最近、毎日毎日
同じ風景を思い出します。

なんでやろはてなマーク

理由は

わかるような
わからないような。。。(わかってるのか、わかってないのかが、わからない(-"-;A)



思い出す景色、というのが


ひいばあちゃんが
お味噌を作っている姿とその風景なんですね。



曾祖父と曾祖母とは、両親と棟続きの家に住んでいました。

小さいころ、母の体調が優れなかったこともあり
私は、曾祖父と曾祖母と寝食をともにしていました。

小学校入学前??まで、ずっとその生活

父母と弟とも毎日会うし、家でも過ごすんだけど
日ごろは、ひいばあちゃんと一緒。


お料理上手のひいばあちゃんには
いろいろ教えてもらいました。

とはいえ、
幼児期なので、手伝うといっても
ジャマしてるばっかりであせる


七輪でやいたアナゴを
タレにつける係とか
(できたてをドンドン食べては叱られた)

こしあんを作るときに布袋をぎゅうぎゅう押す係とか
(どんどん食べて、こらーーーっ)

小エビをむくお手伝いとか
(ちぎって、すっごく小さなかけらになってましたσ(^_^;)

ごはんを釜戸でたくときに、火の番も少し
(消防士になれる・・・と よく言われました)

冬の甘酒も絶品で。
夏には、甘酒アイスを大量に作ってましたし。
(食べすぎ、のみすぎはこの頃から??)


そんなことを次々思い出すきっかけになったのは、
MAGNORIAに初訪問した日

お味噌汁を飲んだときだったのかもしれません。



それまでも、いろいろ考えることはあったけど、

ここで、ちょっと、ちゃんと思い出した感じだったんですね。



で、最近、殊にフラッシュパックのように出てくるのが

毎年、ある時期になるとお味噌を仕込んでたその風景。

ひいばぁちゃんの姿まで思い出すという おまけつき。。。




幼いころ
ひとつの布団に、ひいばあちゃんと毎晩寝てたんですが、
その時期になると、
夜中も数時間おきに、起きては台所にいき
何かをていねいに ひっくり返してたようです。


こっそり起きてようすを見てると
「寝ときなさい!」と、優しく言われてました。

真剣なまなざしで向き合う様に、子どもに手伝える仕事じゃないのも
なんとなくわかってた記憶があります。



あれね、
今思うと

ばあちゃん、糀 つくってたんだと思うんです。


ずぅーーーっと、思い出して考えてたんですけどね、
菌が育つ・・・みたいなことを
聞いた記憶があって、

そうこうしながら大豆を用意してたのを思い出すと

やっぱりそうだ。。。と。



だからどう・・・って話じゃないんですが。。。




明治生まれのひいばあちゃんは、
読み書きができませんでした。


・・・・ってことは、
それで、家族6人、一年分(親戚にもあげてたからもっと大量?)の味噌を

記憶と、アタマの中の計算だけで、
毎年毎年作ってたわけで。





いろんなことがアタマに渦巻いては消える中

大好きだったひいばぁちゃんの凄さを
感じる 今日この頃。





でもやっぱり・・・足元にも及ばないなぁ。。。


母も料理上手ですけれど、
ひいばぁちゃんのご飯にこもってた優しさを
今とっても思い出します。



画像もなんにもない・・・つぶやきでした。