バルセロナFWペドロ・ロドリゲスのインタビューから、バルサを読み取る試みを。


バルサというか、フットボールを、となる。


これは、6月13日付けのスペイン紙『マルカ』に掲載されたインタビュー。



しかし、今回。この記事を「正しく翻訳する」という情報処理的な役割ではなく、より「深いフットボール哲学を見出す」という、試験的な扱いを、このブログでは行いたい。



スペイン語による、根付いたフットボール観を、このブログの運営者の独自の観点で噛み砕いてみた。新たな試み。


この発想は、村上春樹氏などが、英語の翻訳本などを、独自の解釈で咀嚼しながら行っていることからヒントを得た。



僕にとっても、新たな挑戦となる。


読んでいただいた方に、何か気付きや刺激を与えられたら、幸いである。



前置きが長くなったが、始めさせていただきたい。



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~ペドロ・ロドリゲスに聞く~




多くの監督が言う。


『ペドロのプレスがなければ、バルサは全く別のチームになるだろう』


その本質は、一体どこにあるのだろうか。



ペドロは言った。


「現在のバルサにおいて、ボールを持たない選手は、違う形でフットボールに携わる。


 自分の特色を、最大限にチームに賭けるんだ。



 現在のバルサのプレーモデルの基盤は、間違いなく、シャビ、イニエスタ、メッシだよ。



 チームは、それぞれの特色を集結し、一致団結したときに、真価を発揮するんだ」




もう少し、深く掘り下げたい。



ペドロは、最も多く走る選手として、バルサで重宝されている。


  多くの人間が、そう考える。



彼のフリーランニングが、


   バルサにスペースを与え、つかませる。 


 

しかし、ペドロは、これを否定した。



「あぁ、それ違うね。


 このチームで、一番走っているのは、シャビだよ。



 そうは見えないけどね」





外から見ているバルサは、



美しくボールを回し、



痺れを切らした相手がボールを奪いに突進してきたところを、



マタドール(闘牛士)のように、華麗にかわし、



トドメを刺すようにゴールを奪うチームだ。





“スペクタクル”という概念を、現代フットボールに浸透させてしまったように、



「魅惑的な」エンターテイメントを提供する集団。


それが、バルサだ。




しかし、ピッチレヴェルで選手が体感し、想像し、体現しているフットボールと



“スペクタクル”に熱狂するフットボール狂たちとの視点に



差異があるというのか?





核心に迫るしかない。


ペップ(・グアルディオラ監督)は、何を最も重要なコンセプトとして、選手に落とし込んでいるのか。


勝利のフィロソフィーは、いかにして伝承されているのか。




『ペップが選手に、一番要求することって、なに?』



ペドロの答えは、明白だった。



「ポジショニング。


選手間の配置だよ。



 そのベースができたら、


 ボールを運んで、DFを剥がすこと


 ドリブルを有効に活用すること


 1タッチプレーなんかを要求するね」






ペドロの言葉によれば、


バルサの美しいボール回しに、最も重要なのは、


“選手間の配置”


である。



高い技術でも、選手のイマジネーションでも、ない。



無論、<そんなのベースにあって当たり前だから、言及しなかったのだろう>という推測も、可能だ。




だが、個人的な見解によって、ここではペドロの言葉を根底から信じ、咀嚼したい。




ある仮説を立てる。



≪バルサのサッカーは、90分間、“誰がどこに立っているか”が決定しているサッカー≫



極端な仮説だが、何が言いたいかというと、



想像力や創造力などは、第三者が立てた憶測であり、でっちあげに過ぎず、


≪スーパーバルサ≫を手の届かない神話的存在に仕立て上げたかっただけなのではないか。




真実は、全く逆にあるのでは。



-バルサのサッカーは、まさに“パターン化”の名の元に、キチキチに詰められた規律の元に成り立っているのではないか-



この仮説を、論拠立てるような証言を、あのバルサのレジェンドが口にしている。




続く