南と北の住まい・・・こんなにもイメージが違います



北アフリカみっけ!-シディブサイド
ちらは、チュニジアの首都チュニスより東に位置する地中海に面した都市Sidi Bou-Said(シディブ サイド)の住居家

一度は目にした事のある音譜青と白の街並み・・・一体いつからこの景観となったのでしょう?


10世紀頃、チュニジアで一番最初に造られた港町うお座

当時の街の名は、“ラバット(ジェべルエルマナール)”という名前でした。


その後、およそ13世紀頃に人々の病を治すとして有名となったシディブサイドという人がいました。噂は近郊都市や国に広がり、沢山の人々が訪れるようになり、街ゆく人に「どちらに行かれるの?」と聞くと、「シディブサイドに行くんだよ」と答えが返ってくるほど・・・そして、いつしか 「シディブサイド」となったという話・・・


この青と白の街並みも、地中海のと太陽光の白が癒しを与えてくれることから、自然に同化する当時の知恵なのでしょうか?



聞く人によって答えはマチマチ・・・結局明確な答えは分かりませんでした汗まあ、それもチュニジアン得意げ

                         


続いて・・・北のマトマタの住居





北アフリカみっけ!-マトマタ


砂漠近くの住居に多くみられるのは、地面を掘ってさらに横穴に各部屋を幾つも掘り、一世帯で

住んでいます。


ではでは・・・なぜこのような横穴に住むようになったのでしょうはてなマーク


ローマ時代、ローマ人との闘いの中で自分の家族や食糧チーズ宝物などを守るために、地面に穴を掘って隠しました。

その後も戦いは続き、いつしか穴と穴を地下でつなぎ大きな地下都市となり、生活するようになったという話・・・


地下のため1年中温度が変わらず、灼熱のサハラ砂漠の暮らしにとても役立ち、今でも暮らしているベルベル人がいます


どちらの住まいも、やっぱり歴史を感じます砂時計


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