…ありがとうな! | ベイキチのフリー麻雀成績をマジメにつけると、どーなる!?

ベイキチのフリー麻雀成績をマジメにつけると、どーなる!?

フリー麻雀と女遊びしか興味ありません(^_^)v

毎年、GW前になると思い出す事があります。


日曜日、オレは麻雀遊びはお休み、実家に戻り、恒例のお墓参りに行きました。


オレが麻雀を覚えたのが、高校1年生の時、親友のヒデから教わりました。


うちの高校は田舎のお勉強が出来る学校で、同級生は10人近く、今でも少なくとも4,5人は東大に行くような高校でした。


OBには、トレンディードラマの火付け役となり、今は某テレビ局の社長さんになった方や、別のテレビ局で若手プロデューサーとして頑張ってる方等もいる。


その若手プロデューサーのドラマが去年の今頃放映されていて、その舞台が自分の母校であり、ホントに懐かしいなぁと思って見てました。


で、オレはと言うと、ヒデから麻雀を教わり、一気に学校の成績はガタ落ち 笑)


でも、来る日も来る日もオレの自宅で人をお集めては麻雀をする日々を送った。


時には日曜日の朝まで麻雀するようなこともあった。



そんなダメな高校生を野放しにする両親。


ある日、オヤジが大学生の姉を叱った時に、姉貴が逆ギレして、


『なんで朝まで麻雀してる高校生を許して、23時に帰ってくる私が怒られるワケ!!』


・・・・うん、一理あるな。って思うくらいでした。


何故、両親が怒らなかったかと言うと、ヒデがいつも一緒だったからだと思う。


彼はこの田舎高校の中でもいつも成績が一番だった。


麻雀をしながら、ヒデの言う口癖は二つあった。



一つ目は


『みんなで東大目指そうよ!そうすれば、うちの高校から20人は行けると思う!』


オマエ、アホか!!オレ達にはムリに決まってるだろ!?


しかも、麻雀してる最中に…。


でも、仲間に勉強が出来るヤツがいるのは、オレのモチベーションでもあった。


二つ目は、麻雀中のオーラスの局面。


みんなで点棒確認をする。


で、点差によってヒデが、


『ベイキチはオレと7900点差だから、1600 3200 ツモか満貫出アガリ条件ね!』


等、オーラスでのアガり条件を言う。


このヒデのオーラス前の一言は、後にフリー雀荘に行った時、オーラスでのアガり条件の判ってないヤツを見た時に、ヒデから口うるさく言われておいて良かったなと思う瞬間でもあった。


こんな日々を過し、いざ大学受験。…オレは浪人する事となった。



ここで、今まで怒らなかった親が初めて怒った事件が起きた。


ヒデは東大入試の前夜、オレの家で麻雀していた。


でも、それはヒデのリクエスト。怒ってるうちのかあちゃんにヒデが、


『明日の試験でリラックスしたいから麻雀しに来ました』


って、言って収まり、最後にヒデが四暗刻をツモり、気分良く帰って行った。


その後、オレは浪人生として、ヒデは東大生として東京での暮らしが始まった。


ヒデはオレを誘い、フリー雀荘に一緒に行くようになった。


ただ、ヒデが誘ってくる時に、難しい数学や物理の問題を教えてもらうような事があり、息抜きで麻雀をする傍ら、同級生から勉強を教わるような日々を過した。


一年後、オレは京都の大学に進み、ヒデと一緒に東京でフリー雀荘遊びをする事はなくなったが、大晦日はオレの実家で朝まで麻雀する事だけは年イチ行事となった。



オレがこんなに麻雀ばっかりやるようになっちゃったのはヒデのせいだからな!!



やがて、お互いに社会人となったが、オレはいつもヒデが目標であった。


会社はモチロン違うが、ヒデより早く、係長にも課長にもなりたかった。

その事が仕事をガンバるモチベーションであった。



そんなある時、ヒデが結婚する事になった。


しかし、オレは日本に居なかったので、結婚式には出席できない。


結婚式の2ヵ月後、オレは一時帰国の制度を利用して、ヒデの住む名古屋に行く事にした。


ヒデの奥さんとも初対面。


3人で酒を飲みながら楽しい時間を過したが、ヒデから


『今からフリー行こうよ!!』


って、


おいおい!!奥さん置いてくのか!?


でも、奥さんも、


『ヒデがベイキチと麻雀したいってずーっと前から言ってたから、付き合ってあげて!!』


と、奥さんには申し訳なかったけど、2人で朝まで名古屋の雀荘で麻雀することとなった。



そして、オレが日本に帰任し、東京で仕事をする事になった時、ヒデから


『四月の人事異動で東京に行く事になった!GW前に引っ越すからまた一緒に麻雀できるな!!』


と、メールがあり、またあの時のような楽しい東京生活が始まる事に喜びを感じていた。



『オレの住む場所が決まりました!武蔵小杉だからベイキチの家も近いな!!』


おいおい!…近すぎだろ!?


と、そのメールをもらった3日後に、ヒデの奥さんが泣きながらオレに電話してきた。



オンナを泣かせるような事をヒデは絶対にしないので、なんで泣いているのかさっぱり判らなかったが、新居を決めにヒデが先に東京に入り、その間に仮住まいしていた会社の独身寮で突然亡くなったと。


会社に遅刻などした事のないヒデが会社に来ない事を不審に思い、上司が寮に行ったら、布団の中で亡くなっていたらしい。


これから、一緒に東京で麻雀できるって、飲みに行けるって楽しみにしていたのに…。


3日前にオレにメールしてきたばっかりじゃん!!


オレの大親友が、いつの時も目標だったヤツが、こんな良いヤツが、なんでこんなに早く逝ってしまうんだ…。


ヒデ!!オマエはいつも一番だったからって、こんな事まで一番じゃなくてもいいじゃねーか!!



ヒデの奥さんから、お葬式でオレにお別れの言葉を言って欲しいと依頼があった。


オレは、お葬式の前夜、


高校時代は一緒に麻雀ばっかりしていた事、


みんなで東大を目指そうよって口うるさかった事、


浪人中に麻雀に付き合う代わりに勉強を教えてもらった事、


名古屋で一緒に飲んだ後、奥さんを先に帰らせ麻雀した事、


そして、東京での新しい生活を楽しみにしていた事を文章にしていた時、色々な思い出が甦り、涙が止まらなかった。


お葬式では、ヒデの為、奥さんの為、そのお別れの言葉を言う時は、堂々と、絶対に泣かないで見送ろうと決めていたが、ダメだった。


高校の友達たちもみんな泣き崩れていた。


オレのお別れの言葉の後、ヒデの東大時代の友人が、


『大学でも成績優秀で、自慢の友人でした』


と、お別れの挨拶を言っていた。


そんな自慢の親友のお墓参りの為、この時期に実家へ戻るのも6年目となった。



昨日はお墓の前で、


ジュクの東風順位戦の店でフルボッコにあってさー、


相変わらずヘタクソだろ!?



その後、上野で平成のおっぱいたくさん触ってきてさー、


相変わらずバカだろ!?



でも、目黒に良い雀荘見つけてさー、


麻雀好きで良かっただろ!?



オレがこんなに麻雀ばっかりやるようになっちゃったのはオマエのせいだからな!!


オマエがオレに麻雀なんて教えるから、一緒にフリー行こうってうるさいから、こんなオトナになっちまったじゃねーかYO!!


…ありがとうな!


って、小雨の降る誰も居ない片田舎のお墓の前で、久しぶりに涙を流し、そんな話をして来たのでしたwww