継体天皇御父 彦主人王 安曇陵墓参考地 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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3年半かけて天皇陵、皇后陵を歴代順に廻りました。
1年半かけて宮(皇居)を歴代順に廻りました。
普段は奈良を中心に周りで起こった他愛のない出来事を綴っていきます。
ペナントレース中は甲子園球場に出没しています!
奈良まほろば検定 奈良通1級合格。

【平成27年2月7日(土)参拝】

長浜からは湖北経由で湖西線「安曇川」駅へ!

奥の山々が雪化粧してます。


安曇川から西に30分位歩くと最後は登り坂になります。ほん手前には田中36号墳があります。




彦主人王(ひこうしのおう/ひこうしのおおきみ、生没年不詳)は、『日本書紀』等に伝わる古代日本の皇族(王族)。
第15代応神天皇の四世孫で、第26代継体天皇の父である。『上宮記』逸文では「汙斯王(うしのおおきみ)」と表記される。父は乎非王(おひのおおきみ)で、母は牟義都国造伊自牟良君の女の久留比売命。『上宮記』逸文と『日本書紀』によれば、妃は垂仁天皇七世孫の振媛(ふりひめ、布利比売命)で、その間の子に継体天皇(第26代)がいる。

【安曇陵墓陵墓参考地】
宮内庁による治定墓はないが、滋賀県高島市安曇川町田中にある宮内庁の安曇陵墓参考地(あどりょうぼさんこうち)では、彦主人王が被葬候補者に想定されている。考古学名は田中王塚古墳で、直径約58m・高さ約10mの円墳(または帆立貝形古墳)で5世紀後半の築造とされる。俗称は「ウシ塚」。





陵墓参考地なのにこんな長い参道があるとは…。



陵墓参考地の制札はどこも皆駒札なんですが、ここのは手書きではないのが非常に残念…。



細いながら周濠が確認できるが水は枯れてました。







【安産もたれ石】
陵墓参考地から左の道を下って県道に出る手前の処にあります。

三尾神社旧跡は、彦主人王に天成神道を教授した山崎命の創祀と言われます。彦主人王の后振媛が産屋を構えたその折、振媛がもたれたと伝えられるのがこの「もたれ石」です。この石を撫でて自分の腹をさすり、安産を願うという習わしが今も残っています。





                                    このあたりからも対岸の伊吹山が見えます。

ここから振媛がお産のあとへその緒を埋めたとされる胞衣塚を目指します。
南東方向に30分位歩くとありました。

【胞衣塚】
継体天皇の胎盤の埋納伝承地。6世紀の築造とされる直径約11.5mの円墳で市指定史跡。
所在地;滋賀県高島市安曇川三尾里


結局、今日は琵琶湖を一周しちゃいました。。。


これで次はようやく継体陵に行けます。