みなさんこんにちわ!!、、、亀 (山本) です。
今日は川棚から長門の店に来るのに俵山温泉経由で来ました。
途中に豊田湖がありその湖畔を走る道路はとても狭いんです、
車同士の離合が結構大変なんですね、
下の写真がその道路です、、、、ねっ、結構狭いでしょ~。
で、今日ふと思ったのが結構いい車に乗っている人は離合の時にスピードを
緩めない傾向に、「お前たち安物の車が止まって除けろ」って言ってるように
思えて、むしろ普通の車に乗っている人は自分が先に止まって「どうぞ除けて
ますから、行ってください」って言ってるように思えたんです。
偏見?気のせい?勝手な思い込み?まあいい、、、どっちにしろ、
俺は今度から自分が先に止まって「どうぞ除けてますから、行ってください」って
くらいの余裕のある男になろうと思ったんですよね。(なんのこっちゃ!)
さて、本題に入ります。 そうですよ、今からが本題です。
私が昭和62年3月にメガネ屋を始めた山口県の長門市には湯本温泉という
温泉街があります。
その温泉街からちょっと歩いた所に「大寧寺」という曹洞宗のお寺があります、
そのお寺はある歴史上の人物が自害したという有名なお寺です。
えっ?、、、その歴史上の人物って誰かって?
それはですね~、かつて山口県を統治していた大内義隆という大名です。
彼は重臣であった陶 隆房の反乱によって、まあ今で言うクーデターですかね?
それで山口を追われついにこの長門市の大寧寺で自害する羽目になった
という事です。
そして大内義隆氏は自害(切腹)をした時、あまりにも悔しいので
自分の腸(はらわた)を自分の手で腹からつかみ出してこの大寧寺の天井に
叩きつけたとか?そしてその跡が未だに天井に残っているとか?
でも、このエピソードは本当かどうかは知りませんので悪しからずです。
下の写真がその大寧寺の本堂です。
そして下の写真は「姿見の池」といって義隆氏が自分の顔をこの池に
写して見た時に自分の顔が写らなかったので
「ああ~、もう俺も終わりだな」と悟って自害を決意したとか、
その時に脱いだ兜を置いた岩がさらに下の写真の「兜岩」だそうです。
下の写真が兜を置いた、というよりも多分兜を被せた岩だという事です。
ちょうどその感じの大きさの岩ですよね。
ちなみに、下の写真は「奇橋」で有名な石組みの橋です。
本堂に上がる石段の横には池があり数匹の鯉が泳いでいました。
さらに本堂の横には下の写真にあるように大内家の重鎮達のお墓もありますので訪れた際にはお参りもよろしくおねがいします。
そして下の写真は急に場所が変わりますけど
この大寧寺からさらに山奥に行った所にある俵山温泉のさらに山奥にある
「マラ観音」という観音堂です。
実は大内家の更なる悲劇の話がこの「マラ観音」にまつわる話(実話)に
繋がっていくのですが、
すみません、今日はこの辺で終わります。
「う~~~ん~~~いつもいいとこで終わるね~、、、、、」 ですね。
まあ、私も仕事の合間を縫ってブログを書いているので
いつもいつも、ごめんなさね~。
うん? (い) が抜けていた?まあいい、、、
では、次回をお楽しみに、
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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以上です、ありがとうございます。
次回は大内家がかつての家来だった陶軍になぜ敗れたのか
ということについて私なりの見解を書いていきたいと思っています。
それではまた、、、
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