wilson staff 1976

レンジでの話を少し溜め込んで来ました。今日はウィルソン76年スタッフ。ヘーゲンのクレンショウモデルから、玉突きのトコロテン話。要するに二鉄を手にしていたら、セットが現れたパターン。相変わらず、これが76年モデルなのかも、実は良くわかっておりません。スタッフの刻印がすみっこに寄せられていて、磨いているとメッキの表面がとても分厚い印象で、ヘーゲンのこの時代のものそうですが、このメッキがまるでウェイトの鉛のようにとても柔らかいのです。おかげでヘッドは傷だらけだし、光らせようとして磨いても、既に光を正対反射させる部分もない。つまりそれだけクロームの乗った分厚い表面が柔らかいと言うことで、柔軟性の高い下地処理がされているんですね。
wilson staff 1976
そんな前置きはさておきながら、これをレンジで振り回したら、久し振りになんじゃコリャ~ァ!!なんです。スーチャックに集中していた時は、変わったスイングになリャしないかと、それまでが個性的なスイングであったことを認識してみました。だってねぇ、真っ直ぐ上げて真っ直ぐ下ろすってのにとても違和感を覚えちゃったんですよ。いつもの個性的なモデルたちを楽しむためには、振り回しながらいろんなことを考える必要がありそうなんです。もちろん、それぞれの日の調子でってぇことですけどね。

そんな感覚で言うと、このモデルは何も考えることなく、ただ振り回したら気持ちの良い弾きをするモデルなわけです。シャフトはダイナミックのRだし、強めに振っても引っ掛けを気にすることもなく、曖昧に振り回したところで、方向も乱れることがない。ホーガンのメダリオンに似た感覚を覚えるのです。一体これはなんなんだぁ。

で、観察するまでもなく、大きな特徴は二鉄だけでは解り難かったグースにセットされたネックとか、実はロープロファイルじゃない、番手ごとのフローしたフェイスとかが見えてきます。
オリジナルかどうかわかりませんが、一部の番手にはリーディングエッジが研磨された様な跡もあります。とにかく、大きな特徴はグースでしょう。
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ピッチングをある方向から見てみると、まるでBSのフィジカやクリーブランドのVASのようなネックに見えませんかね。そんなモデルを本当に手にして見たら、違和感が先行するのですが、このスタッフにはそんな感覚が全くない。アドレスした時の違和感は微塵もありません。

金物としての操作感も、7番まではしっかりとアルし、8番からは方向性が重視されるのか、操作性よりも直進性が効いてくる。MTNよりも5年以上前の話ですが、この当時の番手デザインのコンセプトが出来上がっていたことを理解させてくれます。

本音を言えば、この二鉄、手にした当初は結構曲者だったのですが、この番手を順に振り回していくと、ちゃんと打てたりする。不思議なもんです。これが69年レプリカとか、クレンショウモデルのヘーゲンと同じかと言えば、それはまた違った印象と記憶。
wilson staff 1976
69年レプリカなんかは、マクレガー的なスイングを要求する印象がありますし、クレンショウのヘーゲンが、スタッフそのものとされるメディアのコメントを確認しながらも、このモデルとは違うんだなぁ。突如としてこの76年モデルだけがそんな風にデザインされたわけではないでしょうが、このグースがオリジナルだとすれば、確かに復刻を生むだけの特徴的な機能がありそうだし、何よりも番手ごとに決められた明確なコンセプトの違いがある様な気がする。

二鉄には二鉄のコンセプトがあって、だから二鉄だけ振り回していたのでは解らなかったとかね。34番と徐々に番手ごとに振り回してみると、距離に主眼を置いた違和感のない繋がりに驚くのです。

ラウンドを想定すれば、距離を重視したい長い番手に、ある程度操作してみたいミドル番手。とにかく上からドンの短い番手といった違いがある様な気がする。なんか、久し振りに為五郎はあっと驚き、びっくりしたナァ~モォ、ゲバゲバ、ッピィー。
wilson staff 1976
でも不思議とホーガンのような悲壮感はない。あそこまで出来過ぎた優等生と言う印象でもなく、長い番手を打つには、それなりの心構えがいるし、上からドンと行きたいときには、真っ直ぐ上げてまっすぐ下ろし、アドレスの方向をきっちり出す必要がある。手先で誤魔化すんじゃなくてね。ちゃんとした入力をすればそれに応えてくれる、って、これは当たり前のことかもしれませんが、受け止めてくれる許容範囲が大きくて、内角だろうが高めだろうが、ゾーンに入っていれば、ブルックリンでもストライク。野球とボーリングがごっちゃぁ。

これ、ラウンドが面白くなりそうなモデルですよ。