http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-443.html

その淵源は何処まで遡れば、見えてくるのだろうか。毎度毎度、全く同じ内容の三文芝居が演じられているのに、「止めろ、止めろ!」でもなければ、「金を返せ!」でもない。同じ所で同じように涙し、主役に同情しては、遂に「おひねり」まで投げ入れてしまう。どうせ見るなら、もう少しマシな芝居を見ようではないか。

御存知の方も多いだろうが、その「粗筋」は以下である。

 ●国内のガス抜きのため、「反日デモ」を焚き付ける黒幕。
 ●時の権力に最も近い主役、「親日派」が恭しく登場する。
 ●その強力な「指導」で、反日デモが一時的に沈静化する。
  ◇この人は「本物の親日派」だ、と「日本」は感激する。
 ●再びデモ発生。次第に暴力的に、そして規模も拡大する。
 ●党機関紙が、全ての責任は「日本」側にあると絶叫する。
 ●「親日派」は裏から密かに「譲歩の要望」を伝えてくる。
 ●このままでは「失脚する」と「親日派」の哀願が始まる。
  ◇彼が失脚した後は、あの反日派か、と「日本」は訝る。
  ◇それは困った、と狼狽える日本の政治家達の渡り台詞。
 ●「○○」だけは止めてくれ、と「親日派」の泣きが入る。
  ◇後任の反日派を阻止するためにも、ここは彼を護ろう。
  ◇「○○」は止めるから、頼む踏ん張ってくれと伝える。

舞台は暗転し、主役の「親日派」が、実は自分こそが「黒幕」であったことを、延々と独り語りする。決め台詞は、「騙す人間が悪いのではない、騙される人間が愚かなのだ!」である。三文芝居『親日派失脚!』、本日もまた「大入り」である。

上の「○○」には、その時の情勢に応じて、適当なものが選ばれる。単なる「因縁付け」であるから、「御題」は何でもいいのである。

例えば「Wikipedia」には、靖國参拝問題に関して次の記述がある:

中曽根が1985年に靖国神社を公式参拝した後、その翌年から靖国参拝を取り止めた理由を、「(私の靖国参拝によって)親日派である胡耀邦が中国共産党内の批判にさらされて失脚する可能性があったからだ。それはどうしても困ることだったから」と述べている。日本では親日的な態度が失脚の一因と考えられているが、趙紫陽によれば後述する政治改革の行き過ぎが鄧小平との不和を招いたとされる。



現在の首脳陣を含めて、相手が実際に「親日派」であるか否か。その後を狙う者が、我が国にとって「より不利益をもたらす問題人物」であるか否か。親日派を支えて、様々な問題で譲歩することが、相手国の国内世論を沈静化させ、その結果、我が国の国益に繋がるか。本当のところは分からない。知りようもない。

しかし、そうした政治的判断、虚々実々の裏の駆け引きを「知りたい」とも思わない。何故なら、火のない所に煙を立てて、脅し役と宥め役の「コンビプレー」で、議論を複雑化させ、何らかの益を得ようと画策してくるのは、常に相手側だからである。知るまでもない、悪いのは「常に」「一方的に」彼等だからである。

【尖閣衝突事件】「ほぼ終わった」中国高官が関係修復を示唆
 沖縄県・尖閣諸島付近で中国漁船が海上保安庁の巡視船と衝突した事件について、中国政府高官は28日午後、一部記者団に「ほぼ終わった」と述べ、中国は日中関係修復へ向けてかじを切る考えを強く示唆した。
 中国外務省の姜瑜副報道局長も同日の定例会見で日中関係の重要性を強調し、関係修復へ向けたシグナルを送っている。中国側は日本側からの前向きな対応を強く促した形だ。 また中国側が日本側による漁船船長拘置に反発して取っていた訪日旅行の募集自粛措置に関連し、同政府高官は10月1日の国慶節(建国記念日)から7連休となることを踏まえて「多くの人々は(日本などに)旅行したいと思っている」と述べ、自粛要請の解除にも含みを持たせた。

 http://sankei.jp.msn.com/world/china/100929/chn1009291152002-n1.htm

誠に笑止千万である。「中国は日中関係修復へ向けてかじを切る考えを強く示唆した」とは一体何事だ。自ら破壊しておいて、「修復するぞ」と恩を売る。何かが「ほぼ終わった」らしいが、それは何なのか。しかも「ほぼ」とは……

「関係修復へ向けたシグナルを送っている」「日本側からの前向きな対応を強く促した形」と忖度したのは何処の誰だ。随分と相手にだけ都合のいい解釈ではないか。まるで原因が日本側にあり、悪いのは全て日本であるかのような解釈ではないか。流石「日中記者協定」で縛られた、いや「もっともっと縛って欲しい」マスコミだけのことはある。

出会い頭に顔を殴りつけ、「さあ殴るのを止めてやるから、金を出せ!」と凄むヤクザと何処が違うのか。連休に旅行?、敵国に、「領土問題が存在する」と主張している敵国に、旅行を希望する者が多いのか。こちらは「お断りします」の一択である。

あちらの世論は「これで終わりと思うなよ!」であった。それに対して、高官とやらは「ほぼ終わった」との認識だそうだ。しかし、誠に残念ながら、こちらは「これが始まり」なのである。「百一発目の顔面パンチ」を有難く頂戴したところだ。

安っぽい「親日派プレー」はいい加減止めろ。堂々と「オール反日」へ舵を切ってこい。薄汚い駆け引きは、もう沢山だ。親日で失脚する政治家なら、とっとと独りで勝手に失脚すればいい。そんなことが政治的命運を決する国なら、元より友好関係など築けるはずがない。

我々日本国民は、この種の三文芝居に、二度と騙されないように、その「定型パターン」をよく心得ておくべきである。またこの臭い芝居を様々にアレンジして、意地でも見させようと画策するマスコミに対しては、「スポンサー問い合わせ」「不買運動」を通して鉄槌を下すべきである。ほっておいても潰れるが、それでは歴史に汚点が残る。やはり国民の意思をもって、「マスコミは潰す」べきである。それが彼等に相応しい最期である。

さあ大合唱を始めよう!
「さようなら三文芝居」。
「さようならヤクザ国家」。
「さようなら世界一遠い国」。

因みに「人民」も「共和国」も日本で出来た言葉である。即ち「国名が日本製」なのである。さあさあ、日本なしでやってみろ、やれるものならやってみろ!

*利益の為なら手段を選びません。
 道徳、義理人情、理性は一切有りません
 全ては金の為、これが支那文化、価値観。
 関わってはいけません。