その1・・・とか書いて、
続くのか
続かないのか・・・脱線するのか??わかりませんがあせる

タイトルとうまくリンクしていくのかどうかも、
正直、不明ですが・・・。


日ごろから、わたし、温泉お風呂でボーっとしてるときに
ものすごくいろんなことが思いうかぶんですね。


そこで、あ、そろそろ、書いちゃおう・・・と思いましたので。

思うこといろいろ、
書ける範囲で(公開できる範囲で)徒然なるままにニコニコ
お話したいと思います。

興味がありましたら、おつきあいくださいね音譜


ん?何の話か、わからんのに興味とか言われても??
(そりゃそうだ・・・) 





昨年のこと、
ずいぶんひどい風邪で寝込んだとき

ひいばあちゃんが、お味噌を作ってる風景をふと思い出しました。
なぜか 何度も何度も頭に浮かびました。

その記憶って、

私が3歳とか4歳とか、その頃のことだと思うんです。

お味噌の味 の記事ご参照ください。


ひいばあちゃんが、想いだしなさい、、、って言ってるようでもありました。

ちょっと思いが遠のいたころ、また記憶が鮮明に戻ってきて、先の記事をかいた次第です。

今思えば、
ひいばあちゃんと過ごした数年間は、
私の根っことして、しみつき、残ってるように思います。
「三つ子の魂百まで」とはこういうことを言うのでしょうか。

(そうだとすれば、私は、娘と息子に、その頃何を伝えてこられただろう・・・という思いも
 渦巻いてきますが、ちょっとここでは こっちに(どっちだ?)おいといて・・・)


最近になって、ひいばあちゃんは幼い私に、短い期間で、
伝えられることをできるだけたくさん、伝えてくれたように思えてきました。


毎日の食事作りはもちろんのこと、
買い物、掃除や季節の行事、お墓掃除、仏壇のお世話、お地蔵さんへのお参り、神社へのお参り、などなど
連れていってもらえるところには、全部ついていき、
一緒にできることはすべてさせてもらってたように思います。
ある意味、子どもらしくないくらい、ばあちゃん並みの生活だったかもしれません(;´▽`A``


ひいばあちゃんは 腰が悪かったので、昔でいう「乳母車」を押して歩き、
その上に、小さい私を連れて歩くのですから、
まぁまぁたいへんだったにちがいないのですが。

そういえば、道の角をなぜか曲がり損ねて、
乳母車とともに、田植えしたばかりの田んぼに ぶっとんで
ドロンコで大泣きしたことも、最近になって思い出しました。
(これは、オマケの記憶かな。。。)




小学校入学を前に、別棟に住む両親と一緒に過ごすようになった後も
ひいばあちゃんとの時間は大好きでした。

永遠のお別れをしたのは10歳のとき。

たった10年間で、
とてつもなくたくさんのことを
教わってたんだ・・・と、最近強く思ってます。




両親と弟との生活を経て、短大進学とともに、初めて親元を離れました。

この2年間で、食生活が、ハジけちゃったんですね、私。



お湯を注げば食べられるようなものなんて、食べちゃだめ と
ひいばあちゃんからも、両親からも
教えられて育ってきたので、

そんなものが、珍しくて、カンタンで、嬉しくて。
お金もないし(笑

生活もどんどん不規則になり、食事もどんどん適当になり。。。

ただ、少々体調が悪くなっても、“若さ”と勢いと、友達に助けられて
フッカツできちゃうんですね。



元気になれば、また同じことの繰り返し。

それでもダイジョウブだったので、改めることもなく。



ただ、帰省するときの母へのお願いは
あったかい手料理、おいしいお肉とお魚。。。でしたが。



卒業後、就職して、
ビックリですよ。

実家に戻った安心感と、なれない仕事、ストレス。

体調、くずしやすいんですね。
すぐ、寝込みます。

風邪ひいたり、ひどい頭痛に悩まされたり。。。
胃が痛んで寝られなかったり。。。


ところが、市販の薬でやっつけようとすると、ひどいじんましん。

乱れた食生活は、思いがけない形で いたいツケとなって現われました。

じんましんをやっつけるために、薬。
さすがにムリなので、病院へ。

薬があわなくて・・・とか、検査してもわからなかったりで 病院行くのはイヤになるし、

とにかく、悪循環。

ひどい、薬アレルギー状態になってたようです。



あげく、風邪も熱も頭痛も、病院に頼らず、
ひたすら寝るしかない・・・
と思うようになりました。


原因はきっと食生活。体質がかわってしまった。。。
それはわかっても、病院で、じゃぁ、どうすれば治るのかなんて
教えてもらえません。



そんなとき・・・・・あるものに出会いました。


(つづく)