新陰流 上泉伊勢守信綱 | みな1824 ~ハートに今を刻もう~

みな1824 ~ハートに今を刻もう~

  ★ 気ままに好きなこと好きなものを書いてます ★
    

こんばんは。

んーっと、15日付だったかな?の前橋市の広報にこんなのが載っていました。



おおっ!村上弘明さんが信綱を演じてくださるそうで、なんかイメージ合います!

地元では‘大河ドラマに’と、のぼりなどを立てて宣伝してるけど

1年間通してやれるほどネタがないと思われます(笑)



そうそう、信綱の仕えた箕輪城主の長野業正は、結構デキる武将。

武田信玄に「業正が生きている限り、上州は攻め落とせない」とまで言わせた武将ですものね!

まぁ、業正の死後、攻め落とされちゃいますが…。

箕輪城 Wikipediaより

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

天正18年(1590年) 豊臣秀吉の小田原征伐の際に箕輪城は前田利家・上杉景勝連合軍の攻撃により開城した。
この年、徳川家康が関東に入封し、箕輪城は12万石をもって井伊直政に与えられた。
直政は箕輪城を近代城郭に改造したが、慶長3年(1598年)高崎城に移封され、それに伴って箕輪城は廃城となり、80余年の歴史に終止符を打った。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

この時、高崎は「和田宿」って呼ばれていました。

本当かどうかはわかりませんが「高崎」と改名したのは‘井伊直政’らしいのです。

箕輪城には‘真田幸隆’(真田昌幸の父親)を一時、かくまった事があるとか?の逸話もあり、

何気に‘真田’とも、現在の大河ドラマ‘直虎’とも関連があったりするのですね~

ああ、歴史っておもしろい!

箕輪城は、高崎市箕郷町にあった平山城跡で、現在も石垣・土塁・空堀の跡が認められるそうです。

いろんな武将に思いを馳せながら、立ち寄ってみるのも楽しいかもです♪


おっと、そうそう‘上泉伊勢守信綱’

赤城山など、群馬県内で撮影撮影されたドラマ「新陰流 上泉伊勢守信綱」

放送は3月3日㈮ BS朝日 19時からです。



過去記事ですが、私が上泉町に出かけた記事がありますので、リブログしておきますね。

真面目に書いてあるので読んで頂けると嬉しく思います!




ペタしてね



上泉さんは、信長の野望では‘乱戦’が使えるのでね。

知略の高い武将と組ませて、足軽隊で出陣させれば結構活躍するんだな~(笑)