FOREVER NO.10

Caminho com SHONAN BELLMARE.
Caminho com Daisuke Kikuchi
que joga para SHONAN BELLMARE.


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この度、JA湘南より原田昌義選手が加入することになりましたのでお知らせいたします。

 

【原田昌義選手プロフィール】
◆氏名
原田 昌義(ハラダ マサヨシ)

◆ポジション
未定

◆生年月日
1973年2月27日(43歳)

◆出身地
大阪県

◆勤務歴
JA湘南 ⇒ ㈱農協観光神奈川西部支店 ⇒ JA湘南

 

【原田昌義選手コメント】

「3月1日から神田交通株式会社で勤務することになりました原田昌義です。今回、神田交通株式会社

よりオファーをいただき、とても光栄でしたし、湘南ベルマーレのオフィシャルクラブパートナーを

続けている地元企業だけに、自分の湘南ベルマーレに対する活動にもご理解をいただき、今まで

自分がやってきたことを継続しながら、より自分らしく仕事ができる環境を与えていただけたことに

大変感謝しております。旅行業界での経験も長くなく、ブランクもあり、不安なこともたくさんありますが、

自分の持っている力を120パーセント出して、神田交通株式会社ならびにお客さま、関係企業の皆様に

貢献していきます。よろしくお願いします。」

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この度、JA湘南の原田昌義選手(二宮町支所/共済)が2017年3月1日より神田交通株式会社へ

移籍することとなりましたのでお知らせいたします。

 

【原田昌義選手プロフィール】
◆氏名
原田 昌義(ハラダ マサヨシ)

◆ポジション
共済係長

◆生年月日
1973年2月27日(43歳)

◆出身地
大阪県

◆勤務歴
JA湘南岡崎支所(経済担当) ⇒ JA湘南横内支店(金融兼共済) ⇒ 講習所(長期研修) ⇒

JA湘南横内支店(金融・金融兼共済) ⇒ JA湘南旅行センター(副センター長) ⇒ 株式会社農協観光

神奈川西部支店(出向) ⇒ JA湘南神田支所(渉外担当) ⇒ JA湘南旭支所(渉外担当) ⇒

JA湘南購買業務課(購買推進係長) ⇒ JA湘南二宮町支所(共済係長)

【原田昌義選手コメント】

「3月1日より神田交通株式会社の神田ツーリストで勤務する事を決断しました。JA湘南は平成7年から

約22年間勤務させていただきました。たくさんの上司や先輩、同僚、後輩はもちろんのこと、多くの

お客様にもお世話になり、たくさんの楽しいことや辛いことなど、本当にいろいろと経験させてもらい、

成長することができました。今の自分があるのは、JA湘南で関わったすべての方々のおかげだと

思っています。長く勤務したJA湘南を離れることはすごく寂しいですが、神田交通株式会社より

オファーをいただきとても光栄だったこと、そしてより自分らしく仕事ができると思い、決断しました。

このままJA湘南で勤務し続けていても、神田交通で勤務したとしても、どちらにしろ後悔するとも

思いますし、正解だったと言えるとも思います。現時点では不安のほうが大きいですが、自分の

チャレンジを応援していただけると嬉しいです。本当にお世話になりました。ありがとうございました。」

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2016年12月24日(土)2016 天皇杯準々決勝 VS 大宮アルディージャ

 

2016湘南、大宮で完結…。

 

2016年10月22日、降格が決まった地、NACK5スタジアム。

12月24日、同じNACK5スタジアムで2016湘南は終止符を打たれてしまった。

 

退場者を出して数的不利になってから、同点に追い付き、延長戦に入ってゴールを決めた。

18分の間リードを保ち、あと10分というところで追い付かれ、あと2分というところで逆転され、

最後の最後でとどめを刺された。

曺貴裁監督は「選手が本当に勝ちたいと思ってプレーすれば1人少なくても2人少なくても

ピッチの中にエネルギーはあるんだなと今日彼らに教えてもらいました。」とコメントした。

確かに、10人になってから湘南の選手たちはよりエネルギッシュに動いていた。

ピッチ上にいる選手全員がすごくがんばって走っていた。曺貴裁監督の言う通り、「素晴らしい選手たち」

だったと自分も思う。だからこそ勝ちたかった。結果につなげたかった。この選手たちともっともっと

一緒に戦いたかった。残念ながら決して強いチームではない。降格するチームなんだから。

ミスも多い。「なぜそこで、そんなに雑にプレーしてしまうんだ…」と思うことも少なくない。

それでも、気持ちを込めて一生懸命プレーしている選手を見ていると、一緒に戦いたいと強く思う。

自分にとって湘南ベルマーレは、こうした熱い想いを感じさせてくれるクラブに戻ってくれた。

いや、黄金期と言われたベルマーレ平塚時代よりも、さらに熱い想いを感じさせてくれていると思う。

そして、自分が住んでいる街のクラブが湘南ベルマーレで本当によかったと思う。

今まで悔しい思いをすることのほうが圧倒的に多かった。でも、紆余曲折を繰り返しながらも、

ここまで成長してきたと思う。その成長の過程には、本当に多くの人たちの想いが詰まっている。

そんな多くの人たちの想いに現在の自分たちの想いを重ね、もっとクラブを成長させなければいけない。

こうした試合で、しっかりと勝利できるチームになりたい。それには、クラブもサポーターも更に

成長しなければいけない。選手だけが成長すれば解決する問題ではない。

2017年、J2に戦いの舞台は移るけど、2018年には帰ってこなければいけない場所、J1。

J1で、こうした試合で悔しい思いをするのではなく、嬉しい思いができるように、2014年のように、

また1年かけて成長しよう。2014年は選手が一番成長した1年だった。2017年は選手はもちろん、

クラブもサポーターも選手に負けない成長をして、湘南ベルマーレをもっといいクラブにしたい。

 

この天皇杯の敗戦で2016湘南は終戦を迎えた。

正直、2015年のチームのほうが勝利も多かったこともあるからか、いいチームだったと思う。

2016年のチームを見ていて、「ここが足りないな…」とか思うこともしばしばあった。

多くの試合で、中盤からペナルティボックス手前まではボールを運べても、シュートまでいけない…

というシーンを見せつけられた。天皇杯大宮戦だって、結果的にはシュート4本に終わっている。

すごく頑張っているけど、何かが足りなくて結果につなげられない。そんな1年だったと思う。

それでも、選手たちは練習を通じて成長を実感している。その成長を結果につなげることができるか。

結果につなげてこそ、クラブの成長にもつながる。選手が成長するだけでは、ただのファーム。

自分たちのクラブを他のクラブのファームにしてたまるものか。2017年以降は、結果も残せるクラブに

ならなくてはいけないね。

 

延長戦に入る前の「♪俺たちの湘南 今日も戦おう こんな俺らがついてるのだから どんな時でも

何も恐れるな 自分を信じ勝利を掴め オオオー♪」を歌っていたときのゴール裏。

本当にひとつとなって気持ちをピッチに送っていたと思う。とてもいい雰囲気だった。

その雰囲気をもっと長い時間、試合中に作り出すことができれば、もっともっと湘南の選手たちが

プレーしやすい環境を作ってあげることができると思う。ああいう雰囲気をもっともっともっと

作っていきたいよね。自分たちが愛する湘南の選手のため。それは最終的には自分のため。

2017年も強い気持ちで、みんなでがんばりましょう。2016年1年間、とりあえずお疲れ様でした!

 

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今回は、たけさん(@take_12)主催の湘南ベルマーレAdvent Calendar 2016に参加している

エントリーということで、まずは自己紹介を。

 

TORCIDA FURIA SHONANの代表をしております、通称PAPAです。

トラメガ持っている中で一番個性的なヘアスタイル(と言っていいのか…?)しているヤツです。

スタジアムで本格的に応援を始めたのは1994年。それまではフジタが勝つと嬉しいというレベル。

と言うのも、小学校1年から高校1年まで大神に、それも練習場まで交差点を1度も曲がることなく

徒歩1分以内という立地に住んでいたため、サッカークラブと言えばフジタ、ベルマーレという意識が

子どもながらに染みついていました。まぁ家の前をシャワー後にタオル1枚でアイスやジュースを

買うために店(コンビニとかではない)まで闊歩する選手を見てればね…あせる

フジタサッカークラブ当時は、毎日大神で練習があったわけではなく、誰もいないと勝手に練習場で

野球やサッカーをして、たまに管理人のおじさんに見つかって怒られたり…という子ども時代でした。

まぁ前置きはこれくらいにして…。

 

10日のエントリーということもあって、背番号10の系譜についてちょっと書こうと思います。

IMG_20161210_000707755.jpg

コメントには多分に私情が挟まっていますが、個人のblogなのでご容赦ください汗

出場試合数と得点数はベルマーレ在籍中分だけです。リーグ戦、カップ戦、天皇杯の順番です。

一応、いろいろ調べましたけど、もしデータが間違っていたらごめんなさい。

 

 

 

BETINHO(1993-1996) 115試合56得点 14試合1得点 10試合5得点(1993年除く)

厳密にいうと、1994年から1996年は固定背番号制ではないので、ここに挙げるのはちょっと

違うかもしれないけれど、そこはどうかご勘弁を…。

まだアマチュア意識が残っていたクラブに(スタッフ、選手ともに)プロ意識を植え付け、

1994年2nd.ステージの大躍進と1995年天皇杯制覇に大きく貢献したMF。

意外とGKと1対1になると決められなかったことも多かったが、クロスを直接決める技術は高かった。

ベルマーレの選手として最後の試合となったCOPA DO KANAGAWAの横浜M戦後、ゴール裏の前で

「愛してるベルマーレ、みなさん…」と日本語で挨拶して涙したほど、ベルマーレを愛してくれた。

現在はブラジル国内で監督をしているが、日本で湘南を指揮することを熱望している。

 

WAGNER LOPES 呂比須ワグナー(1997-1998) 56試合36得点 6試合8得点 5試合4得点

ベルマーレ在籍時に日本に帰化して日の丸を背負ってワールドカップに出場したFW。在籍した

2年間はチーム得点王。自分の中での一番印象が強いのは、ワールドカップ予選AWAY韓国戦、

相馬直樹のクロスをきれいに決め、日本を勝利に導いてくれたこと…かな。

(この2年間については、あまりコメントできない事情がありまして…汗

 

RICARDINHO(1999) 31試合11得点

1998年に加入。背番号10を背負った1999年は4試合0得点。7月には帰国してしまった。

 

JAILTON(1999) 6試合0得点

1999年2nd.ステージで唯一勝利したHOME名古屋戦で勝利に貢献したものの、結局出場は6試合のみ。

同じく2nd.ステージから加入したCHAY HEWSのほうが、よほど頼りになったという覚えしかない…。

 

前園真聖(2000) 38試合11得点 2試合0得点 3試合2得点

当時の加藤久監督に乞われて期限付き移籍で加入。ものすごく期待をして迎えた覚えがある。

開幕当初はよかったものの、徐々に…。期待が大きかっただけに失望も大きかった。

 

GAVIRIA(2001)  23試合4得点  1試合0得点 0試合0得点

コロンビアから来たMF。2001年はすべての外国籍選手がコロンビア人だった。

基本的にコロンビア人には展開の速い日本サッカーには向いていなかったかもしれない。

日本のサッカーに対応できたのはパラシオスだけだった。ポジションも関係しているとは思うが…。

GAVIRIAについては、足元は巧く、広く展開するのは上手かったイメージ。

HOME川崎戦では、当時の川崎の絶対的エースEMERSONを前半で退場に追い込み、湘南に勝利を

呼び込んだ、ある意味クラブ史上一番南米選手らしさを発揮したことが、一番印象に残っている。

退団後の2002年10月、コロンビアで練習中に落雷に遭い、帰らぬ人になってしまった…。 

 

SILVA(2002) 16試合1得点

ブラジル路線に戻して獲得したMF。意外と好きだった選手という覚えはあるんだけど、

その反面イメージが出てこない…。と思ったら16試合しか出場していなかった…。

 

吉野智行(2003-2005) 122試合1得点  -  9試合0得点

2002年途中に浦和から期限付き移籍で加入。2003年に完全移籍。

ベルマーレとして一番苦しい時期に背番号10を背負って戦い続けてくれた。

中盤の底から常に前に向かって得点に直結するようなパスを狙っていた姿が印象的。

当時の上田監督の戦術があまり裏を狙う戦術ではなかっただけに、その狙いが活かされることは

少なかった。2005年、高田保則、佐野裕哉たちと共に躍動する姿は、数少ない希望だった。

チームへの愛情を前面に出してくれていた選手。2005年最終戦となったAWAY横浜FC戦は

試合中の内容も試合後のことも決して忘れることはないだろう。

 

ADIEL(2006-2011) 186試合48得点 0試合0得点 4試合2得点

 6年に渡り背番号10を背負った湘南の太陽。背番号10を背負った期間としても、外国籍選手としての

在籍期間6年もどちらも現時点ではクラブ最長。足元のテクニックがとにかくすごかった。

シュートはそこまでじゃなかったような覚えが…あせる

陽気なキャラクターでチームの中心的存在でもあった(うるさ過ぎるとも言われていたようだが汗)。

2009年、ADIELがいたからこそ昇格を勝ち取ることができたと思う。

しかし2010年、両足脛骨の疲労骨折によりADIELはJ1のピッチに1試合も立つことができなかった。

湘南への愛情をすごく感じることができた選手だけに、湘南のユニフォームを着てJ1のピッチに

立ってもらいたかった。それができなかったことが、何よりも残念。

 

菊池大介(2012-現在) 199試合25得点 6試合1得点 8試合0得点

現在ベルマーレの背番号10を担う、ユースからの生え抜き選手。2007年にJ2リーグ最年少出場、

2008年にJ2リーグ最年少得点を記録し、「近未来日本のエース」として将来を期待されてきた

菊池大介も25歳。齢を重ねるごとにプレースタイルも変わってきた。

ドリブルがクローズアップされることが多いが、2011年5月22日FC東京戦の中村祐也のゴールを

アシストした臼井幸平に出したパスに対して「あそこに出せるのはADIELか大介だけ」と臼井幸平が

コメントするほど、本当はドリブルよりもパスセンスの方があるのではないか…と自分はまだ思っている。

2016年AWAY横浜FM戦で髙山薫へのスルーパスからもパスセンスを感じられた。

サイドよりもピッチ中央のほうが活きるのかもしれない。左足のクロスに難があるからね…。

試合ごとに状態にムラがあり、本人も自覚がある通りシュートがあまり上手くない。このあたりを

乗り越えれば、間違いなくもっともっと上のレベルに行ける選手。まだまだ成長の余地がある。

 

 

外国籍選手が半年や1年で結果を出すのは、これを見ても難しいんだな…と思う。と同時に、

ADIELの偉大さを改めて感じる。そして10番が活躍できないとき、やはりチームの成績も良くない。

もちろん期待されている選手が背負う背番号だから…なんだろうけど、ADIELであっても出場試合が

少ないシーズンは湘南の成績も決していいとは言えない。No.10の活躍はチームにとって不可欠な

ものであると言えるだろう。また、こうして見るとNo.10にはチームを厚く愛してくれる選手が多い。

やはりチームの成績に対する責任やチーム、クラブに対する愛情を持っている選手にこそ

No.10を担ってほしいと思う。

 

2017年、湘南のNo.10を担うのは誰であろうか…。誰がNo.10であろうと応援するのは間違いない。

しかし、できるならば、湘南が2018年以降、ずっとJ1で戦い続け、Jリーグチャンピオンになる、

そんな俺らの夢が近づく…ではなく叶えるために、菊池大介には湘南のNo.10を担い続けてほしい。

ADIELに並ぶNo.10の6年目、そしてクラブ史上最長の7年目、その先へ。

チームへの愛情も責任感もある菊池大介。賛否両論あることは重々承知しているが、

湘南のNo.10に最もふさわしい選手だと思う。2017年以降もまだまだ一緒に戦いたいと願う。

 

 

本当は写真も載せて紹介したかったのですが、肖像権やら何やらの問題もそうですが、SILVAなど画像を探しても出てこない…などの事情もありまして、文章だけの紹介となりました。

過去を振り返るエントリーとなりましたが、2016湘南はまだ終わっていません。

12月24日、12月29日、1月1日とあと3試合残っている…はずです。

湘南に関わるすべての人々の気持ちを結集させて、天皇杯を獲りに行きましょうメラメラ

では、12月24日にNACK5ゴール裏でお会いしましょう。ありがとうございました。

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11月3日(木・祝)2nd 第17節 VS 名古屋グランパス  湘南ベルマーレ公式サイト

 

山田直輝ここにあり!

怪我に苦しみ続けた山田直輝が天皇杯徳島戦で輝きを取り戻し、この名古屋戦で最高の輝きを放った。

1得点目のミドルは、ゴールに吸い込まれていく一筋の弾道がサポータエリアからでもわかって、

鳥肌もののゴールだった。後から見たら、名古屋の選手に当たって方向が微妙に変わっていたけどね。

降格がかかっているため動きが固くなっている名古屋相手に、この先制ゴールは大きかった。

そして山田直輝の2得点目(湘南の3得点目)。名古屋の田中マルクス闘莉王からボールを奪い、

中に走り込んできた髙山薫やDINEIに出すと見せかけて、角度のない場所からのシュート。

経験豊富な楢崎正剛を相手に豪快にゴールを奪ってみせた。PKを献上し1点差に追いつかれて、

名古屋が息を吹き返しつつあった状況だっただけに、再度名古屋を突き放す、名古屋の心を折った

ゴールということだけでも十分に嬉しかった。しかしそれ以上に嬉しかったのが、ゴールのあと。

ユニフォームのエンブレムを掴みながらこちらに駆け寄ってくる山田直輝。その姿に対して、

いろんな感情が複雑に湧き上がってきて、ほんのわずかながらだけど涙腺崩壊…。

降格が決まった大宮戦翌日、馬入へ行って山田直輝と話をしたとき、真っすぐに自分を見て

しっかりと「ありがとうございます。」と答えてくれた。その答えをプレーでも示してくれた気がしてね。

1得点目を決めたあともエンブレムを叩いていて、湘南への愛情を表現してくれていた山田直輝。

完全移籍で湘南に来てほしいのは当然だが、レンタルであるとかそんなこと関係なく、この男と

もう一度J1の舞台で一緒に戦いたいと強く思った。怪我が多いのが残念で難点ではあるが、

絶対に失ってはいけない存在。2017年はもちろんのこと、ずっとずっと湘南で戦ってほしい。

 

この名古屋戦は4バック。曺貴裁監督の4バックというと、昨年まではまったくいい覚えがなかった。

実際、反町監督時代はずっと4バックで来て、曺貴裁監督が実質的に采配を取った2011年天皇杯から

3バックを採用して、天皇杯では川崎を撃破するなど躍進し、2012年以降の飛躍につながった。

ほとんどの試合で3バックを採用していたが、急に4バックを採用してみたら岡山に苦杯をなめたりと、

曺貴裁監督の4バックはどちらかと言うと奇策というイメージだった。それが2016年、4バックのほうが

むしろはまるという状況。名古屋戦の4-3-3は反町監督が一番採用していたシステムで、巡り巡って

戻ったの?って感じ。別に3バックがいいとかダメとか、4バックがいいとかダメとか言っているわけでは

なくて、不思議なものだなぁ…と思ってね。

 

試合後、勝利のダンスをしなかった。選手たちの意向でやりたくない、ということだった。

こちらに向かって来る前に円陣を組んでいるから何だろうと思っていたら、そういうことだったみたい。

曺貴裁監督の発案だとは思うけど、選手も同意したし、名古屋の降格を思いやってのことだから、

それはそれでいいと思う。敗戦が決まってシーンと静まり返る瑞穂陸上競技場に響き渡る

ベルマーレビッグウェーブ。とても700人くらいの声量とは思えないくらい響き渡っていた。

それだけで十分だったと思う。あれほど静まり返ったアウェイのスタジアム、20年以上応援してきたけど、

初めてだったかもしれない。それくらい静まり返っていた中でのベルマーレビッグウェーブ。

逆の立場だったら、自分たちのHOMEで相手のアンセムが響き渡る中で降格が決まるという状況。

これほどまでの屈辱はないわけでね。いろんな考えがあるとは思うけど、自分はよかったと思っている。

 

この名古屋戦で2016J1シーズンが終了。残念ながら17位で終わってしまった。

アディショナルタイムで追いつかれて勝ち点2を失ったAWAY川崎戦、AWAY広島戦、AWAY柏戦。

他にも、勝てたんじゃないかと思う試合や最低でも勝ち点1を獲れた試合だったある。こうした少しずつの

積み重ねが降格という結果につながってしまった。勝ち点4あれば残留できた…というのは結果論。

降格が決定していなければ、甲府戦や名古屋戦の結果は違ったかもしれないから、純粋にあと勝ち点4

取っていれば大丈夫だったという結論ではないと思う。しかし、自分たちのミスなどで失った

勝ち点が獲っていれば、残留が見えていたことも事実であって、本当に残念な結果になってしまった。

2017年は…と考える前に、湘南にはまだ天皇杯が残っている。元日に2016湘南として吹田で

戦えることを願って戦い続けるだけ。まだまだ2016湘南は終わらない。

 

2016年の最後の最後に、挑んで超えてみせようじゃないか!

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