そろそろ更新されるかな?と思った方。

当たりです。やっぱり書いています。まあゆっくりと。

やっとタイトルの由来を書くことができました。

手書きのタイムマシン 8.往復書簡から。

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勉強も忙しく、晩御飯を作るのも億劫な毎日。

――いや、見栄を張ってしまった。おおむね、外食だった。学生生協食堂は実にありがたい。

クラスの何人かが食堂でバイトをしているので、売り物のパフェを横流しなどしてくれる。

そんな生活の中でも、渾身の力で描いた2通のクリスマスカード。

アクリル絵の具でカラフルに彩った1作と、水墨画の1作。

封入する時、ちょっと考えて、水墨画を真美に、アクリル画を凜にする。

彼女たちにはわからないことだが、自分はちょっとイメージと違うことをしてみたわけだ。

自分のイメージを押し付けることが馬鹿らしいことはよくわかった。

思い込みや決めつけを打破するには、少し工夫が必要なのだ。

なんとも手のかかる男だ、俺は。でもやらないよりやった方がいい努力だろう。

 

二度目の大学1年の新年は帰省して迎えた。

年賀状は前の大学、先の職場、そして今の大学の友人から届く。

これまでの付き合いのものは実家に届くのだが、新しいものは下宿先に届く。

こんなに帰省から戻るのが楽しみだとは思わなかった。

もう友達すらできないかもしれないとまで思っていたから。

 

そして今のクラスは女性が圧倒的に多いのだ。

生まれて初めて、女性からの年賀状の枚数が男性分を超えた!

 

…などと喜んでいる自分に気づいて、修行が足りないなと苦笑した。

(ていうか、なんの修行だか。その「修行」ってなにが目標だろ?)

 

真美と凜もよこしてくれた。

クリスマスカードは好評のようだ。

(まあ、けなす間柄ではないので、正確な評価はよくわからない)

あの研修の、同じ斑の他のメンバーも何人か年賀状をくれた。

今から返事を書かねば!

 

彼女たちの手紙は、タイムマシンだ。

時を超え、場所を飛び、あの夏の湖畔の奥の山の中を思い出すことができる。

厳しい勉強の時間、苦しい討議、そして「わかる」喜び。

毎夜の騒ぎ。笑いと汗と、涙。

かけがえのない時間を共に過ごした仲間だ。

微妙な歳の差を、遠慮もせずに超えて手を差し伸べてくれた頼もしい連中だ。

そういえば、外池はあの研修には参加していないのだ。

来年度は行くだろうか。いけばいいと思う。

勉強の手法も学べるが、なにより、あのバカ騒ぎを味わえば何年か楽しく生きていけると思うのだ。

 

学年末のテスト勉強のしんどさを、手紙にぶつけて紛らわせていた。

気持ちが通じたかのように、返事ではなく往信が届く。

手書きのタイムマシン。

いつまで続くだろう。この素敵なマシンが動き続けることを願っていていいのだろうか。

 

真美は俺を「さわにい」と呼ぶ。

凜はもともと「大澤さん」だったが、クリスマスカード以来「千里さん」と書いてくるようになった。

この親の名付けた重い名前。「千里の道も一歩から」とか。

それも女の子から呼ばれると新鮮な感じがする。

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この物語はフィクションです。