お気づきのことと思いますが、日々のタイトルは適当にその日の内容を汲んだ四文字熟語を創作しております。辞書にないことが多いですが、怒らないでください。

では本文。

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小野凛は堰を切ったように、今までなかった悩みをぶつけてくる。

今までの美しく、おしとやかに、日々の風景を切り取ったような「エッセイ」は鳴りを潜めた。

今まで見えていなかったことがにわかに感じられ始め、世界が色をもって迫ってくるようになったと。

決して綺麗な色ばかりでないこともわかってきたと。

この色の洪水に、戸惑い、いささか疲れつつも、生きている実感があると。

時間を惜しむように、新たな言葉で文面は埋め尽くされている。

それは喜びと、苦しみや戸惑いに満ちている。

 

「想い人とはお父さんだったんだね」

思い切って書いてみた。

 

また怒涛のように言葉が返ってくる。

 父を肯定することでしか生きられなかった。

 だから。

 ひたすらに想うという心の働きしかできなかった。

 父にとらわれ、閉じこもっていたのではないかと感じている。

 口答えや喧嘩など思いもよらないことであった。

 それを幸せで温かい「家庭」だと思っていた。

 そのような環境を作ろうとしてくれた父と母に感謝はしている。

 しかし、母の姿勢を受け入れつつも、今は、感じたことのなかった疑問も持つようになった。

 ありのままの人生ではない映画の主人公のような人生は、どこか他人行儀であった。

「私は人生を生きてはいなかったと思います」

「むかしはものをおもはざりけりーとはよく言ったものです」

「千里さんが私を一個の人間であると受け止めてくださったおかげです。本当にありがとうございます」

 

そりゃほめすぎだ。

俺でなくても、もともと聡明な彼女のことだ、世界の存在に気付かざるを得なかっただろう。

でも、誰かに暴力的にこじ開けられるよりは、ソフトに「世界」にたどり着いたことはめでたい。

引用している歌が若干気になるが。

これは恋の歌だから。

 

ふと心配になった。

理想の想い人を見失って、今彼女は一人で世界に向かい合う。

それは心細いことであろう。

俺の言葉で隙間を埋め尽くそうとしてやしないか。

俺の言葉で、間に合うのか。

彼女に必要なものは、確固とした自分を見つめ支える哲学ではないのか。

それとも。

 

ぶるっと、この暑いのに震えが来た。

何かの予感かもしれない。

夏は、終わろうとしている。
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この物語はフィクションです。