頼った。
その結果がハンニバルの天異変態を、恐らくはランキング上位だろう彼らの特性をコピーされるということになるのは皮肉が過ぎるというかどこまでもハンニバルという男はサムライソードにとっての障害に成りうる存在なのだなと。

・知れる
テルムス・アクウァーティクスという名詞、先週に引き続き書いている単語だが空で言えるようになる気がしない。
この生物についてはハンニバル自身が誰よりも雄弁に、そして文字通りその身を持って解説してくれているので特に調べることもないのだけれど、個人的にはハンニバルが「この生物がベースになるのであれば手術を受けていい」と判断したということ。
M.O.手術を受けることで、恐らくだけれど遺伝子を取り入れるということはその生物が持つ特性を本能で使いこなせるということとイコールなのだろう。
つまりはその生物が「どういうものであるか」を完全に理解することが出来る。
だが、火星に行く前の技術レベルでは他の遺伝子を取り込むという物であるが故に抗体反応含め複数の生物を取り込むことは出来ない。
風邪村のような特殊な条件と体質を除いては。
なにより手術の成功率そのものが約四割となれば、ニュートン一族とはいえ手術に踏み切ることに関しては躊躇いがあってもおかしくない。
とはいえあの一族の中になら好奇心だけで手術を受けて死んだ人間も居そうな気もするが。
ただ、本多博士の技術開発による天異変態、そして一般的には秘されてる技術とはいえ現状は成功率がほぼ100%となっている以上、人を超える何かになるために手術を受けることを是とする判断は当然あったのだろう。
ましてや彼の知的好奇心を望む形で満たしてくれる物に適性があるのだとわかればそれは。
あらゆる生物を知れる機会があるのだとすれば。
この生物だからこそ彼は手術を受けたのだろう。
その知識欲を満たすために。

・どうでもいい知識
人間とは全く体の構造が違うモンハナシャコという生物の場合、人間の様に腰の捻りを使って腕を振りぬくという技術を使うことなく、シンプルに筋肉の反動を使って攻撃をしている。
その構造を理解していれば、ボクシングの技術はなくともその生物の持つ破壊力を活かすことが出来る。
そしてハンニバルの身体能力というか、身体の動かし方を把握している人間であればボクシングという技術が無くてもプロボクサーと同等の闘いを、戦闘能力を維持することが出来る。
彼にとって『どうでもいい知識』だからこそ、どうでもいいと思われそうな知識であっても取りこぼしたくない。
ハンニバルが嫡男でありながら当主ではないというのはこの知識欲にあるのだろう。
恐らく彼の人生において優先されるものは好奇心であり、それを邪魔するものは例え一族の人間であっても許さないのだろうし、それは明らかに当主が務まるタイプの人間ではない。
だからこそ彼はこのポジションで自由に生きている。
それに伴う周りへの影響というか被害を無いものとして扱える程度の財力がある一族だからこそ出来る生き方ではあるが。
そもそも誰かの手元で大人しくしているようなタイプではないし、大人しくさせることが出来るタイプでもない。
結局のところ、その目に留まらぬように周りは生きていくしかないタイプの人間であり、それはもはや人間というより災害と同じようなものだろう。
それが倫理に反するものだと理解はしているが、罪悪感を抱くことはない。
なぜなら自分の知識欲は、そして得た知識を実践するということは他者の尊厳よりも優先されるものなのだから。
例えば、サムライソードの戦闘力を奪うためにその手を引きちぎることも、彼にとっては満たされた知識欲を実践しただけに過ぎない。

・蝦蛄パンチ
このハンニバルの説明でならば、本来モンハナシャコの腕は伸びている状態が正常であり、それを無理やり折りたたんで何らかの形でその形に留めているということになるとは思うけれど、それがどういう構造なのかも説明して欲しかった感。
伸びてる状態を正とするなら曲げるときにどれぐらいの負荷がかかるのか、また曲げている状態を維持するためにどういう形で留めているのか、そのフックを外すための動作というか動きはどうなっているのかとか疑問は尽きない。
なので調べたら単純に言えば弓矢の構造と同じで弦を引いた状態を常とし、それを開放することで矢が放たれる=パンチを繰り出すというシンプルな構造ではある。
長節部分にある腹側棒という筋肉(?もしかしたら腱かもしれない)が弓の本体である弓幹にあたり、それを引き絞る力が指節そのもの、そして引き絞ったままの状態に留めておくために捕脚前節の中にある止め具構造というものがあるらしい。
「クチクラ内突起apodemeとは脊椎動物でいう腱であるが、一部肥厚・硬化している。ここが外骨格内側の隆起した部分とかみあうことで指の役割を果たす」という記載があるが、この場合の指は弦を引き絞った状態のまま留めておく状態そのものを指すようだ。
この留め具(腱)を意図的に外す、緩めることであの蝦蛄パンチが繰り出されるのだけれど、速ければ速いほど威力は増す。
蝦蛄パンチの速度が瞬きの1/100の速さということなので、その威力はもちろんのことジェットと同じようにキャビテーション現象も当然発生する。
というよりも実際にカニや貝の殻を割るのに有効的なのは打撃そのものの威力もさることながら、このキャビテーション現象の力も大いにあるとのこと。
そして常に全力でその力を使っていては当然自分へのダメージも蓄積されていくものなので、蝦蛄自身はパンチの速度をきちんと調整しているらしいということがわかって、あの小さい身体にスペック詰め込み過ぎでは……?

・再生
甲殻類のベースがあれば四肢をもがれたとしても再生という点においては可能だが、それは自分のベースとしてその特性を持っていることが前提ではあった。
今までは。
天異変態という他者の特性を一時的に自分のものとすることが出来る技術が確立された今であれば、自分のベースに再生能力が無かったとしても一時的にその特性を借り受けることが出来る。
この辺り、漫画として非常に使いどころが難しいのではないかとは思う。
腕や足がもげたぐらいでは死に直結することがない、という感覚は危機感を薄れさせる一面があることは間違いない。
ただ天異変態を発動させていること、そしてその特性が発動するには時間がかかるという制限があるという点ではそこまで安易に使えるものではないということと同義になるのかなと。
ただ、そうなるとエヴァの存在がますます重要というか難しい存在になるというか。
治癒能力という点においては味方として横にいて欲しいが、その特性が敵に奪われる可能性を考えると闘いの場に連れていくにはリスクが大きい。
そういう意味では制限を付けるのは当然だろうと思うけれども、本当に使いどころが難しそうだな。

・不味い
腕を引きちぎったあとのこの一瞬の表情、どう考えても「思い出している」している表情だと思う。
彼女の肉の、血の味を知っている。
この『不味い』は状況に対する物ではなく、純粋に味への感想だ。
人の味を彼は知っている。

・共食いという行為
なぜサムライソードを買ったのか。
既に死んでいる姉までも買ったのか。
それは彼の知識欲があればこそ、倫理を理解していても欲が上回るからこそ。
そしてその欲を満たせるだけの力があるからこそ。
あくまでも個人的な考えでだけれど(以下に関しては本筋とは関係があるようで単に自分の見解なので別に読まなくてもいい話です)どの生物であっても同族を食べるということが無いのは倫理の問題というものではなく、本能的な嫌悪というか種としての生存本能によるものではないかと思う。
もちろん共食いする生物は存在する。
カマキリにある性的共食いや、蜘蛛にある生まれた子供が母親を食べる行為は共食いという言葉に当てはまるものだ。
ただ、カマキリの場合は生殖行為の後に母体の栄養になるという前提があり、蜘蛛の場合は産まれた子らに栄養を確実に行きわたらせる為のもの。
空腹を満たすために同種を食べるのではなく、次世代に繋がること、繋げることが確約されたからこその行為であり、単に空腹を満たすためであるとか娯楽としての食としては全く別のものとして扱うべきではないか。
人間でも共食いが皆無かといえばそうとは言えないが、それにはある種の尊敬や信仰、相手への愛着(人によっては歪んでいるという感覚を抱くことも当然あるとは思う)という本能の忌避を上回る儀式的な意味合いを含んだ上でのものとして扱われている気がする。
極論を言えば供養の一環のような立ち位置というか。
まあそれはあくまでも族内の物であり、族外にそれが向けられた場合は復讐という別の意味合いを持つ事にもなるだろう。
いずれにせよ共食いという文化についてはそれを本能のレベルで生物は忌避するものであり、そうでなければ種としての存続に関わってくるというのが個人の考えではある。
あとは単に人間の場合に限っては栄養価が高くない(1kg食べても1500kcalぐらいしかないらしい)とか可食部がそんなに多くないとか捌くのが大変だとか色々ありそうな気もする。
捌くということに関しても遺体に傷をつけることへの宗教的なタブー視もある気がするけれどこの辺りは東洋と西洋で違ったりするんだろうか。
日本の場合は遺体も仏として扱うというか(ホトケさん、という言い方もあるし)、死んでしまった場合は皆仏、という扱いが染みついている。
逆に西洋というかキリスト教の場合は魂により重点を置いていて、魂が天に召されたのであれば遺体は空っぽの器に過ぎないという考えがあるというか。
いや別に明確に出典がある話ではなく、あくまでも個人的な考えのレベルに過ぎない話ではあるけれど、その辺りの差異も含めて「遺体を食用として捌く」事へのハードルはもしかしたら多少の違いはあるかもしれない。
とはいえ進んでやりたがるということはないだろう。
そしてハンニバルはその種としての本能的な忌避を恐らく自覚しており、倫理に反するものだということも理解したうえで知識欲を優先させた。
だからこそ「不味い」ということを知っている。
『1回食えば十分』ということは『1回は食べた』ということに他ならない。
ハンニバルの名を関している辺りでなんとなく想像というか予想の選択肢としてはあったけれど、ここまで明確な答え合わせが出されるとは。
ただ個人的にこういうキャラは善悪とか好き嫌いを全てねじ伏せて納得をさせてくれるので純粋にキャラクターの造形としては完璧だなと。
「まあ……ハンニバルならそうだろうな」と非人道的な思考や行動であっても納得してしまう強さがあるというか、説得力のあるキャラというのは貴重だと思うのだけれど、ストーリー的には彼はそれなりのタイミングで退場するのだろうなという気持ちも……いやそうしないと恐らくこう、展開的にね……かといってハンニバルが仲間になりますとかの展開になったら多分なかなかに大きい声で「解釈違い!」って叫ぶと思う。

・何故
彼の行動原理で全てにおいて優先されるものが知識欲。
それはハンニバル・ニュートンというキャラクター性の芯を貫くものであり、常識よりも倫理よりも優先されるべきもの。
しかし逆に言うならその知識欲だけで人間を食べようと思うのだから感性が常人ではない......となりつつ結局は「ハンニバルだしな」で落ち着いてしまうのが。
この時点でもうサムライソードの特性を使いこなし、その握力……いや足の場合もこの言葉は適用されるのだろうか?というよりもツムギアリの特性の場合はそもそも握力と言っていいものか。
一応好奇心以外にもビジネス的な目的もありはしたようだけど、それが人体マーケットの開拓というなかなかに非人道的過ぎるものではあるけれど、いちおうM.O.手術という技術がある以上需要があるだろうというその読みは正しくはあると思う。
「実験台としての人間」の需要は間違いなく(非合法として)あるだろうし、その為には彼女たちのような身寄りのない、そして足取りを掴めないような地へ好奇心で足を運ぶような存在はうってつけだったのだろう。
全ては彼の中の知識欲と合理性に照らし合わせれば何一つ矛盾はなく、そこに他人の感情は介在しない。
恐ろしく身勝手すぎるもの言いであり、サムライソードを手元に置いていたのも別段彼女自身にたいしてハンニバルが何か特別視するような価値があったわけではない。
彼女が要因(の1つだと思っていた)「双子」という事実ですら、ハンニバルの中には価値として認められてはいなかった。
手放したのは価値が上がるのを待っていたからであり、そしてサムライソードの姉はまるで賞味期限が迫った冷蔵庫の中の食材を消費するのと同じ感覚で文字通り食材として扱われた。
女性としてのその身体に飽きたからなどではなく、単に今「売れば」より価値が上がるという数字の上でのタイミングに過ぎない。
文字通り彼女は投資の為の商品であり、それ以上でもそれ以下でもない。
商品は売るために存在するもので手放すことをまず前提とするわけで、そこに必要以上の情を抱いてしまえばそれは商売にはなり得ない。
例えば金というものに対して愛着や執着があったとしても、紙幣や硬貨の1枚にまで愛着があるわけではないというか。
いやこの例えは合ってるのか?

・初めて
強いからこそ己の力を自覚し、だからこそ好んでその力を振るうことはない。
女性は決して殴らない事を信条とし、ましてやその身で人を殺めるなど考えたことも無かっただろう。
だが、守るために強くなった男が、『初めてこの姿で人間を殴りたい』と思うほどにハンニバルという存在を許せない。
ハンニバル自身は彼の中の信念を持ってそうしてるわけだがあまりにもそれは相容れないものであり、慶次にすればその存在はテラフォーマー以下ともいえるもの。
テラフォーマーに関して言えば意思疎通することはできず、それは言葉が通じないというだけではなく倫理感が生物として違う故に相容れないのは当然であり、だからこそ互いを敵として認識し、嫌悪することは必然に近い。
だがハンニバルの存在は同じ人間という種であり、言葉も通じる。
なのに想いは何一つ通じず、伝わらず、理解はされない。
君はこういう顔もできるのかという気持ちと、その感情に至るのは当然だろうという気持ちと、なによりその感情に至ってくれて良かったという気持ちと。
ただ個人的に最後の一線を越えることを彼が是とするかどうかは気になるというか、個人的には越えて欲しくはないと思う。
かといって他の2人であれば手を汚しても良いのかと言われればそれもまた違う気がするし、けれど命を奪った対価を命で償わせるというのであればそれこそが対等だろうという気もするので難しいというか。
彼らの物語をどういう結末にするのか、楽しみではあるけれど誰かの人生に区切りがつくのか、それとも誰かの人生の転機となってしまうのか、それともあくまで通過点として彼らの何かが変わることはないままなのか、彼らの物語は続けることが出来るのか。
楽しみではあるけれど怖くもある。
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毎回早めに仕上げないと週一更新に間に合わないぞと思っているのに色々見るものがありすぎて結果このタイミングです学習と我慢をしなさい。

無理です!

 

今回は橘先生から単行本の告知があってうっきうきですね。

書影ももう出ているんですが本当ブログにTwitter(頑なに言い続けるインターネット老人会)の埋め込みできないの不便なんですけど何とかしてくれイーロン。

 

今回は蝦蛄パンチについて調べてきたんですけど、いや多分前にも調べた気はするんだけどもう5年以上前のことは覚えられてないので……あとやっぱり5年経っていると参照できる資料も違うので……。

でも本来伸びている状態のものを無理やり折りたたんで、留め具で止めている状態がデフォというのは多分5年前の私は知らなかったと思うんですよねえ。

あと蝦蛄が自身でパンチの速度を調整していることだとか。

さすがにそれは調べてたらどや顔で披露していると思う。

なのでまあ時間が経つのも悪いわけではないよなと感じてみたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ところであのコックのケンてまだ生きてるんですかね?

個人的には生き残りそうな気がしてならないんですけど

3週間て早くないですか…?と思ったけど多分5年待ってたからの気がする。
嫌な慣れ方をしてしまったw




 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
※以下本誌ネタばれですのでご注意願います
 
 
 
 
 
 
 
 
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・去来する過去…。
「サムライソード」は双子の姉の存在があってこそなったもの、ならざるを得なかったものであるという過去と、今に至る未来。
この辺りは#38、#57(現時点では単行本未収録分)で描かれているけれど、彼女の姉はある意味ミニマリストに近いサムライソードに比べて自由奔放ともいえる存在、人生の余白を楽しむタイプの人間だったと言えるだろう。
可愛いから、面白いから。そういう理由で手元に置きたいと思えるならばそれは手元に置くべきだし、その余白を楽しむことが出来ないのであればそれに生きる意味などないのではという疑問を抱くような人間だった。
生きることを楽しむことが上手かったのだろう。
上手かった、という過去形で語る存在となってしまった姉が恐らく最後に言ったのが生きる機械でもいい、生きていられるならそれでいいのだという言葉。
生きてさえいればいいのだと。
2人が誘拐されたのは本来どちらのせいでも無いのだけれど、旅行先に刺激を、ある種の余白を楽しむ挑戦を含めた提案をしてしまったがゆえにこの事態を引き起こしたという後悔があればこその言葉だろう。
もし自分がこの旅行を提案しなければ、きっと無事だったというその後悔。
だから生きて欲しい。
機械でもいいから、人生の余白など無視していいから、まず生きて欲しい。
きっとそう願ったのだろう。
もしかしたら姉のその自由さに憧れを抱いていたかもしれない妹の前で、その命が尽きる間際にその言葉を。
生きることが、生き抜くことが過酷なことであったとしても。

・愛が故に 愛の為に 我らは闘う!
見開きの格好良い事よ!
燈の専用武器については若干その存在を忘れてかけていたことは否めない…というか基本彼は徒手空拳でも十分に強いのでストーリーの展開の都合以外にあえて武器を使う必然性が薄いというのもあると思うという言い訳。
この面子でジェットが背中を向けているのもまた最高なわけですよ。
彼がどういうキャラクターなのかということを文字通り立ち位置で表現しているというか、同列の存在ではあるけれど、仲間と言うには何かが違うというか。
恐らくジェットにとっては劉さんの存在が未だ大きいのではないかという気持ちが個人的にはある。
というよりもその存在が未だ大きいものであって欲しいというか。
彼への忠義にも似た感情があるからこそ横並びではあるけれど仲間にはなれない、それはある種のうしろめたさのようなものも内包しているのではないかという願望を含めた上での話というかこのブログのすべての記事は私の妄想と願望で構成されています。

・BABIES IN THEIR NIGHTMARE
タイトルにもなってるこの言葉、本来は「BABIES IN THEIR DREAMS」という聖飢魔Ⅱの歌であり、「夢の中の赤ん坊」という直訳は決して悪夢を意味するものではないのだけれどあえてそれをアレンジしてこのタイトルにしたのだろう。
もっとも歌詞の内容としてはそこまで平和なものではないが、そこはまあ聖飢魔Ⅱの曲であることを考えればむしろ正しい。
安易に悪夢という言葉を使うのではなく、あくまでも不安という感情の表記に留めているのはサムライソードの今の心境だからこそだろうか。

・一日一善
なんだそのカレンダー。
職場支給のものなの。取引先の企業に年末にこれ配ってるの。
多分卓上型もあるでしょ?
欲しいけどいらないやつだ。

・ノルアドレナリン
テラフォ王道のナレーション芸というか、こういう知識を不意打ちで増やしてくれるのを含めて好きなのだなと。
もちろん生物の豆知識も好きなのだけれど、こういう「現象」に近いものを説明されるとつい読みふけってしまう。
実際人間の認識や感情は突き詰めてしまえば脳からの電気信号であると言う乱暴な括り方をしてしまいたくなる時も多いのだけれど、それを研究して物理的に存在するものが不安感を司るという事を突き止めた人がいるのだなという事実に感心してしまう。
じゃあこの物質を取り除けば人類は不安から解放されて常にハッピーな状態で暮らせるのでは?とも思ってしまうけれど、身体の中に常にあるものを完全に消滅させるとなると絶対に歪みが生じるものだろうし、多分ロボトミー手術と呼ばれるものではないのかという気付き。
不安ではないから幸せかと言われればそういうものでもないだろうし。
それに日常生活において人間の持つ機能として寝るという行為を挟み、色々なものをリセットすることでその不安を記憶と分離させることが出来るというのもよくできたシステムだなと。
というよりもそのシステムがあるからこそ生活していけると言えるし、そのシステムが無いと生きていけないからこそ構築されたものかもしれない。
感情という曖昧なものにも何らかの法則性があることを見出すというのは単純にすごい事だなと思うし、人がそういうシステムによって感情を抑制している、もしくは抑制することが出来なくなるというのは個人的には便利であり不便な話だなとも思う。
あと睡眠時間は大事。

・頼る
男であろうと女であろうと、一人では成しえぬことを誰かに頼れるのであれば、それは頼るべきではないのかと個人的には思っているタイプの人間です。
しかしここで彼女の過去を知っている、というか彼女の過去を「そうした」男が『男に頼るのか』と聞いてくるのはあまりにも人の心が無い。
が、同時にハンニバルならそう言うだろうなという気持ちもある。
ハンニバルの中では復讐の為に命を賭けた手術を受け、そして会社とは全く違うルートで単身この船に乗り込むまでの情報を集め、ようやく自分の人生に区切りを付けられるだろうこの瞬間、誰かに、ましてや恐らく彼女が最も嫌悪してるだろう男という生物に頼ることなどおかしい事だと思っているのではないかと。
もちろん精神的な揺さぶりの意味も含めての事だろうが、自分が彼女をどうしたのかをわかっているからこそ、そしておそらくここまで辿り着く為に彼女がどういう「努力」をしたのかを察したからこその言葉ではないか。

・一人で出来ること
このサムライソードの顔よ。
諦めではなくも優しさを感じるこの顔よ。
もちろん根幹にある復讐心、男という生物に対する嫌悪が消えてなくなったわけではない、消えてなくなるようなものでもないのは当然として、それでも彼女にとって一警護にいたことは抱き続けてきた不安を遠ざけるだけのものがあったのではないだろうか。
男という存在を利用するだけだと割り切ることが出来ないぐらいには、そして人間が一人で出来る事なんて、手の届く範囲なんてそんなに広いものでもないということを教えられたというか理解できたのが一警護という存在であれば良いと思う。

・値する
何に値するのか。
命を奪うことに値するのか、サムライソードが男に頼るに値するのか。
ハンニバルは前者の意味で捉え、慶次は後者の意味で捉えたのではないかと。
だからこそハンニバルは否定し、慶次は肯定した。
もっとも否定したところで自分の命が奪われるなどとは微塵も思っていないような気もするが。

・するだろ
するよなあ。
こういう時にスッと入ってくるジェットの一歩引いた感じがたまらなく好きです。
あとジェットは多分前者の意味での肯定をしている気がする。
サムライソードの過去を知らずとも、今聞いた話だけでジェットにとってのハンニバルは命を奪われても仕方のないものとして扱われているというか、命を奪うことと奪われることに関しての温度差があるというか。
彼はちょっと環境がまた違うからなあ……。

・不安
すごくこのシーン好きなんですよね。
もちろん復讐という大前提があるし、彼女はハンニバルを亡き者とするつもりなのはわかっているけれどそこから先を見据えた言葉が『不安にならない様にしたい』というのが。
サムライソードが前に進むためにはどうしたって目の前のこの男を亡き者にする必要がある。
それについては他人が口を挟むようなことでもないだろう。
そもそもハンニバルの存在については大っぴらに言うことではないがニュートン一族の人間としてジョセフの情報を引き出す為に「ある程度までは許される」という大義名分がある。
もちろんそれは一警護側、さらに言うなら物語を読んでいる側に提示された「正義」に起因するものだけれど、それに至るまでのサムライソードへの仕打ちも含め、「亡き者にしても許される背景」を持たされているキャラでもある。
ハンニバルの存在を屠ることで溜飲を下げる、姉の仇をとる、自分の人生に区切りを付ける、そういう言葉であってもいいのに、サムライソードは『不安にならないようにしたい』という言葉で彼女の今と未来を表している。
男という嫌悪し、唾棄すべき存在だと思ってしまう、そう思うべき存在であるはずなのに周りの人々が、周りの男たちが自分に対して寄せてくれる信頼を、優しさを裏切りたくない、その想いに裏があると思いたくない。
彼女の『不安にならない様にしたい』という言葉は「信じたい」という言葉。
だからこそ慶次は値すると判断したのだろう。
過去の清算だけでなく、確実に未来へ歩むためのものだとわかっているからこそ彼女が手を汚すことへの覚悟を、そしてそれに間接的にとはいえ己が手を貸すことへの責任も含めて値するのだと。
悲痛な覚悟ではなく、前へ進むための覚悟を抱いた彼女の顔を見ればそれは『値する』ものなのだ。

・服を着ろ
男女問わず全裸の相手に遭遇しがちランキング1位、鬼塚慶次。

・衝撃波
ジェットの衝撃波を受けた際に踏ん張った足の踏み込みで同じように衝撃波を出せるのか、それとも受け流し的なイメージなのか。
いや受け流すにしても空気の流れを変えることが容易にできるわけでもないので、恐らく前者なのかなと。
もしかしたらこの時点でジェットに何らかの形で触れていたとしたら、ハンニバルが衝撃波を出せたとしても何の不思議も無い事ではあるんだよな……。


・ジャスティス・ブレイカー
サムソさんの武器、カラーで見たいけどまさか茹ってる状態ではないことを信じたい。
ナイフではなく刃物、と彼女が言っている以上それはむしろ刀というべきなのだろう。
その切れ味については「足の指を切断したうえで」恐らく金属製であろうベルトのバックルを綺麗に切断できるほどのもの。
もしこのベルトが無ければハンニバルの21本目の指(指?)は無事に切り落とすことが出来たのだろうか?
実際に尾を使っての狩りというのは自分の中に知見としてなかったのだけれど、蝦蛄や海老の尾の鋭さというか薄さについてはなんとなく実感はある。
フライとか。
絶対口の中が切れそうな気配があるというかいやでも言うほど海老の尻尾を食べるかと言われれば食べない方ではあるのだけれど、今調べていたら外側の尾扇部分が自分の想像している部分で、真ん中の部分はどちらかといえば肛門節とも言われているらしく字面から色々察してしまい、今後食べる頻度は減りそうだなと思うなどしている。

・天異変態
風邪村くんの場合は特殊なパターンなのでさておくとして、今までだと描写的には複数の特性を取り込むということはあまりなかったような気がする。
うろ覚えなだけかもしれないけれど。
特性同士の相性というか、アレルギー反応的なものが発生することはないのだろうかとよくわからない心配をしてしまう。
あとは他人の特性であったとしても「それの使い方」というのは直感というか体感というか、本能的な部分で理解するものなのだろうかとか。
これについては火星編の時にも疑問に思ったような気もするが、遺伝子を体に取り込むというのはそういうことなのかもしれない。
あとは端的に「細けえことはいいんだよ」で納めるのが正解な気もする。

・3対1
オノマトペが無くても音が聞こえる、もしくは音すら聞こえないというこの表現。
しかし咄嗟にその場にあるものを武器として使いこなすジェットの器用さというか、臨機応変さというか。
火星編の時もそうだったけれど、その場にあるものを利用しての戦闘に慣れているというか
ゲリラ戦を常としているというか。
生存を最優先とした闘いに長けているというか。
その辺がジェットの育ってきた環境というか、燈との対比というか、アンチヒーローとして最高のキャラだなあと毎回思ってしまう。
そしてサムライソードは彼女の専用武器を、というよりも太刀をこそが彼女が得た闘う力であり、最も確実に相手を仕留めるための手段を持ち、慶次も人生を賭けて得たボクシングというその徒手空拳こそが最大の武器であり。
だが、勝てない。
火星でも地球でもランキング上位である彼らが3人がかりであっても、勝てない。
多勢に無勢という言葉など恐らく存在しないのだろう。
ましてや、ハンニバルの持つ特性を考えれば、きっと。
多勢でない方が良かったのだ。
本来の肉体だけのポテンシャル以上に、彼のその特性を考えれば、せめて1対1であるべきだったのだ。

・テルムス・アクウァーティクス(Thermus aquaticus)
ベースが細菌というよりバクテリアに近いし「環境中からタンパク質を吸収できる」というなら確かに『特性が天異変態』になるのは当然か……。
#8のキマイラ・ブラッド技術の際に出てきた名前だけれど、さすがに5年以上前に出てきた細菌の名前まではさすがに脳内に留めておけなかったというかすみませんシンプルに忘れていました。
でもまあ自分のブログを読み返すと「新薬の中にテルムス・アクウァーティクスが含まれており、その酵素によって相手の持つベース生物のDNAの断片を増幅させて己の新たなベースとする」という記載がきちんと残っていたのでさすが5年半前の自分ちゃんとしていたえらい。
ハンニバルの特性としては細菌型、ということになるが今までの「正規の手順ではない天異変態」の場合、血液を媒介してのパターンだったことを考えれば、この闘いの最中にほんのわずかであれ相手の血液を取り込むことさえできればその特性を自分のものと出来る。
言い換えれば能力のコピーということになるだろう。
血液経由の場合効果時間が非常に短いとされていたが、それはあくまでも己の特性があった上で他人の特性を取り込むが故、という条件のもと。
では自分の特性そのものが取り込んだDNAを増幅、そしてそれを固定できるものであったとしたら。
一度取り込んだ特性を恒久的に己のものとする、という事は無いだろうとは思うが、そうなると勝敗のカギはハンニバルが取り込んだその特性をどれだけの時間維持できるのかという所にかかって来そうな気がする。
既に相手が自分たちの特性を得ている以上、下手に引いたところで意味はないだろう。
短期の攻撃をしのぎ切り、その上で反撃の機を伺うか、連携で叩き潰すか。
ただランカー上位3人分の特性を、ニュートン一族の肉体が得ているという条件を前提とした上での選択である以上容易いことではない。
容易いことではないが、それを遂げなければ情報を得るどころか己の命が奪われる。
『人間』であることを自負するその相手に。

・人間
ジョセフもそうだけれど例えM.O.手術を受けた存在であったとしても自分のことを誰よりも人間であると、自分こそが『人類の』到達点であると自負する彼ら。
ハンニバルの言い方だとむしろ自分こそが人間であり、手術を受けたサムライソード達を人間とは認めていない言い方でもある。
だからこそ傲慢、という煽りを付けたのだろうとも思う。
言い方は悪いがより強い個体を作り上げるために自分たちの身を使って交配を繰り返し、人間が持つ遺伝子の強さとその可能性を信じて何百年と進化し続けてきた彼らは人類の指針になるべき生命だという誇りがある。
人間離れをしているのではなく、ただ周りが自分たちに追いつけていない、自分たちの様になるには外的要因が無ければ対等になれないと思っている。
思っているというよりそれが彼らにとって当然の認識であり、世界とは彼らという人間と、人間に進化する過程の「なにか」で出来ているのかもしれない。
ただ、個人的にその価値観が自分にそぐわない、理解できないものであっても責めるものではないなと思ってしまう。
彼らが文字通りその身をもって続けてきた事を考えると自分の中で決しておかしなものではないなと。
それを受け入れる事は無いけれど、「まあ彼らはそういうものだろう」という納得があるというか、今まで描かれてきたニュートン一族を踏まえるとむしろ彼らはそうであるべきと思ってしまうというか。
それはこの作品の中でキャラクターたちの描写が丁寧に積み重ねられたからこその説得力なのでは、と。
ニュートン一族が目指した先の到達点たるジョセフを、そしてその兄を見ているとそのブレない価値観は説得力がある。
例えそれが人類の味方ではない存在であったとしても。

 

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3週間て速いですね!!!!

いやなんでそんな時間かかってるんだ更新がギリギリじゃねーかと己にツッコミをしつつ、全力で脳内の自分が「だってプロレスが一番好きな大会やってたんだから仕方ないじゃん!途中でサッカー見てるしルチャも週に4回見てるじゃん!」て反論してくる。

見すぎだよでもルチャについては本当週に4回配信があるから仕方ないじゃないですか。

週に4回……?

 

しかし今回早めにハンニバルのベースが判明したなという気持ちとまさかのそういう細菌型かという気持ちと反則じゃないですかそのベースはという気持ちと。

本文でも書いたけれど、あとはどれぐらいの効果時間なのかが勝負のカギだろうということぐらいかな……もしかしたらハンニバルだし、彼らも知らない特性の使い方とか披露する可能性も無きにしもラハブ。

そうなると期せずして師匠ポジション的なものになってしまいそうでそれはちょっと……でもジョセフとの戦いで「お前の兄が使っていたぞ」的な展開があったらそれはそれでいいな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本気でテルムス・アクウァーティクスの存在を忘れていた自分にびっくりしました