風の音(49)
9月12日(水)
本日は酔眼朦朧。阿部首相辞意表明。年寄りとしていわせてもらえば若い首相であぶなっかしいとおもっていた。自分の同世代のものはみんなそうおもっていただろう。
それでもまわりから支えられて、かつ首相権限も大きいからあぶなっかしくても何とかやってゆくだろう、それが駄目だった。日本国民は高い授業料を払った。こういう首相しかもてなかったのは自分をふくめた日本人の平均的民度がこんなものだからだろう。やはり選挙して不毛の選択であってもしっかりと選びなおすことが大事だろう。
まつの息子の家来―12
元祖伝右衛門について家系図で記述されているのは以下のとおりである。
○○伝右衛門―実名不知
本国上野行山庄、生国不知、父母不知知行三百石、○○家元祖
妻者津田故久右衛門娘 先夫者前田三郎四郎即妻 前田家有子孫三郎四郎
病死以後伝右衛門為妻 俗名戒名死去年月日不知 寺不知生一女
右伝右衛門寛永十一年 春二月十一日病死壽不知 号一露宗精居士寺者
野田寺町瑞應山禅栖院 右三百石之知行者○○主馬助長孝後○○伝右衛門
右求門相続
この家系図は元祖伝右衛門より三代目、すなわち孫の代に書かれているもので後の代になるほど記載する情報は少なくなる。それにしても祖父の奥さんの没年月日からどこへ葬ったのかわからないというのはひどすぎないか。系図をみてゆくと女性に対しては女とか娘としか記さず、名前も記されていない例が多い。いかに男尊女卑が徹底していたかを見る思いがする。三百石の知行は前田利長から受けたことは別の後に書かれた系図による。いずれにしてもこれだけの資料で色々と推定しなければならないから楽しい。
諱(いみな)である一露宗精居士は豊臣秀吉の辞世の和歌「露と落ち露と消えにしわが身かななにはの事も夢のまた夢」がおもいおこされる。洒落た坊さんの思い付きだったか。それなりに戦国時代を駆け抜けてきた故人をしっかりとおもいやったためか。