送信日時 : 2005年2月3日 4:39:48 起業の理由① | のほほんpクラブ観察記

送信日時 : 2005年2月3日 4:39:48 起業の理由①

送信日時 : 2005年2月3日 4:39:48
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件名 : 起業する理由

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わたしの父方の祖父は、金貸しだった。大きな事業を仕掛けていった。
母方の祖父は、車屋だった。立体駐車場を経営していた。

そして父は辛苦を味わい、

フィリピンクラブを何の地縁もない雪が降る街で始めた。

十四の時から、わたしは店にいるのが好きだった。

水商売に憧れがあった。

わたしが育った街は歓楽街だった。
クラブ、ラブホテル、呑みやの

いかがわしい匂いをかいで、わたしは育った。

銀座の姫というクラブ経営の山口洋子の小説を読んだ。

なおさら思った。わたしは「夜の蝶」になると。

酒と煙草の紫煙の中で、色と欲という絢爛豪華な夢を見たい。

いい着物来て、いい物を身に付け、豊かな暮らしがしたいと。

実際の水商売は、甘くはない。
虚勢を張るために、稼ぐために、

どれだけもがいたのだろうか。

楽しさは一瞬の花火のよう。

あとは酒が強くなり、気も強くなり、作り笑いとズルさで、
自分を守るしかない。

だけど、わたしは酒場が好き。酒場で働く女も酒場を作るために

奔走する男も酒場にくる男も大好きだった。

雪国のフィリピンクラブという名の劇場は、わたしを熱狂させた。

毎日がドラマ、滑稽かつ救いなんてない。

だけど、だから面白い。

この劇場は、金という入場券がなきゃ、入れてもらえない。

上品さと優雅さと優しさがなきゃ、楽しませてもらえない。

働く女もそう。

強くなきゃ、退場だ。優しさと美しさがなきゃ、孤独だ。

わたしはそんな冷酷な劇場を、

十四年もキャストとして、たまに過ごし味わえた。

「ママの娘」という名の鎧を着て、優しい男達に賛美されながら。

だけど、十五年目にわたしの野心が止まらなくなった。

わたしは、主役をやりたいと。

「ママの娘」というシェルターは、飽きた。

酒場の哀しい歌の中から生まれたホームページとこ

のぶろぐという「酔いどれ出稼ぎ日記」を片手に、旅だとうと。

いつかは、酒場を経営したい。

ママにはなれない。あんな仕事は無理だ。

わたしはきっと、まわりに酒場の「二代目」とか「後継者」とか言われるたびに、

違和感を感じていたのだろう。

そして得たいのない苛立ちを。その苛立ちが沸点を越した。武器も見つけた。

やっと書きたいものが書ける。

わたしは解放される。父と母の城から。

孤独で野心家のお姫様は、博打をうちにいく。
何の博打かは、また次回書きます。