1996年、ベイスターズは開幕から快進撃を続け、一時は2位の中日に5ゲームの差をつける戦いぶりを演じました。
横浜ベイスターズが戦力も整い、強くなり始めた時期で、大魔人佐々木がいよいよ本格的に大魔人になった頃でもありました。
佐伯があるインタビューで「春の珍事とは言わせません!」と応えていたのを覚えています。

が…

ゴールインウィークまでが精一杯。
5月に入ってからあれよあれよと2位の中日に追い詰められ、あっという間にゲーム差がなくなり、
「ここで首位を明け渡したらきっと這い上がってこれないだろうなぁ」
という雰囲気の中で行われた横浜スタジアムでのドラコン戦。

私はこの日の大豊選手が放ったホームランと、打たれてマウンドで汗を流している佐々木の表情を忘れることができません。

詳細は覚えていませんが、ベイスターズリードで迎えた終盤。
しかしドラゴンズの猛追にあい、たまらずベンチが佐々木をマウンドへ。
ところが佐々木が火を消せない。。。
同点に追い付かれ、なおも二死満塁でバッターは大豊。
がんばれ、がんばれ佐々木…
とにかくここを乗り切るんだ!
テレビの前で祈りました。

佐々木の渾身のストレートが打ち返され、ライトへ高々と打ち上がりました。
よっしゃ!ライトフライ…
と、思いきや、
打球がグングン伸びて、そのままスタンドへ。
まさかの満塁ホームラン。
マウンドで唖然とする佐々木。
事実上、これがこの年のベイスターズの終戦となり、また春の珍事を決定付けた出来事でした。

恐るべきパワーを持った打者でした。
王貞治のフラミンゴ打法を模写し、この打法をマスターするために生活の全てをかけていたそうですね。

そんな大豊さんが先日、白血病のため51歳の若さでこの世を去ったというニュースが流れました。
その実直な性格ゆえ、首脳陣との衝突が度々報じられましたが、それだけ注目を浴びた強打者だったことも間違いありません。

私が前述したような鮮烈に記憶に残るホームランも多く、パワーでスタンドへねじ込むようなホームランが印象的でした。

真面目で口数の少ない選手でしたが、記録よりも記憶に残る選手でした。


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