Minstrelsy -10ページ目
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蒼風の楽園

最期まで君は、笑っていた。
涙を隠して、苦しみを微笑みに変えて。
そんな君を見てるのが辛くて、僕の方が泣き出してしまったっけ。


君は覚えていてくれただろうか?
まだほんの子供だった頃、僕と君の約束を。
「僕が君を守る」という約束を。
今思えば、夢中だったヒーローの真似で、他愛のない指切りの約束だった。
それでも君は、にっこりと指を絡めて笑ってくれた。


あれから、どれくらいの時間が流れただろう。
君の、命の終わりが見えてしまった。
余命という言葉が容赦なく残り時間を告げ、時間は容赦なく過ぎていく。
突然で。余りにも突然で。僕は、どうすることも出来ず立ちつくすだけだった。
小さな約束を、「僕が君を守る」という約束を果たしたいと思ったのに、どうすることも出来なかった。
側に居る事しか出来なかった。
君を守るには余りにも非力で、小さくて、何も出来ない両腕で、君の手を握り締めることだけが僕の出来る精一杯の事だった。
細い躰に繋がれた幾つもの管。
生きていることを示すモニター。
まるで人形のように動くことさえままならない君。
何かの実験のようだっておどけて言った君が、涙で霞んだ。


君は、誰かの前では一度も泣かなかった。
辛くないか、痛いところは無いか、寂しくはないか…何を聞いても穏やかに微笑むだけだった。
唯一外に出られないのが辛いと呟いただけで、それでも涙は見せず、少し困ったように微笑んでいた。
どうして君は笑っていられたの?
辛くないはずが無いのに。
痛くないはずが無いのに。
一人きりの病室が、寂しくないはずが無いのに。
座ることも出来なくなった君は、それでも僕に笑いかけてくれた。


その時、僕はようやく気付いた。
守られていたのは、僕の方だったのだと。
僕が悲しくないように、その頼りなく力強い微笑みで、僕を守ってくれていたのだと。


君は、眠るように旅立った。
とても穏やかな寝顔。朝になれば目覚めそうな、安らかな顔。
指切りをした日、遊び疲れて寝てしまった時にそっくりな寝顔。
そっと揺り起こせば、きっとまた、あの日に戻れそうな―――。


君を見送って、時だけが過ぎた。
ふと、空を見上げる。
君が逝った空はどこまでも青く、風はどこまでも穏やかだった。
君は…今でも笑ってくれているんだね。
やっと解ったよ。
いつかまた君に逢える日まで、僕も笑って生きてみるよ。
だからそれまで、お休みなさい。
また今度、遊ぶときが来るまで―――。

狂夢の楽園

真っ白な壁。真っ白な天井。何もかもが白い。
白に飽きた私は、赤が欲しくなって指を噛む。
久しぶりの鉄の味。赤い雫が白を染める。
私は少し嬉しくなって、壁に赤い文字を書く。

『神様、私はここよ。早く迎えに来て』


けれど、この文字は誰にも読めない。だって、人間には読めないのだから。
私は、天使なのだから。
哀れな人間を救おうとしたのに、助けてあげようと思ったのに、人間は私を捕まえた。
愚かな人間に捕まってしまった私は、彼らに翼を取り上げられてしまった。
飛べない私をこんな部屋に閉じ込めて、許されるとでも思っているのかしら。
神様、早く人間に罰を。
そして私を解放してください。
帰りたい。
こんな汚れた場所は、嫌。
憐れみの心を踏みにじった人間は、こんなにも汚れている―――。



「何を、やっているのかね」
ぐ、と手首を掴まれる。
薄く笑いを浮かべた男。白衣を着た、気持ちの悪い男。
「噛んだのか…。手当をしないとな」
男の後ろの扉が薄く開いている。
開いて。
開けて。
ここから出して。
「どう……なぁ…。君……くらいしか……」
男の声が遠くなっていく。
誰かがもう一人入ってくる。扉が大きく開いた。今しか無い。
男の手を振り払おうともがく。足を蹴飛ばし、腕を払い、男の腕に噛み付く。
手首を掴んでいた体温が消える。もう一度私を捕まえようと手を伸ばしてくるけど、もう遅い。
「くそッ!逃げたぞ!」
後から来たもう一人の腕も擦り抜けた。男の叫びが聞こえる。
でも、遅い。私を捕まえる事なんて出来ない。



踊る様に階段を上り、屋上の扉の前に辿り着く。
鍵が、私の邪魔をする。
足音が私を追いかけてくる。
早く、早く、外へ。
神様、助けて。私を逃がして。私を出して。
出して。
出して、出して、出して、外へ早く。
がたがたと扉が揺れる。幾度も私は体をぶつける。
肩が痛い。噛んだ指から血が溢れ、扉の前に溜まっていく。
揺らぐ視界。近づく足音。軋む扉。鉄の匂い。鉄の味。
もう駄目だと思った時、がくん、と体が前のめりになった。
一斉に飛び立つ羽根の音。頬を撫でる、風。
外。
外に、出ていた。
足音が遠くなった。
邪魔する人間はもう居ない。誰も私を邪魔出来ない。
これで、これで私は空に帰れる!
私は柵を乗り越え、叫ぶ。



「ただいま!」



脱ぎ捨てた躯が墜ちていく。
私の心も道連れに―――。

戦場の楽園

響き渡る剣の音。
幾度も打ち合い絶える事は無い。
向かい合う二人の戦士。
右手には真紅の鎧を纏いし戦士。
左手には紺碧の盾を掲げし戦士。
双方の後ろに戦友達の姿は無く、ただ風が過ぎ去るのみ。
強く踏まれた草の匂いを、閃く刃が掻き乱す。


隊列を離れた二人は未だ知らずに居るのだ。
既に戦は決している事を。
終結を告げるラッパは、二人には届かなかったのか。
守るべき国は、倒すべき国の手を取った。
戦う理由は既に消えた。
伝令が戦場を駆ける。
平和を告げる鳩の如く。
安らぎをもたらすせせらぎの如く。
剣を交えた戦士達は、戦の終わりを抱き合って喜んだ。


だが、彼らの戦いは終わらない。
相手を掠め、空を切り、地を蹴り上げ、剣を薙ぐ。
彼らは何故戦っているのだろうか。
守るべき祖国の為か。
倒すべき敵が居るからか。
―――否。
彼らは笑っている。
紅と碧の終わり無き輪舞。
二人の視線が交わる刹那、白刃が飛び散った。
柄だけになった剣を投げ捨て、それでも笑みは絶やさぬ戦士。
「戦でなければ、友になれたものを」
剣を突き付け、残念そうに、しかし穏やかな顔。
「同感だ、我が強敵よ」
力強くはっきりと言い、目を閉ざす。
『汝の逝く路に、幸多からん事を』


花弁が舞う。
最期まで気高く、そして誇り高く。
舞ったのは、紅い華か碧い華か―――。
風は何も語らず立ち去った。
華の行方は誰も知らない。

新月の楽園

約束は違えるものなのだ―――私は、莫迦だった。
鉄の格子に錠が下ろされ、月が三度満ちる迄、私は信じて疑わなかった。
「必ず迎えに戻る。だから其れ迄、我慢しておくれ」
旦那様の正妻が世継ぎを残さぬまま逝った。妾達は正妻の座を狙い争った。
私は、正妻の座など欲しくなかった。
唯、旦那様のお側に居られるだけで良かった。
そんな私に、旦那様は妻になってくれと仰られたのだ。
(卑しい女。何も知らぬ振りをして気を惹いたのか。阿婆擦れの癖に…)
妾達の憎悪は、何時しか殺意に変わった。
殺される―――そう思った時、旦那様が私を離れへ匿って下さったのだ。
「必ず迎えに戻る。だから其れ迄、我慢しておくれ」
旦那様は云い、一度私を抱いて、それきり逢いに来ては下さらなかった。
私は信じた。私は待った。なのに錠は下ろされ、私は閉じ込められた。
裏切られた―――私は、全てを呪った。信じた私を、妾達を、旦那様を呪った。
幾度と無く月は満ち、そして欠けていった。


一体どれ程の時が過ぎ去ったのだろうか。
「外に出たいか」
久しく人の声を聞かなかった私は、驚き顔を上げた。
白装束の子供。三日月の様に瞳は細められている。
「里は滅んだ。お前の主人は死に、女達は皆逃げた」
「旦那様が……」
最後の逢瀬を思い出す。泪が落ちる。何故最期を共にさせて下さらなかったのか。
憎い。逃げた女達が憎い。何故最期を共にしなかったのか。
「外に出たいか」
「出たい」
迷う事等無かった。
子供は格子を擦り抜け、私に手を伸ばした。私はその手を取る。
その瞬間、私の魂は躯の軛から解き放たれたのだ。


疾風の様に山を駆け、女達の姿を追う。今の私に見付けられぬ筈は無い。
憎い。憎い。あの者達が憎い。旦那様を捨てて逃げた者共が憎い。
都に入ると、聞き覚えの有る声が聞こえる。間違い無い、妾達だ。
下卑た嬌声。胸の悪くなるような香の匂い。許せない。許さない。
戸を破ると異変に気付いた男共が駆けてくる。皆、私の姿に息を飲む。
「鬼…鬼じゃ…!鬼が来たぞ!」
逃げる男を軽く薙ぐ。千切れた躯が床に撒き散らされていく。
部屋には、やはり妾達が居た。怯えた顔が、揺らめく灯に炙られる。
「お前はっ!」
私に気づき叫んだ女の首を薙ぐ。障子に紅い華が咲いた。首は程無くして事切れた。
妾達が逃げ惑う。一人、一人、首を薙ぐ度に紅い華が増えていく。
(旦那様…ご覧下さい。紅い華がこんなにも沢山…!)
「あは、は、ははははははっ!」
最後の華が咲いた時、私は声を上げて嗤った。
とても静かな、新月の夜だった。


「旦那様!見事な花畠が出来ましたよ!ほら…こんなにも紅く…!」

楽園~創造~

この世界は楽園だ。
何処までも、何時までも。
行けば、そこが楽園となる。
たとえ地の果て、地獄の底だとしても。



これから始まるのは楽園の物語。
己を信じた者達の世界。
それが貴方の目には楽園と映らなくとも。



また一つ、楽園が創られる。
それは、世界の創造。
それは、世界の全て。

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