今回の参詣は日本橋本町の宝田恵比寿神社へ。

当社は東京を代表する漬物「べったら漬け」の発祥地で有名な神社。

10月19日と20日の2日間、この宝田恵比寿神社でえびす講があり、神社周辺でべったら市が開かれる。どうもこの界隈では有名なお祭りの一つらしく、オフィス街でありながらというか寧ろオフィス街だからか、たいへん多くの参拝客で賑わう。

 

 

 

 

 

微妙に土地勘がないので詳しくは説明できないが、江戸通りと昭和通が交差する「本町」交差点の南東側ブロック一帯が会場。通りという通り、筋という筋、どこを入っても屋台がひしめく。

露店や屋台はたこ焼きとかチョコバナナぐらいと思っていたが、餃子からこんにゃく、のしいかなんてのもある。

とにかく人、人、人、の盛況っぷり。

ほんの小さな神社だから、これだけの祭りとは思いもしなかった。

 

 

 

 

肝心のというか主役のべったらを売っている出店は意外と一区画だけ。

 

 

べったら漬け

東京を代表する漬物で、江戸時代からすでに当社の恵比寿講で売られ有名だった。

たくあんは干した大根を漬けこむが、べったらは皮を剥いたらそのまま漬け込むので、とてもみずみずしい。また、米・米麹・砂糖を使用するので、とても甘みの強い漬物。これをぶ厚く切って食す。

甘い漬物は好みが分かれそう。

江戸時代には、このべったら漬けを一本丸ごと縄で縛り客が携帯したことから、参拝客同士がぶつかった際に衣服に“べったり”とまとわりつく様子からとか、単に漬物自体がベタベタとしているからとも言われる。

 

 

 

 

昭和通り入ってすぐなんだけど、この混みようでお社が分からず少々迷った。しばらくしてようやく見えてきた明るく照らされたお社と提灯群。

どうやら、希少なお祭りに参拝しようとかなりの行列。

 

 

 

 

提灯に目をやると、周辺の大企業から明治座ゆかりの市川左団次、中村男女蔵、中村時蔵、尾上菊五郎、坂東玉三郎など歌舞伎役者の他に料亭濱田屋の名前も見られる。

 

 

 

 

たくさんの参拝客がひしめき合っているのと、どう並んでいるかもわかりづらいので遠くから覗いたのみ。

普段は社務所が無いのだが、この隣に特設テントが用意され、お守りなどが授与される模様。

 

御由緒1 境内掲示より字体改行などそのまま記載

宝田神社恵比寿神御縁起と大伝馬町の由来

宝田神社は慶長十一年の昔三百六十余年前江戸城外宝田村の鎮守様

でありました。徳川家康公が江戸城拡張により宝田、祝田、千代田の三ヶ村の転居

を命ぜられ(現在宮城内楓山附近)ましたので馬込勘解由と云う人が宝田村の鎮守様を奉安

申上げ住民を引卒してこの地に集団移轉したのであります。馬込勘解由と云う人は家康公が

入府の時三河の国から随行して、此の大業を成し遂げられた功に依り、徳川家繁栄御祈念

の恵比寿様を授け賜ったので平穏守護の御神体として宝田神社に御安置申上げたのが

今日に至ったのであります。作者は鎌倉時代の名匠運慶の作と伝えられます。

其の後村民の生活は金銀爲替、駅伝、水陸運輸、それぞれ重要な役を賜り馬込勘解由は

名主となって三伝馬取締役に出世し御役名に因んで大伝馬町の町名を賜って、伊勢駿河遠江

美濃、尾張、家康公ゆかりの国々より承認を集めて、あらゆる物資の集散地として大江戸

開発と商賣発祥の地として大変賑ったのであります。現在も周辺の老舗大小商社が軒を

並べて今尚盛んな取引が続いて居ります。宝田恵比寿神は商売繁昌、家族繁栄の

守護神として崇敬者は広く関東一円に及び毎年十月十九日「べったら市」

二十日の恵比寿神祭が両日に亘り盛大に執り行わてますべったら市は「年

またあらたまる」今年も年末が近づきお正月を迎える心構えをする

商家にとって大切な年中行事として旧家は今日でも恵比寿講をお祝いする

のであります。

 昭和四十五年十月吉日 諌鼓會

 

 

御由緒2 べったら市当日の掲示より 字体改行などそのまま記載

 馬込勘解由屋敷跡 まごめかげゆ

 所在地 中央区日本橋大伝馬町三番地域

 この地域には、大伝馬町の草分名主で、公用旅行者のための人馬の継立て

などを行う道中伝馬役を務めた馬込氏の屋敷がありました。

 馬込氏は、天正十八年(一五九〇)に徳川家康の江戸入府に際して、高野新

右衛門・小宮善右衛門らとともに駄馬人足を率いて出迎えたことにより、

道中伝馬役を命ぜられて、後の呉服橋御門(千代田区丸の内一丁目)内の辺りに

位置した宝田村に土地を与えられました。馬込氏の当主の多くは、代々「勘

解由」の通称名を名乗っていました。

 慶長十一年(一六〇六)江戸城拡張にともない宝田村の住人たちが現在地

付近に移転して、大伝馬町が起立しました。 大伝馬町は、京橋にある南

伝馬町と交代で道中の伝馬の継立てを行い、江戸府内の継立てを務める小

伝馬町と合わせて「三伝馬町」と呼ばれました。大伝馬町の伝馬役を務めた

馬込氏は、大伝馬町二丁目北側新道の西角に屋敷を構え、同町の名主役を

兼帯して苗字帯刀を許されていました。

 馬込氏の邸内奥には、宝田村の鎮守が勧請され、その御神体である恵比

寿神像は徳川家康から拝領したと伝えられています。正月二十日と十月二

十日には大伝馬町の大店で恵比寿講が盛大に行われ、その前日に開かれた

市が、現在の「べったら市」につながっています。なお、馬込氏邸内の恵比

寿神像は、江戸時代後期頃から現在の寶田恵比壽神社(日本橋本町三丁目十番

十一号)にまつられています。

 平成二十二年九月   中央区教育委員会

 

 

 

 

 

神社の対岸の駐車場では御神輿が片付けられている最中でした。このとき20時を回ったとこ。

もしかしたら、期間中は神輿渡御があったのかな。

それにしてもありえないほど煌びやかで派手で豪華絢爛な。ちゃんとした姿を観たかった。

今年は両日観に行ってみたい。去年はべったらも買わずじまいだったし。

 

 

 

 

 

日ごろの宝田恵比寿神社はこんな感じ。

 

 

 

 

 

写真は2008.5.11と2014.10.20撮影

 

備考

社号 宝田恵比寿神社 たからだえびすじんじゃ

別名 宝田神社、宝田稲荷神社

祭神 宇迦之御魂神 うかのみたまのかみ

創建 慶長十一年(1606)以前

祭日 正月元日から七日まで日本橋七福神

    10月19日・20日恵比寿講(べったら市)

末社

社務所 なし、但しべったら市の両日特設されお守りなどの授与あり

所在地 中央区日本橋本町3-10-11