ジェンダー/ クイア理論(Queer Theories) | イギリスで映画学

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映画学、特にQueer/LGBTQ Cinemaについて考察。
あとはイギリスでの生活。


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Film Studiesに限らず、Culture Studiesをやって行く上でジェンダートピックもはや鉄板のような気がします。



これは前セメスターでのレクチャーやリーディングを通して感じていたこと。

理由はもちろん純粋にジェンダーがカルチャーを語る上でかなり重要な部分を占めているということに他ならないのですが、

ケーススタディは映画、テレビその他文学作品とそれぞれ違っても

言ってることは結局似たようなことになりがちな気がしてきていて。



それはそれで納得できるんですがつまらない、、、とも思ってしまう自分がいたり。


そもそも
ジェンダーっていうのは結局
男として/女として 何らかの社会的役割が限定されてします。それがジェンダーという概念なので仕方ないんですが笑。




だからその時点でそれぞれその役割への期待/不満/緊張(tension)/衝突(conflict)/が出てくるのは

至極当然なような気がします。



そう、だからジェンダーって結局は男/女 という狭い枠でしか捉えてない以上、それを超えるものってない。



しかし、ですね、


男/女

それだけでは説明しきれないものが、現象として実際に存在してると思うんですよ。



これは自分の直感というか理論どうこうという問題ではなく感じていることで。

しいて言うなら「ユニセックス」という感覚なのでしょうか。








そう思ってたときに見つけた(?)のがQueer Theory(クィア理論)という概念。
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Queer (奇妙な)という言葉は 要は「変態」「おかま」「ホモ」達に対する差別、侮蔑用語でした。(アフリカン系アメリカ人をかつてニガーと呼んでいたように)

今では彼らに対してLGBT(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender)という用語が使われていますが、それまではこんな差別用語しかありませんでした~っていうのが背景です。


けど、Queerといっても、変態達にもいろいろタイプがあるわけで、みんながみんな「ホモ」ってわけでは当たり前だけどない、ていう議論が1990年代初めに起こってきます。

女装するけどヘテロセクシュアルの人だっているし、トランスジェンダーの人に関してはSexualityとGenderアイデンティティが複雑に絡みあっているのでその問題は個人差がだいぶ大きいでしょう。



そもそも、なぜホモセクシュアルはQueerと呼ばれるようになったのか?
それは生物学的に「おかしい」」ことなのか?
それともただ文化的、社会的な規範からはずれているから「おかしい」ということなのか?
男性のホモセクシュアルと女性のホモセクシュアル(レズビアン)では、社会からのその受け止られ方に違いはあるのか?

そもそもゲイ、レズビアン、バイ、トランスジェンダー、を一律的にカテゴライズすることなんてできるのか?

いや、セクシュアリティっていうのは、単にヘテロ/ホモ というように単純に二分できるものではなく、もっと多様なアプローチをしていくことが必要だろう・・・・


それがQueer スタディーズの始まりであると、認識しております。(詳しい方いたら是非教えて下さい!)

スタート地点はおそらくホモセクシュアルの観点からなのですが、

ジェンダー、セクシュアリティ、生物学、文化人類学、すべての分野が絡んだ理論、研究になっています。



比較的新しい理論であり、多様な可能性を論じているので曖昧に見えがちかもしれませんが、わたしにとっては二分されたジェンダー論よりもピンとくるものがありました。


ちなみに、ミシェル・フーコーというフランスの哲学者が「性の歴史」という著書でクィア理論に関する議論を展開しているとのことで、クィア理論を学ぶ上で基礎ともいえるでしょう。

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Queer理論に関しては映画学やっているコースでは学ばないので

そのうちきちんと説明できるように・・・!

暇を見つけて学んでいこうと思います。


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