『客語薪傳師』を目指すブログ

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中国語の一方言に魅せられたおっさんの日々。

夏が来ると思い出す話を書かせてください!

 

大学一年生の夏休み、故郷の静岡に帰って土方のアルバイトをしたことがありました。

 

その職場に、一番下っ端なんだけど、何故か従業員から「会長」と呼ばれている70代後半のおじいさんがいました。

 

冗談好きな飄々とした雰囲気で、従業員にはからかわれつつも親しまれているような、ちょっと変わったじいさんでした。

 

ある日、そのじいさんと二人で型枠に使う板を切る作業をしていると、

 

「君は、実存主義とかって興味あるかい?」

 

と、ノコギリをひきながら唐突に質問してきました。興味も何も、そもそもそんな主義知らないし…。

 

でも、その頃は人生について悩みまくっていた時期だったので、そのじいさんの語る哲学談義は不思議と心にしみました。

 

じいさんの話によれば、彼はかつて筑波大学で哲学を講義していたそうです。退官後は市井の中から人生の真理について考察するべく、あえて前歴を隠して息子の建設会社に入り、一番下っ端としてアルバイトしているのだそうです。

 

「君は大学生だし、こういう話を理解できると思って話を振ってみた」とのこと。


それから、その自称元大学教授のじいさんと一緒に、下っ端二人組で度々共同作業をすることがあったのですが、その度にサルトルやハイデッガーの実存哲学、インド哲学や老荘思想、西田幾多郎の『善の研究』についてなど、様々な哲学談義をしてくれて、自分の疑問にも真摯に答えてくれました。

 

そのしゃべり方や、赤ら顔でいつも酔っぱらっているようなじいさんの風貌からは、とても元大学教授という雰囲気は感じられず、いまでも正直「虚言癖のある方だったのかな?」という疑いがないわけではありません。現在なら名前からすぐに検索できますが、当時は結局じいさんは自分にとって謎の存在のままでした。

 

それでも、その後の自分が、人生の悩みに正面から向き合うべく哲学や宗教思想に関心を持ち続けることになったきっかけとなったのは事実です。

 

希望していた大学に入れず、人生に絶望しそうになっていた若かりしあの頃…。そんなタイミングで、妙なところで、妙なおじいさんと出会えた人生の不思議を、50代になった今でもかみしめています。